”永遠の友”オリジナルはナミ。
 韓国のジュン&ネネのようなチャップンハナ。
 
 
 
 韓国ウイキより
 
  チャップンハナは釜山出身の女性デュオで、左がコン・ミンス、右がキム・ジョンア。 1987年「第11回MBC大学歌謡祭」で、釜山外国語大学在学中に”今でも君を”を歌って大賞を受賞して音楽界に現われた。”今でも君を” はブルース風の曲で当時は非常に新鮮であった。 後続で発表した ”ネゲで忘れるかな”という歌もジャズ&ブルース風で各種歌謡順位チャートで上位にランクされた。 当時チャップンハナの”今でも君を” は大衆歌謡に多大な影響を及ぼして、ブルース風の歌謡が流行るようになった。 ヤン・スギョン、イ・ソニ、イ・ナミ などの歌もその頃流行るようになった。
 
 1968年”愛するってこわい”が大ヒットしたジュン&ネネに雰囲気が似ていて、最初「コンサート7080」で観たときはビックリしました。”今でも君を”は曲調もブルージーで一気にファンになりました。
 
 
 
 
 
 
 ”もう一度”、オリジナルはパク・ソンジン
 
 韓国記事にチャップンハナの右の人キム・ジョンアの記事があったので抜粋します。
 
 「386世代'」「4050世代」「7080世代'」、表現は違ってもこの言葉は皆 60年代に生まれて、1970~80年代を成長期に送った世代を指す単語である。この世代に属する人で、大学歌謡祭に沸き返えらなかった人々がいるだろうか。1970年代後半~80年代にわたって、大学歌謡祭は一年を仕上げる重要な文化的行事であった。 年末には必見の重要なプログラムが大学歌謡祭だったのである
 女性デュエット「チャップンハナ」 のキム・ジョンアは歌はよく知られるが、芸能界の表舞台に現われなかった歌手である。
 
 キム・ジョンア
 
  "大学時代はデモをしてサークル室にいたことしか記憶がない。 勉強をしたことがないようである。 といえども皆キャンパスに座って歌い、生活が音楽に溢れている時代だった。"
 
  " デモを通じて自分の意見を表出した学生たちもあったし、私たちは音楽を通じて表現した。表現の手段が違っただけである。 その多かった禁止曲がすべて何を意味するか。 表現方法の差であるだけであると思う。"
 
  "私たちは女性デュエットであったが, 「R&B」のジャンルに初めて臨んだ。 そのためか期待以上にたくさん目立ったようである。 大学歌謡祭で受賞したのが 4年生の時だったが卒業する時功労奨学金も受けた、学校を輝かしたと。 数年前に母校に招待されて学園祭の審査委員もして歌も歌った。 「大学歌謡祭」が私の一生において 重要な意味があったわけである。"
 
 "時代の精神はその時代を暮して来た人々が一番よく表現するのではないか。 私たちは、新世代が「進歩的に発展して行くこと」、「過去から生まれる豊さを受容する」時に文化は発展して行くのではないか思う

  "釜山の大学に通っていたから、ソウルに通うのが本当に大変であった。 一日に 4回くらい放送をしたが、そんな生活を 1年くらいしていた。 急にプロの世界に入ったら恐くなって、適応できなかった。 活動はしたが芸能人と言う考えができなかった。 放送局の食堂で、芸能人見をれば”芸能人を見た”と喜んだ。 そんな生活を 1年くらいしているうち自然に一般人に戻った。 その後、音楽が大好きで心残りがあったが、また再活動する機会があって、まるで実家へ行くように私がしたくてする音楽をしている"
 
  "学校に通っている時勉強をしなかったので、今また勉強を始めた。 自分だけでなく周りの家族たちにも良い影響を及ぼすように勉強をしている。"

  "本当に多様な世の中になった。 すべてのものが豊かな世の中だが、その中で貧困を感じる部分が多い。 人は 瞬間瞬間 選択しながら生きて行く。 本当に重要なことは自分に与えられたものをどのように正しく選択しながら生きていくのか。 そんな価値基準を作ることが重要である。"
 
 
 
 
 
 1987年MBC大学歌謡祭の画像から。この”今でも君を”で大賞を受賞し、チャップンハナの代表曲として、今や不朽の名曲になっています。http://blogs.yahoo.co.jp/yakkogacha/8818237.html
 
 黒い傷あとのブルース https://youtu.be/vhDe_9kBKwA