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武道上達法研究会|新大阪・川崎で沖縄空手指導

型や約束組手にとどまらない「使える心道流空手を教授する」ことをミッションと考えています。

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以前、当会の組手動画を見られた方から「素人の喧嘩か?」との感想をいただいた。

 

実戦云々との言葉は使いたくない。しかし、当会設立当初のコンセプトは路上の乱闘で使える空手だった。その意味ではお褒めをいただいたと感じている。

 

さて、沖縄空手はジャンプや上段蹴りのような見栄えがする技が少なく、型も決して鑑賞用として秀でたものではない。不自然な動き、無駄な動きは極力排している。とはいえ、人工物であるので鑑賞の要素をまったく排除したと言えば嘘だろう。シンプルな中にも自然な美しさを感じることができる。様式美のみを求めての稽古も否定はできない。

 

いっぽう、現実の戦い、特にルールのない戦いでは基本とは無縁な動き、力任せの技も含めて何があるかわからない。現実のストリートファイトにきわめてルールが近かった初期のUFCなども戦いぶりはカンフー映画やプロレスなどの華麗さとは程遠かった。

 

現実の戦いは勝つことが優先される。様式美を考慮する余裕などはないだろう。必ずしも美しいとは限らないことも知っておきたい。

 

 

 

甲子園のアルプススタンドで数10名の補欠野球部員がユニフォーム着用でチームを応援するという「美談」がある。彼らの多くは試合はもちろん、打撃や守備の練習機会すらロクに与えられないという。

 

不思議な話だ。球拾いや応援がしたくて野球部に入ったのだろうか。他人を応援するより自分の練習や娯楽のほうが大事だ、という感覚にはならないのだろうか。

 

倒産の危機に瀕して社員が一丸となって会社を立て直すドラマ(プロジェクトXなど)がある。逆に言えば全員一丸はドラマになるほど稀なケースということである。倒産間際になれば普通の社員が心配するのは自分の生活でありオーナーや役員の生活ではないだろう。

 

冒頭のようなシーンが高校野球で珍しくないのは指導者が


①補欠を含め皆に敬愛される無私の人格者

②目先の勝利のためレギュラー以外は奴隷かロボットと考えるエゴイスト


のいずれか。普通に考えれば②のケースが多いと思えるが。

 

 

 

武道界、特に古流、古伝を称する世界での不都合な真実。らくちん堂さんのブログから。

 

武的組手を指導いただいた I 先生はよく「先生の言うことだけをそのまま素直に聞いて強くなったヤツは案外少ないんや」と話されていた。


適当な気持ちで通ってくる稽古生が上達しないのは師の責任とは言えない。しかし、信者と呼べるほど熱意を持った稽古生が一向に上達しないのであれば指導力を疑われてしかたがない。

 

テニスやスケートなどでトップアスリーツのコーチ変更はしばしばニュースになる。彼らは生活がかかっている。自分の将来に責任を持てるのは自分しかない。

 

心道流型サンチンの終わり近くに「ナカワレ(中割れ)」と呼ばれる動作がある。

下の動画の1分30秒くらいの箇所(両手を下に向けて開くような動作)。

 

さて、若いころ、これの約束稽古として相手の両手中段突きを両手で受ける分解組手を教わり、道場で毎回のように稽古した(下記Xの動画の動作をモーションを大きくし、スピードをつけて行うような感じ)。

 

 

当時、本気で突かれたらこれでは受けられないだろうな、というのが正直な感想だった。

 

ナカワレはすべての受け技の基本と教わった。しかし、当時は理解できなかった。両手突きを両手受けで受けるという動作の不自然さもさることながら、そもそも忖度なしの本気の突きが真正面からのナカワレ程度で止まるものだろうか?

 

サンチンは基本型として初心から稽古する。その多くはそのまま組手では使えないような立ち方、動作で構成される。ナカワレは腕全体の力を抜き柔らかくローリングする。心道流の受け技は相手の攻撃を叩きつけるように受けるのではなくその柔らかさに特徴がある。

 

ナカワレが受け技の基本たるのは自身の身体に「柔らかさ」を創ることで相手の威力を吸収するような受け技を可能にすること。逆に言えばこのまま組手等で使えないことを気にすることはない。あえて実際の組手動作とはかけ離れたサンチンが大基本たる所以でもある。

 

 

私の空手歴は大学でのフルコン空手同好会からはじまる。


私にとって最初の空手師範は正道会館館長でのちにK-1を興す石井和義先生だった。当時から非常に頭脳明晰指導上手な方だった。沖縄空手はフルコンと術理がことなり、指導をそのまま流用はできないが「納得させて、具体的にわかりやすく」という当会の指導方針はフルコン時代に習得したものかもしれない。

 

クラブの日常の空手指導は先輩たちが行うのだが月に1-2度は石井館長が大学まで来られて直接部員を指導された。クラブの先輩たちの指導には?マークがつくものも少なくなかったが石井館長の指導では日常感じていた疑問が氷解することが少なくなかった。また、動作についての指摘も具体的でわかりやすい。高校の時の教師は部活顧問と比較し「さすがプロの指導は違う!」と思ったものだった(後年プロでも指導下手はいくらでもいることは知ったが)。

 

私が正道会館(当時 正道館)に所属した期間は1年少し。クラブの有力OBが石井館長と対立し、クラブごと脱会した。その後は卒業までOBが事実上師範となったのだが指導は石井館長と雲泥の差で大いに失望したことを覚えている。