神道団体「随神大孝道」について | 魁!神社旅日記

魁!神社旅日記

神社を旅した日記感想等をつけていこうかと思ってます

「随神大孝道」は神道修成派大教正・影山庄平が昭和7年に名古屋市に本部を設置してはじめた

 

神道団体である。

 

庄平翁は明治19年、愛知県豊橋市東田町字西脇77番地(渥美郡豊岡村、当時)生まれ

父・愛蔵、母つねの長男

 

8歳にして神道修成派教師・鈴木善右衛門、丸地熊蔵、土屋瀧蔵の三師より同派の教法並びに祈祷禁厭を授けられる。

 

大正2年、28歳の時に神道修成派大教正・安藤加亭翁に師事

 

大正3年、29歳の時に神道修成派教師試験に合格し、同派神道教師となった

 

37歳の時には愛知県蒲郡市砥上山に入り、7年間の山籠もりの修行を行う

 

昭和6年、46歳にして神道修成派権大教正となり

 

翌、昭和7年に名古屋市千種区内山町32番地に随身大孝道本部事務所を設置し、機関紙「大孝」を発行した

 

しかし、昭和10年、50歳の時に神道修成派管長・新田邦達より円満なる離脱勧告を受け、神道修成派から

離脱することとなった。これには昭和八年に庄平翁の長男・影山正治氏が神兵隊事件に連座し入獄したことが

関係していると思われる。

 

昭和11年には愛知県春日井郡守山町に楠公父子の銅像を建立した(作者:多和田泰山)(戦後、大東農場に遷座)

 

昭和15年、宗教結社法により随神大孝道の結社届を行う

 

昭和18年、豊橋市東田中郷に大孝道御嶽社本殿拝殿を竣工(当社は大正初年に焼失したものを再興したもの)

また隣地に「大孝道場」を創建した。

 

以来、随神大孝道場は有志らにより今日まで維持されている。

 

 

(庄平翁語録)

 

〇修理固成、光華明彩の八字に勝る有難いことはない。口に唱えて、心に守れ。

 

〇禊は天日を仰ぐ道、天日出現の道

 

〇廣く安らかに清くして滞りなく綺麗さっぱりとして葦芽の己が生成の氣おのづから爽やかに生き生きとしてくる、

この意味が天命の神慮修理固成の理想の要点である。

 

〇天を信ぜば命を尊ばざるべからず。命は修理固成なり。

 

〇白幣、青幣に対しては国民は純白清浄に固まっているか、わが心は純白清浄修って居るか。国民は青々とした生氣元氣に

張り切って居るかを反省することだ。

 

〇高天原も動く程の至誠

 

〇八紘一宇で立ち止まっているのが悪い。別天つ神神代七代に立ち帰れ

 

〇天命の修理固成こそ人生の大目的ぞ。たたみ込め人

 

 

 

(辞世)

 

こんとんをひらきて今や天地の始発(はじめ)の時と祈り行くなり

 

國うれふたけ心のきはまりて静かなるかも神あがるとき

 

神ながら己が祈りの身ごもりて天の御柱國の御柱