人は生まれてからずっと、レッテルを貼られ続ける。

“ナルシスト”

“地雷系”

“射手座”

……

 

レッテルがあると、何もかもが分かりやすくなって、可視化されて、理解したりコミュニケーションを取ったりするのにかかるコストが限りなく0に近くなる。16タイプ性格診断をやって、「ENTP型(討論者型)の男はあなたに合わない」という結果をもとに、267人の潜在的クズ男に挨拶すらしなくなっているかもしれない。“米津玄師”・“ヨガ”・”ハムスター“などの共通の趣味をもとに、自分を受け入れてくれるグループを見つけて、似たような仲間といることで楽しく生きているのかもしれない

 

人はやっぱり、お互いのレッテルを確認することで、お互いの存在を確認しているんだ。

 

レッテルは、孤立した島同士を繋げて巨大な陸の塊をつくる、弓矢を持ったキューピットなんだ。

 

でも、そのうち、ある現実に直面することに気づく・・・

 

レッテルも残酷な魔法になりうるってことに。不確定な要素とか人の性格の複雑さとかを全て消し去ってしまうってことに。

 

だんだん、自分のレッテルに背くようなことができなくなっていく。

 

“あれ、○○くんの単推じゃなかったの?なんで他のメンバー応援してんの?やっぱ、にわかファンだったんだね。”

 

“あれ、性格診断でISTP型(巨匠型)の人と一番うまくいくんじゃなかったっけ?気が合わなそうでも、もう何回か会ってみなよ!“

 

“気をつけて!蟹座の男はクズなやつが多いから!”

 

ちゃんと相手のことを知る前に、レッテルで相手に死刑判決を言い渡すこともできる。でも、良いレッテルは誰も手放したくない。

 

そうやって考えると、なんだか悲しくならない?私たちはレッテルの支配から永遠に逃れることができないのかな?

 

私、思うんだ。Karapartyだったら、レッテルのしがらみにとらわれないで、自分を表現できるんじゃないかって。

 

“え、なんでこんな時間にカラオケに来たの?”

“さっき歌ってた曲、なんか、お前の雰囲気にあってないよ。”

“この曲って、あのバンドの一番有名な曲みたいだよ。どう思う?”

“待って待って、この曲ってデュエット曲だよね?わかった!うまく歌えるようになったら、イケメンと一緒に歌おうと思ってるんでしょ?”

……

 

“違うよ。”

“ただメロディーがいいなって思っただけだよ。”

“歌詞が心にしみる感じだから、歌ったんだよ。”

“……結構いい曲でしょ?”

 

私たちはレッテルの世界に生きている。世界中で毎秒、レッテルを貼ったり貼られたりってことが起こっている。それを止めることはできない。でも、減らすことはできると思うんだ。

例えば、どこかのグループに所属することに執着するのをやめたり、

不必要な話題をふるのをやめたり、

季節・性別・場合による制限をなくしたり、

 

それか、いつもは人前で歌わないような曲を歌ったり。