「正直者が馬鹿を見る」って言葉、聞いたことあるでしょうか?

旧統一教会では初期の頃(1971年頃)は「正直者が馬鹿を見ることが無い世界を造ることが統一教会の目的だ」みたいな事を言ってましたが、終わってみれば逆でした。

 

「自分に正直に生きる」という言葉も聞きますが、自分に正直に生きるという自分は何に正直なのと考えてしまいます。本心なのか、本能なのか、良心に従ってなのか?

口では人の成功を賛美しながらも、心の片隅では嫉妬等で嫌な思いをしてるとか。

「他人の不幸は蜜の味」なんて言葉もあるくらいだから。

  人間は両方の性質を持っているんでしょうけど、統一原理(人間が相反する性質を持っているのは堕落している証拠と決めつけている)が主張するように破滅状態に陥っているわけでも堕落しているわけではないと思います。

  なぜなら、人間が生きていると躁の状態と鬱の状態が交互に波のようにやってくるのと同じで時間差があるから矛盾することはないわけです。愛する時があって、憎む時があってというように。簡単にいえば人生には山があり谷があるというだけのことです。

 

「自分に正直に」というのは言い換えれば「自分の感性に従って生きるということなのかもしれません。

 

こう考えると、もう哲学の領域になってしまって延々と続きそうです・・・・・

 

正直というのは重要なことだけど、何に対して・誰に対して正直なのかというのが大事であって、考えもしないで、とにかく正直というのでは、それはやはりバカ正直となるのではないでしょうか。

 

「神様に対してなら」と言いたいところですが、その神様は「本当の神様なのか」と問いかけるところから始めなければなりません。もちろん、それ以前に「神とは何か」が自分なりに分かっていなければ先に進めないと思うんですよね。色んな宗教の唱える教祖の言葉をそのまま神の言葉と信ずるのは盲信の可能性が大いにあります。

 

昔から「我が仏尊し」・「我が神尊し」と言われてます。

身近な日本の神道を例にあげると、昔「神風が吹いて日本が戦争に勝った」といって日本じゅうが喜んだという話も語り継がれてはいます。

 しかし、先の戦争では最終的に原子爆弾を落とされることで日本は敗戦し、天皇は「人間宣言」されたのでした。また、イスラム教だけではありませんが、宗教が絡んで過激になると、テロや殺人に至る事は、現在では世界中に知られています。

 

家内が時々、「あなた、人を殺した事ないやんね?」と問いかけます。

私はすぐ返答できません。だって聖書のイエスの言葉を思い出すから。

「人を憎むことと殺人は同じ罪だ」と。・・・(本当にイエスが言ったのですかね)

(同じキリスト教同士でも教義の違い等で戦争をしているし、イスラム教ではイエスを預言者の一人としてしか捉えていません、聖書が絶対とは冗談でも言えないんです。参考程度と考えるのが賢明かもです。十字軍戦争や魔女狩り裁判や免罪符というのもありましたね。) 

 

(参考)

AIによる概要:  イエス・キリストは、旧約聖書の「殺してはならない」という掟をさらに深く掘り下げ、その精神的な意味を強調されました。特に、マタイによる福音書5章21-26節の「山上の垂訓」の中で、以下のように述べています。 

「あなたがたも聞いているとおり、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と、昔の人は言いました。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して腹を立てる者は皆、裁きを受けるでしょう。兄弟に『愚か者』と言う者は最高法院に引き渡され、『ばか者』と言う者は地獄の火に投げ込まれるでしょう。」 

  これは、単に肉体的に人を殺すことだけを禁じたのではなく、心の中で怒りや憎しみ、侮蔑の念を抱くこと自体が、殺人と同じくらい深刻な罪であると教えているのです。 

イエスは、律法(旧約聖書の教え)を否定したのではなく、その真の意図、すなわち「愛」と「いつくしみ」の実践へと人々を招きました。表面的な行動だけでなく、心の動機や人間関係のあり方までが問われています。和解を求めず、兄弟に対して怒りや悪意を持ち続けることは、神との関係においても問題となるとされていま

です。

 

長い説明になりましたが、

家内は深く何事も深く考えない性格のようで、「嘘やないよ」と、嘘をつきます。

私は「人間は嘘をつく動物で、分かっていて嘘をつくことも、知らずに嘘を広めることさえあるから、嘘をついたことが無いと言う人も嘘つきということだ」と言いますが、

これも馬の耳に念仏で終わるのが常です。

 

だから、「嘘をつくな」という人はただ保身のために言っているだけかもしれないわけです。「正直であれ」というのも同じでしょうね。人間は誰でも嘘をつくというのが本能とさえ言えるのではないでしょうか。戦前も戦時中も日本の大本営では「日本は勝っている」と嘘の情報を一般大衆に流し続けたのでした。(この時、国民は『教育勅語』を中心に教育されていました)

 

AIによる教育勅語の概要:

教育勅語(きょういくちょくご)は、1890年(明治23年)に明治天皇が発布した、戦前の日本の教育の根本方針と国民道徳の基準を示した「お言葉(勅語)」で、親孝行、友愛、勤勉、遵法などの徳目を掲げ、忠君愛国(天皇への忠誠と国家への奉仕)を重んじました。学校で朗読され、国民の思想統一と道徳教育の根幹とされましたが、戦後に国会で失効が確認されました。 

 

  日本国民には「嘘つきは泥棒の始まり」のように「嘘は悪い」と教育してきたので、国民の多くはバカ正直の方が多いのだと感じます。

 

嘘と言えば、安倍晋三前首相の発言もその一つです。安倍夫人と森友学園の関係をマスコミに聞かれると「何の関係もありません。もし関わっているなら、総理大臣も辞めます・・・・」とか返答されていた。

 私から見れば、「大いに関係あるでしょうに。森友学園は『教育勅語』を理念とした学校として創られようとしていたのですからね。」

それに関連して関連書類を黒塗りにするなど証拠隠滅をはかり、財務省の赤木氏を過大な精神的苦痛を与える結果も生じました。

 

政治家にはダブルスタンダードや、それなりに嘘を言っても差し支えない外交辞令という裏技があるようですが・・・・・

 

最近では、NHK等が「ネット等のフェーク情報の排除に努めます」とか言ってるが、そもそも何がフェークかを誰が決めるのか?NHKが偏ってないと誰が言えるのか?「NHKをぶっ壊す」と言っていた内部告白者の立花孝志さんを無視し続けるNHKの無神経ぶりには呆れるばかりです。

 

このように嘘が世界中に広がっているのが現実だし、嘘をつくのも自然と言えば自然なのに特に日本では偏った規制・管理されていると感じるのは私だけではないと思います。

 

心が痛むのは、明らかに嘘を言ってないと思われる方が冤罪になることです。「疑わしくは罰せず」の原則を守ってほしいですよね。同じ人間なんだから、嘘もつけば、失敗もあり、人を恨むこともあり、望まぬ事故もある。できることなら、誰もが許しあって話し合えるようになれば幸いなんですけどね。

 

しかし、日本は少なからず情報操作されているようです。 現在、ロシアに亡命中のエドワード・スノーデンが日本を心配して警告を発信してくれてましたからね。

 

長くて拙い文章にお付き合い頂きありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

では皆様ステキな新年をお迎えください。(祈り)

 

 

 

 

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございました。 (^^)/

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