信号の色(赤/青/黄)の配置順を問うクイズがTVなんかでたまに出ることがある。

 

答えは「危険」を知らせる「赤」が一番見やすいように、横型であれば車道側に、縦型であれば一番上に「赤」が配置されているという。

 

危険を知らせることが最も重要な目的だから、ということだそうだ。

 

一応、「赤」だけでも信号は機能できて、実際にそういう信号もあるくらいだ。

 

「赤」が最も重要であるというのは恐らく動物にも当てはまる。(植物はよくわからない。)

 

動物はあちこち動き回るので、センサーを発達させてきた。

 

動き回る時に、危機を察知できる能力が低いと生き残れる確率は低い。

(痛覚が極端に鈍い病気があるが、その状態は非常に危険だという。)

 

そして、進化の過程で危機察知センサーは単純なものから複雑なものへ発展を遂げた。

 

人間の危険を表す言葉としては、痛い、熱い、冷たい、怖い、腹減った、不安etcたくさんある。

 

「ストレス」と言い換えることもできる。

 

これらのストレスを感じない快適な状態を感じることはあることはあるが、ずーっとその状態を保つことはできない。(全身麻酔などで意識を失っている人はストレスを感じていないと言えるかもしれないがその状態を永続することを望む人は少ないだろうし、その永続を望むような人のストレスはたぶんかなり強いものを抱えていると想像する)

 

基本は「赤」=「危険」だから、ストレスから完全に逃れることはできない。

 

 

 

人生は苦(=ストレス)だ。

 

仏陀のこの言葉は、私にとっては「そうであって欲しくない」「そこから抜け出せる人生もある」と思いたくなるような言葉だ。

 

しかし、動物の基本設計上そこから完全には苦(=ストレス)から逃れることはできない。

 

 

 

たぶん、仏道はストレスを最小化する方法を示しているのだと思う。

 

 

しかし、そこに入りたくないと抵抗する自分がいる。

 

その抵抗する心も恐らく別の基本設計に理由がある。

 

その基本設計に関しては後日、記入してみたい。