尾張国熱田太神宮縁記 現代語訳
を買いました。
あとがきには以下のとおり記されていました。
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「但しこの神の社、もとは縁記がなかったので、去る貞観十六年の春、神の宮の別当
正六位上(しょうろくいのじょう)尾張連清稲(おわりのむらじきよしね)が古記の文をさぐり、
遺老の物語をたずね、草稿を作り、縁記を編集した。
守従五位下(かみのじゅごいのげ)藤原朝臣村椙(ふじわらのあそんむらすぎ)が職務の
暇(いとま)にこの文を披き見て、表現の粗朴なのを嫌い、儒者をたずねて文句を
ととのえ、添削した。願わくは、これをもって、神明の霊跡、万代の長伝となしたい
ものである。三通を写し、一通は朝廷に進呈し、一通は社家に贈り、一通は国庁に留める。
寛平二年(西暦890年)十月十五日
右大臣(藤原)基房(もとふさ)公は、勅を奉じて当社の縁記をお尋ねになった。そこで家蔵の本を
書写して献上する。
延久元(西暦1069年)年八月三日
大宮司従三位伊勢守尾張宿禰昌信
(終)
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熱田神宮の縁記が890年にまとめられたことがわかりました。
寛平二年は平安時代前期、宇多天皇の時代でした。
古事記や日本書紀の成立のだいぶ後なので、これらの記事の影響を受けて
成立していると考えられます。