卓越した技術 【訃報:マーティン・ランドー】 | カラサワの演劇ブログ

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マーティン・ランドー死去。89歳。

 

写真は彼が22歳でN.Y.デイリー・ニュースでマンガ家・挿絵画家として働いていたときのもの。美青年であるが、どこか日常性の欠落した容貌である。

 

彼はここに勤めるうちに演劇に興味を覚え、リー・ストラスバーグが主宰する俳優養成所『アクターズ・スタジオ』の試験を受け、入学する。2000人の応募者のうちから、合格したのは彼とスティーブ・マックイーンの2人だけだったという。

 

当初は舞台で活動していたが、やがて彼はその独特の風貌をかわれて、演技派悪役俳優として映画界で名前を売りはじめた。ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』(1959)で、ラシュモア山でゲイリー・クーパーを追う殺し屋などが有名だが、しかし彼の名を一躍ポピュラーにしたのは、テレビドラマだろう。

 

ことに『アウター・リミッツ』などSFものは、彼の持つ“非日常”的イメージが活かされ、そこに目をつけたプロデューサーのジーン・ロッデンベリーから、1966年、SFもののレギュラーキャラクターのオファーがきた。だが、なぜかランドーはそれを断り、代わりに演じたのが『スパイ大作戦』(1966)における変装の名人、ローラン・ハンドの役だった。最初はゲスト出演だったが、この役が人気を得て、やがてレギュラーに昇格、彼の代表作となる。

 

……ちなみに、彼が蹴った役は友人のレナード・ニモイが演じて、一種のアメリカン・レジェンドとなる。『宇宙大作戦(スター・トレック)』のミスター・スポックである。さらにちなみに、『スパイ大作戦』でランドーが降りたシーズン4では、レナード・ニモイが同じ変装の名人“アメイジング・パリス”役で出演したが、ニモイ曰く

「あまりにもマーティンのイメージが強すぎて、視聴者に記憶もされなかった」

とのこと。

 

ランドーが『宇宙大作戦』でなく『スパイ大作戦』(今気がついたが両方、邦題が『大作戦』なのだな。もちろん、1965年公開の映画『バルジ大作戦』の影響である)を選んだ理由は定かではないが、『スパイ〜』には愛妻のバーバラ・ベインがレギュラーで出演していた。おそらく、共演したかったのではないかと思う。彼ら夫妻はその後、『サンダーバード』のITCが制作したSFドラマ『スペース1999』(1974)でも共演して、ハリウッドいちのおしどり夫婦として知られていたが、1993年に離婚。……なにがあったのだろうか。

 

ランドーのフィルモグラフィーを見ると、あれだけの演技力を持ちながら、B級ホラー作品や三流SF作品が多い(それだけにマニアにはたまらないのだが)。これは、やはりアクターズ・スタジオ出身者特有の反逆精神のあらわれだろう。なにしろあのポール・ニューマンやマーロン・ブランドを輩出したところだ。彼のキャリア初期には『クレオパトラ』(1963)や『偉大な生涯の物語』(1965)といった超大作が並ぶが、こういった空虚な大作で要求される演技に嫌気がさしたのだとしか思えない。

 

テレビでもその演技力は他を圧しており、例えば『刑事コロンボ』で彼がゲスト出演した『二つの顔』(1973)は何と双子の役で一人二役。兄弟ながら性格が正反対の二役を軽々と演じていた。こんな役が回ってくるのも、“ランドーならやれる”という評価があったからだと思う。

 

そして、彼はその卓越した演技術でB級ホラー俳優の元祖とも言うべきベラ・ルゴシを演じた『エド・ウッド』(1994)でアカデミー賞を受賞した。ランドーの顔立ちは決してルゴシに似てはいないのだが、しかしその風格、その立居振舞、舞台役者(ルゴシはハンガリーの舞台の人気俳優だった)独特の大仰なそぶりはまさにルゴシそのものだった。あの役での受賞は、ランドー個人という以上に、アカデミー協会が、自分たちがそれまで無視し下に見てきたB級映画という分野を映画の重要な一ジャンルとして認めた、記念すべき受賞だったと思う。

 

われわれ世代の映画遍歴は、マーティン・ランドーという一人の強烈な個性を持った役者が、ハリウッド本流に反抗しながらも、次第に草の根的にファンを増やし、ウッディ・アレンやティム・バートンという才能ある監督に起用され、その演技の技術を十二分に発揮して、俳優としての栄光を得るまでをリアルタイムで目撃することが出来た。多幸と言えるだろう。ルゴシ本人の哀しい晩年を思うとき、いまはいい時代だ、としみじみ感ずる。冥福をお祈りする。