被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。


震災から半年余り後に、津波の被災地を訪れましたが、あまり被害の大きさに言葉がありませんでした。田老の防潮堤も、実際にその上に立ってみて、初めて津波の圧倒的な力の前に、人知ではどうしようもない自然の力を目の当たりに感じました。


でも、それ以上に、誰もいなくなった飯館村の風景が、今だに忘れられません。
見た目はどこにも被害がないのに、怒りとも無力感とも何ともいえない気持ちになりました。


「原発は、二度と動かしてはいけない」

私は分野こそ違うものの、いわゆる科学技術を生活の糧にしていた人間なので、事故の後に原発の真実を知り、その重大な危険性に気づいていなかった自分が情けなく思いました。そして、人にとって本当に大切なものを見失ってしまっている科学技術の現状に大きな疑問が生じました。


報道規制や言論統制についても原発報道によって見る目が変わりました。


3月12日以降、原発に関するまともな報道が消えました。報道されるのは、単位も混乱した放射線量の断片的な値と、「直ちには影響ありません」(急性障害が生じないとの意味)との報道だけでした。


民放でも、新潟県職員が0.1ミリシーベルトの被曝が最初大きく報道されて以降は、ほとんどまともな報道がされませんでした。


ネットのCNNニュースで1号機の水素爆発映像を知りましたが、日本のテレビでは私の知る限りその映像は放送されませんでした。


大手メディアに大きな不信を感じ、各地のモニタリングポストの値や放射性降下物、水質、有志のガイガーカウンター、風向きなどをチェックし、ひたすら自衛のためネットで情報収集を行ったのを覚えています。

当時、数少ない信頼できる情報を提供していたのが「たね蒔きジャーナル」という毎日放送のラジオ番組でした。小出氏が解説をしていたのですが、関東では直接聞けないので、有志の方がネットに録音をアップしてくれ、その情報が頼りでした。


ツイッターでは、危険デマも安全デマも、工作員による誘導と玉石混交で、瞬時に情報を見極める力が必要だと痛切に感じました。



あれから4年。


大手メディアは相変わらず真実や核心に迫る内容は報じません。


実は、今までも気づかなかっただけで、みんなが揃って騙されていたというのが正しい表現かもしれません。表向きの歴史や報道は、時の権力者によってコントロールされてきました。


「気づかないほうが良かったのかも」

「開けなくてもよいパンドラの箱を開けてしまった」


後悔や迷いの気持ちも正直あります。


しかし、気付いてしまった以上は、


将来の日本のため、

真相に気づいていない多くの女性や子供達を守るため、

二度と戦争に巻き込まれないように、


できることを微力ながらも続けていきたいと思います。