書く📝
今日は、ざまざまなことを考えたんだ。
最近、日本が外国人に対して厳しくなっていること、私は理解できますし、賛成です。やはり、平和や調和のためには、ある程度の距離感も大切ですよね。
ちょうど今、この文章を読んでいるあなたと私の間にある距離のように。私の心を分かってもらうのに、そんなに近くにいる必要はありません。それに、ブログのようなオンラインの場では、「表」の顔なんて要らないのですから。
こうして自分の考えを書いているのは、『寂しい夜にペンを持て』を読んだのがきっかけです。ただ考えているだけではダメなんだと、そう気づいたからです。
私は日本が大好きです。そして、皆さんが創り出すものが大好きです。
日本語をN1まで勉強し、さらに流暢になるまで学び続けたいと思っています。というのも、私にとって、たとえ日本にいなくても、皆さんが創るものに日々触れていると言えるからです。そして、いつか日本にいながらでなくとも、日本の皆さんとコラボできるかもしれない、そう思っています。
ですから、これから私たちの間に必要となるであろう距離ができたとしても、私は日本語の学習を続けます。たとえ私がインドネシアと中国のミックスであることや、外国人であることを理由に日本に受け入れられなくても。それで何かが変わることはありません。
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そもそも、人間として生きるのは簡単なことではありません。最適な場所、最適な時に生まれる人もいれば、そうでない人もいます。幸運な人もいれば、苦しんでいる人もいる。だからこそ、歴史は繰り返すのです。多くの状況によって時代と共に失われる文化遺産のように、良い世代もあれば、悪い世代も現れるでしょう。戦争もあれば、平和もある。
言語は、生きとし生けるものが創り出した最も重要なものです。コミュニケーションは、それほどまでに大切なのです。それなのに、情報を後世に伝えられるのは人間だけです。
それでも、私たちは知識が途絶える時に抗うことはできません。人はあまりに忘れやすく、そしてあまりに破壊的だからです。図書館は焼かれ、歴史は変えられうる。「歴史は勝者によって書かれる」という言葉があるよね。
それは、到底手なずけることのできない力。 決して閉じることのできない、パンドラの箱なのです。
つまり、平和や心地よさのためには、ある程度の距離感が自然なことなのです。私たちが壁を築き、法を定め、税金を納めるのは、それが必要だと知っているからです。
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私が日本語を学ぶのは、皆さんが私を助けてくれたように、私も皆さんを助けられるようになりたいからです。そして、心地よい距離感で、皆さんのお手伝いをしたいと思っています。
これまで日本語を教えてくださった先生方へ。あまりに多くて、今ではもう数えきれないほどです。皆様の助けに、心から感謝しています。本当にありがとうございました。
Fin