禊教の「祓修行」の変遷について | 魁!神社旅日記

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幕末に起こる純神道の注目すべき一派に「祓修行」という「息の行」を

 

中心にする神道の一派、のちの教派神道・禊教がある。

 

江戸時代幕末に遡る純神道の教えと行をもつ貴重な神道一派である。

 

この神道教派は江戸時代に幕府より弾圧されたために潜伏して活動していたために、

 

多くの系統が出て、そのまま後世に受け継がれていったようである。大きくは「大成教禊教」と

 

「禊教」の二つである。それ以外にも幕府の弾圧を避けて仏教の形をとった系統もあったようである。

 

その中心となる行は大声にて三種祓い「とほかみえみため」を唱える行であるが、

 

これにも変遷があったことを告げる記事があったので以下に引用したい。

 

 

「この術は昔の修行と今の修行とが変わっている。正鐵翁の直伝とないと云う人もある。

 

どうも「とほかみ」の祓いでなければいかぬと若い人の修行に非難攻撃を加える人がある。

 

これは一を知って二を知らぬ人の申される事である。なる程「とほかみ」で昔は修業されたに相違

 

がない。「とほかみ」だけでは神道と申し難き事が多くあった。種々の講義をする時に仏説が多く、

 

何れが神道で何れが仏教であるか判らない。そこで仏教から来た強い信仰者は仏教にかたより、

 

神道で修行して行かうとする人々は神道と云う事になり、神道の形式を履んで禊祓を以て

 

口称して修行する事となった。甫は中臣祓でやったが長い文句の為に修行者が会得するのに

 

骨が折れる。それで美曾岐祓を用いる事になつた。禊祓は身心を清浄にする又浄化して行く。

 

又一方の「とほかみ」の人々は「とほかみ」という祓へ言葉だけを根本としているが

 

その根本即ち教祖が何故に三種祓を用ひられたるかと云う其の本源を明にしない。

 

唯々伝統的に之を用ているだけである。若し其の根本が明に知っている

 

事であれば先年末の教職騒動だとか破門さわぎがあるものではない。その形式に流れ実を

 

失ったやうである。息正しければ行ひ正し、と先師の申されたのは此処である。其れで

 

一は仏教で修行する一派、一は神道で修行する一派に分かれ、更に神道に一は禊派、

 

一は「とほかみ」派に分かれた。何れも其の奥に進めば同一なる正鐵翁の伝へたるものであるに

 

帰着する。彼を指してこれは違つている。自己のほうが正しいと云う。其の正しいと云ふのは、

 

形式の口称にあるのか精神にあるのか、精神が先になって口称が後になるのか。愚老の眼から見て

 

は何れも大同小異で、正鐵翁の苦心されたのは呼吸即ち息の術であった。」

 

「愚老医談」(『唯一』二巻八号、昭和九年八月、禊教本院)

 

以上引用元:「禊教の初期門中と弾誓流高声念仏の復興」萩原稔氏 より

 

 

以上のことから明治時代に公認された「吐菩加美講(とほかみこう)」が後に

 

「身禊講社」と名称を変えたのも行法のこうした変遷があったからと推測されます。

 

そして、この「禊祓」はまだ平田派国学派の影響が残っていたと思われる当局への

 

大いなるアピールになったと思われます。

 

なぜならこの「禊祓詞」は平田篤胤その人が古典に伝わる各祝詞や禊祓いを編集して

 

作ったものであるからである。

 

そのような経緯を踏まえると現在の「禊教」という名称も「禊祓詞」に由来するものとも言える

 

のかもしれない。いままで「祓修行」をその特徴とする禊教がなぜ「禊教」という名称なのか

 

疑問を感じる部分があったが、それは井上門中のなかでも伝統の「三種祓い」や仏教系の高声念仏の

 

一派と差別化し、より神道的な「禊祓」を用いた一派ということがこの教団名につながっていった

 

ものと推測されます。