神道「中今」の思想、原典資料 | 魁!神社旅日記

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よく神道で「中今」(なかいま)の思想、あるいは「中今」の精神ということが語られます。

 

しかして、その「中今」の資料的根拠を明示しているサイトや話は非常に少ない。

 

というよりほとんど見当たらない。「中今」の精神を語っている人たちもそれが古典のどの

 

資料に出ているのか把握している人たちはほとんどいないのではないか?

 

一体、日本の古典のどこに「中今」という言葉が実際に出てきているのか?

 

本日、偶然にもその資料について書いてある本を読みました。

 

そもそも、この「中今」の思想を古典から見つけ出し、現代的な思想として

 

甦らせたのは戦前の国学者で「最後の国学者」とも呼ばれ神宮皇學館の学長も

 

勤められた山田孝雄先生が昭和11年に記した「國體の本義」という本においてであります。

 

その中で山田先生は「続日本紀」巻一の文武天皇即位の宣命の中に「中今」を発見されたのです。

 

「 現御神止アキツミカミト大八島国所知シロシメス天皇大命良麻止スメラガオホミコトラマト詔大命乎ノリタマフオホミコトヲ
集侍ウゴナハレル皇子等ミコタチ 王等オホキミタチ 百官人等モモノツカサノヒトタチ 天下アメノシタノ公民諸オホミタカラ
モロモロ 聞食止キコシメサヘト詔ノリタマフ
高天原爾タカマノハラニ事始而コトハジメテ 遠天皇祖御世トホスメラギノミヨ 『中今』 至麻弖爾ナカイマニイタルマデニ 
天皇御子之スメラガミコノ阿礼坐牟アレマサム彌継々爾イヤツギツギニ 大八島国将知次止シラサムツギテト 天
津神乃御子随母ナガラモ 天坐アメニマス神之依之奉之カミノヨサシマツリシ随マニマニ 聞看来キコシメシクル此コノ天
津日嗣高御座之タカミクラノ業止ワザト
 」

 

(上記、原文、以下のサイトから引用させていただきました。

http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7752/775214.htm 

1401 範例祝詞[宣命] 参考:堀書店発行「祝詞範例全書」)

また巻四和銅元年春正月の詔書にも

 

 「高天原より天降りまします天皇(すめら)が御世(みよ)に始まりて『中今』に至るまで」

 

 というところでも出てきていると述べておられます。

 

 「この「今」といふ語と「中」というふ語を結び付けたるものを考ふるに。「今」は時間についての現在をさせる語 にして、 これを「中」といふ語を用ゐてそれを制限せる以上、その「中」といふ語は時間の上に用ゐられたるもの なるはいふをまたず。 然る時に、時間は一延長のみのものなれば、その「中今」といふ語は「現今」といふ ものを以て、その時間そのものの「中」なりと 観ずるものたるや明らかなり。されば、これはこの「今」は以前即ち過去と 以後即ち未来との中なりと観したるものといふべきなり。 而してこれは現在の世を「中」なりと観ずる思想をあらはしたるものにして即ち現在を以て過去より将来にわたる 永遠の時の中間なりとするものたること明らかなり。 なほ又中今の世といふその「よ」といふ語もこの思想の存することを証するものなり。 「よ」といふ語は竹てに節と節との 間をいふ意に用ゐたるものが最も具体的に簡単にその本意を示すものといふべく、 これを今も人生について「よ」 といへるは、人が生きるといふ節より死ぬという節までの中間をいふものなりと知られたり。」

 

 (以上、参考文献「GHQ焚書図書開封4」西尾幹二) 

 

以上のように現在言われている神道思想の「中今」についてはこの山田孝雄先生によってあきらかにされたものが

 原点であろうと思われます。