2年前の今日書いた記事。

 

 

 

 

 

 

嫌われるのが怖くなくなった。

 
 
それは、誰にどう思われても
自分で自分が好きで認めているから。
 
外でどう評価されても、
内側で自分への承認があるから。
 
 
それに、私を受け止めてくれている人が
いっぱい見えているから。
 
あるかどうかよりも、
見えているかどうか、受け取っているかどうか、
存在を認めているかどうかが大事。
 
 
だから会いたくない人には会わなくなったし、
会いたい人にはできる限り自分から声をかけている。
(全ての人に声をかけれているわけでは全然ないけれど‥)
 
 
嫌だなと思うことはハッキリ理由を言って断るようになったし、
迷うことはハッキリ具体的に質問するようになった。
 
 
私がガマンして時間を使うことで後悔したり、
相手に対して嫌な気持ちを持ってしまうのなら、
相手にとっても迷惑だと思う。
 
 
興味のない誘いに対して曖昧にお茶を濁して
何度も誘わせてしまっては、
相手に手間をかけるし、
相手の時間と労力を奪うことになると思う。
 
 
だから
win-win(お互いにとってプラス)になるように意識して自分の意思を伝えている。
 
 
 

 
 
嫌われるのを恐れないことで、
逆に好かれることもある。
逆に好印象を持ってくれる人もいる。
 
 
そして、どうでもいい人に嫌われないより、
自分の合う人に好かれるほうが
大事だしうれしい。
 
 
 
やはりwin-winを目指すことのスタートは
自分の意見・意向をいうこと!
口に出すこと、伝えること。
 
 
 
まだまだ、"嫌われ恐怖症の八方美人"出身の私は
言えずにやり過ごしてしまうこと、つい場に流されてしまうこと、もあるんだけれど
 
その頻度や量は格段に減ったし
言いたいことを伝えている自分がとても好き。
 
 
自分を好きでいられるから、ますます
嫌われる怖さが少なくなっていく。
好循環。笑
 
 
人にどう見られるか、気にしてしまう気質はずっとあって
「誰かわからない不特定多数」の人に嫌われる恐怖はきっとまだあるけど
少なくとも
「目の前の誰か」「ある特定の相手」に嫌われるのは恐れないようになった。
 
そして嫌われても、たぶん動じない。
 
 
むしろ思うのは、
みんなに好かれていたら生きるの大変ー!!
ってこと。笑
 
 
(中略)
 
 
好きな人からは嫌われないし、
好きじゃない人から嫌われてもどうでもいい。
 
 
 
自分が好きな人から嫌われてしまうのは、自分に問題があると思う。
だって純粋に好きな気持ちで接してこられて
本来嫌な人はいないはずだから。
(好きな人から"大好きになってもらえない"というのは全く別の話だと思うけど)
 
 
好きだけど嫌われてしまったら、
好きでいさせてくれることを感謝する。
(だって"好き"ってとっても素敵な感情だから。ありがたい感情だから。)
 
そして嫌われてしまう自分を直視する。
 
 
 
婚活パーティの司会をしていて思ったけれど、
異性から好かれない人は、やっぱり問題がある。
(態度とか、身なりとか、会話とか)
 
そしてそういう人ほど、会場やパーティの構成や相手方に対して文句を言っていたりする。
 
変えられないものに対して不満を言うばかりで、
変えられるはずの自分に対しては目を向けない。
これじゃ、魅力的になれないのも当たり前。
 
 
 
つらつらと書いて話がだいぶ逸れてしまったけれど、やっぱり
 
自分に意識を向けて、
自分を大切にして、
自分の意思をきちんと伝えて、
結果的に相手のためにもなることをする
 
っていうのが
自分も楽だし、良いコミュニケーションなのではないかと思うのです。
 
 
 
〜以上リブログ〜
 
 
 
2年前のこのときから
今もまったく同じ考えだし、
というか
 
もう自分の中で根付きすぎて
こんなことも考えていないほど
(=当たり前で、意識が透明化している)
です^ ^
 
 
言いたいことや思ってることを
言ってくれない人のほうが嫌に感じるし、
そういう人とは自然と触れ合わなくなって
いきます。