とうとうこの日が来たか…
てか、1位かよっ!
というわけで花園大学の藤原聡大投手が2025年ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスより1位指名を受けました
感無量
34年前にたった4人で創部した野球部
その頃には全国大会行ったりとかプロ野球選手が出てきたらいいよね
そんな会話を幾度となくしていました
あの頃は大学も無名、リーグのレベルもお世辞にも高くなく、そもそも一般学生4人なのでリーグ加盟もできるようになるのかもわからない、そんな状況で夢のまた夢、そんなことを夢として語っていたものでした
1人増え5人で学校のグラウンドも借りることができず、松尾橋にあるグラウンドまで行き練習をして、時には学校の狭いグラウンドが空いてる時間にコソッと練習したりして過ごす日々でした
京滋野球連盟に電話をかけて、どうすれば加盟できるのか、そして大学でも顧問の先生を誰にどうお願いしようか、そんなとこからのスタートでした
翌年に私は北京へ行くことになり1年経った時に野球部に戻るとリーグに準加盟して部員も11人まで増えていました
そこから更に正式加盟となり、新入生も増え野球部としての体裁は出来上がりました。1993年の話です
初年度に春のリーグで2部で2位、秋に優勝いたしました
その時昇格できたかどうかの記憶が定かではないですが…
春を現役で、秋をコーチで野球部での活動を終えました
創部に差し当たって、準硬式の野球部の納会の後
「硬式野球部を作りたいねん」
とその日朝まで語り合った佐々木
和歌山日高高校でエースとしてセンバツの開幕試合で投げていた投手がまさかの花園大学に入学していたのです
1回生の準硬式野球部の頃からなぜか馬が合って仲が良かったのですが、その佐々木が心境を吐露した冬の夜…
わたしは二つ返事で協力を約束し、その野球部から更にサイゴウと吉田の二人が加わりました
他のメンバーは、やはり試合をしたい、創部すら見通しが立たない野球部に入る事はできない、と
その気持ちも十分に理解できたのでこの4人で始めることになりました
夜中に準硬式のかんとくが部屋に来て、硬式をあきらめて戻ってこい、と何時間も説得をされたけど、うちらは硬式やって大きくなります!と豪語もしました
その後、野球部ですらなかった野球好きの川田が入部。この5人での思い出は一生忘れない
野球部には入部しなかったけどノックなど打ちに来てくれた黒木くん、準硬出身なのにこっそり応援してくださった赤松さん。思い出は尽きない
そして忘れてはいけないのが初代顧問の金子先生。
週の真ん中数日だけ花園大学に来て週末週始めは関東という生活の中、我々に常に寄り添って野球部を守ってくださいました
一昨年には東京ドームでともに全国大会を観戦もしました
それから30年余り。野球部は大きくなり30数年分のOBと100名を超える現役部員を抱えることとなりました
その間に全国大会にも2度出場
そして今年悲願のプロ野球選手の誕生を迎えました
やはり一番の貢献者は佐々木
彼が前述の言葉を発さなければこの瞬間はなかったのだから
自分の野球の上達を捨て創部に尽力をして、4年春はコンディションも最悪の中2位に押し上げ、秋は監督として優勝を果たしました
佐々木は今どうしてるんだろうな、とか、考えたりもします
この喜びを一緒に味わいなかった、と思います
きっと、ウチらには関係ないことや
と一笑に付すだけだと思います
まあ、ともかくこうして30数年前の思い出を語ることができたのも藤原くんとここまで野球部を継続してくれたOBや関係諸氏の皆さまの尽力あってのことだと思います
心より感謝申し上げます
改めまして藤原聡大投手、おめでとうございます
ここまで届きかけて届かなかった皆さんの無念も晴らすような活躍を期待しております




