FUKAIPRODUCE羽衣『瞬間光年』 | カラサワの演劇ブログ

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FUKAIPRODUCE羽衣『瞬間光年』於こまばアゴラ劇場。

 

司会者「糸井幸之介作・演出・音楽の舞台を唐十郎の劇団『唐組』出身の女優・深井順子がプロデュースするミュージカル(妙なミュージカルという意味で“妙ージカル”と称している)上演劇団、『羽衣』の公演です。ストーリィは……といつも最初に説明するのが私の役割ですが、これはちょっと無理ですね(笑)。いちおうエロティックSFと銘打たれていて、宇宙を航行する宇宙船の乗組員二人が狂言回しですが、まったくそれとは関係ない6つのセグメント、そしてダンスで構成されているシュールな短編演劇集です。共通のテーマらしきものをあえて探せば“孤独”とか“寂しさ”となるのでしょうか。人間と人間、そして宇宙とのつながりを言葉でなく、動きと感覚で表現した作品です」

 

演劇ファン「……僕は練られたストーリィが好きなタイプなので、パフォーマンス的、アングラ的な舞台と聞いて少し不安だったんだけど、いや、1時間45分をほぼ、退屈させずに見せた構成と役者さんたちの肉体的動きに感心しました。内容はさっぱりわからないんだけど(笑)、観ている間はひたすら面白く、目が離せない。“人前で何かを演じてみせる”という演劇の、原点みたいなものじゃないかな、これは。長期公演にもかかわらず満席の人気だったのもうなづけます」

 

古手の演劇ファン「唐組出身の深井が主宰だけあって、かつてのアングラの匂いが紛々とただよってくる、懐かしい舞台だった。若い人たちにはかえって新しいと思えるかもしれないが、私の世代にはむしろ懐かしい。紅テントの雰囲気を味わえたよ」

 

羽衣ファン「これは羽衣の作品としてもちょっと異色作。普段の妙ージカルはもうちょっとストーリィもあるわよ」

 

パフォーマンスファン「演劇の基本が肉体の動きにある、ということがストレートにわかる舞台だった。1時間30分が過ぎたあたりで謎の1分間の休息(笑)があるのだけど、あれは続いての15分間のダンスパフォーマンスの前置きなんだな。これが前半90分を上回るインパクトをこっちに与えていた。音楽の効果も素晴らしく、振付も単純なんだけど、その繰り返しが理性をマヒさせて、身体の芯からじーんと響いてくる振動みたいなものを直に感じ取れる。頭じゃなく、全身で受け取る情動というものだったと思う」

 

コメディファン「……なんで、終演後、ロビーで“今回の上演台本を販売しています”というスタッフさんの声がけがギャグに思えてしまいました。台本読んで意味あるんかい、って」

 

SFファン「でも、SFと名乗る割にSF的要素は薄かったな。人間の赤ちゃんと同じ反応をするようプログラミングをされた赤ん坊ロボットが、主人夫婦に本当の赤ん坊が出来て、それに嫉妬して……という話がいちばんSFぽかった」

 

演劇ファン「いや、そのセグメントが演劇としてはいちばん見劣りがした。なんか、理屈がかってしまっていて。それよりは、本当にいるのかどうかわからない、待ち合わせになかなか来ない“真の友人”を探してロンドンからマンチェスター、インド、月世界にまで行ってしまうというぶっ飛び方を見せる“ハンドクラップマン”の話とか、“臨終間際の徳川家康が未来の日本から人類、地球、宇宙の終焉までを予測してしまう”話とかという、ナンセンスという言葉すらナンセンスに感じてしまうぶっ飛んだイメージのセグメントの方がずっと演劇らしい。……さらに言うと、“エロティックSF”のエロティックの部分も、余計に感じる。幸田尚子が演じるプラネタリウムでの女性の独白、“風で陰毛がそよぐ”とか“彼のツンパがテントを張って”とかもそうだし、セックスを連想させる動きをするのも、普段の羽衣公演なら面白いしエロ要素は小劇場演劇に必要なものと思うのだが、こういう作品では逆に夾雑物に感じられてしまうのだよな。……それだけ、パフォーマンスによる表現の技術が素晴らしかった、ということで、純粋に、身体表現のみを味わいたい、という要望がこちらの中に生じたからだろう。最上等のうな重を味わうのに、脇皿の刺身とかは邪魔、奈良漬け程度でいい、というようなものだ」

 

レトロおじさん「……しかし、幸田のセリフの“ツンパ”には笑ってしまった。ストリップ用語を業界人が使い始めたもので、今どきちょっと聞けない単語だよ。実際に耳にしたのは三十年ぶりくらいになるんじゃないか」

 

演劇史研究家「現代の小劇場演劇は、さまざまな面においての両極化、先鋭化が進んでいる時代と言えます。それは観客の嗜好の先鋭化に関係している。先ほどうな重のたとえが出たが、ストーリィも演技も演出も音楽もまんべんなくいいものを提供して観客に味わってもらいたい、という“幕の内弁当”式の舞台はもう受けなくなっている。むしろ、雰囲気さえ楽ませてもらえれば辻褄なんか合わなくてもいい、イケメンが出るなら徹底してそのイケメンぶりを見せてくれれば、余計な人間描写なんかいらない、という一転集中主義の観客が増えてきました。その時代の先端にあるような演劇といった気がします」

 

歌舞伎ファン「それは、趣向だの人気役者の男っぷりだのをひたすら強調するために他の要素を捨てて顧みない歌舞伎のやり方に還ったということかな。やはり新しさを求め続けると古いものに還るという証明だな」

 

司会者「少し話が広がり過ぎてます。『瞬間光年』に戻りましょう」

 

小劇場演劇ファン「戻るのかさらに広がるのかわからないが、主宰の深井順子がカーテンコールの挨拶で“わたし、もう四十なんですよ”と言っていた。2004年に劇団を糸井幸之介から引き継いでもう13年になるのだから、そんな年齢だろう。今回、原点のアゴラ劇場に戻ったというばかりでなく、当パンでも“新たな出発”“新しく生まれ変わる”と言っている。確かに年齢を感じさせない若さと新しさはあったが、しかしこういう挑戦をするということは裏を返せば、年齢的、体力的に限界を感じ始めている、ということだろう。小劇場演劇自体が、20代の若者のものなんだよね、本来は。その年代の演劇ブームで舞台を始めた老舗の劇団の主宰者たちが、みんな40代、50代だ。『エロティックSF』と銘打ったのは偶然かもしれないが、SFもいま、読者と作者の高年齢化が問題になっている。小劇場演劇界も、じわじわと高齢化の波が押し寄せている。今回の公演は、その波にあらがった成果として記憶されると思うが、しかし、それにだって限界がある。次のステージにどう進んでいくか、を観劇の帰途、ずっと考えてしまった」

 

演劇おじさん「確かに、私の年代の人間にとっては満席の、アゴラのあの椅子に1時間45分座っているだけでかなりきつかった。なるほど小劇場演劇は若者のものだな、演じる方ばかりでなく観る方にとっても。感覚は常に若々しく保っているつもりでも肉体は裏切りますよ」

 

レトロおじさん「いや、感覚も同じです。ツンパはまだギャグとして使った、と言えても、最初の空気のセグメントには“パンティ”という単語が出てきた。これを無意識で使っているとなると、確かに危ないかもなあ」