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大中台牧場の朝。

高地であるためかエンジン音が聞こえてから、数十メートル先になってやっと対向車のライトが見えるくらいモヤがかっている。

牛は見ていないが、タヌキを1匹見た。

そのまま40号線を進み続けると、




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八甲田の山並み、一番左が高田大岳(1552m)。

この日登った山は雛岳という可愛らしい名で、1240m。

背中が写っているのは、八工大一高登山部の部員と顧問。


途中ベテラン登山者2人組に挨拶し、最高峰に登りたいのだが行き方はあるかと聞くと、地図をやるからまず雛岳の眺望を味わえという。


味わって下山したのち、3軒並んだレストハウス一番右の「箒場」で中華そばを食べる。

空腹を差し引いても、甘塩っぱさがしみた分厚い焼豚は絶品だ。


40号線をふたたび北に向かいはじめて間もなく、クラクションに立ち止まると先ほどの先輩登山者で、温泉に行くから途中まで乗っていけという。

車中の世間話、娘さんが大学院生とのことで、それでは娘さんずいぶんお若いのですねと、そしたらもう30半ばになるとのこと。

というのは、実は総務省で公共Wi-Fiの整備などを担当していたところ、勤め先から行って来いと言われたと。

約8km先の銅像茶屋まで乗せてもらったばかりか、アクエリアス2本、缶ビール、水煮缶、バナナチップス、野沢菜漬をいただく。

この場所実は2方向のちょうどわかれ道に面していて、青森市街方面と、八甲田大岳(1584m)への登山口のある酸ヶ湯温泉方面とを選ぶ。

先輩、何も言わないが、さっき登山中最高峰云々の軽口を叩いたのをしっかり覚えている。

「茶屋の奥に雪中行軍の像もあるから見ていけばいい」と、去って行った。






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大熊氏広 作

「八甲田山雪中行軍遭難後藤伍長銅像」

1902年、日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が軍事訓練中に遭難。

青森市街から田代新湯への行軍中、訓練参加者210名のうち199名が死亡。

日清戦争の冬季寒冷地での苦戦をもとに、対ロシアを想定して行われた訓練だった。

十和田市に入ると、4号線と102号線の交差点付近にコンビニサークルKがある。

夜明けにはまだいくらか時間があるので、イートインコーナーにしばらく居させてもらった後、8km程先のポニー温泉を目指す。



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その途中にあるのは、十和田市との訴訟問題のため現在休館中の新渡戸記念館。

5000円札の肖像になっている農学研究者新渡戸稲造が有名だが、私個人をはじめ東北の子供達には、その祖父新渡戸傳(つとう)の名を先に知る者も多い。

というのはこの傳、江戸で材木商として成功した後、当時まだ原っぱだった三本木原台地の開墾に息子十次郎孫七郎と3代でチカラを尽くしたことで、社会科見学テーマとして鉄板なのだ。



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しばらく進むともひとつ途中にある、十和田観光電鉄本社前のそばコーナーにて。

おこげご飯は1パック50円と安い。


十和田観光電鉄線は1922年に開通以来、十和田市、三沢市、六戸町を通り総営業キロ数15kmにわたって走り続けた私鉄線だった。

1970年代の業績ピークからやがて近年になると、2010年にライバル東北新幹線七戸十和田駅開通、2011年に東北地方太平洋沖地震の影響による同社のホテルやバス事業の収益減から、2012年をもって90年の歴史に幕を下ろす。

しかし人気のあった「とうてつ駅そば」は、本社前に場所を変えてこうして今も食べられるのだ。

様々な広告が入り口付近に掲示されている中、戦場カメラマン渡部陽一の無料公演会のポスターが貼ってあるのをチラッと見たが、あとになってからこの日開催だったことを知る。



そしてポニー温泉にたどり着く。

ここは早朝5:00から開いており、混雑前の人がまばらな大浴場内は、岩盤浴に横になってみるとウトウトしてしまう。

日帰り客でも、入浴後に畳座敷でアイスを食いながらゴロリと休めるので、ウトウトの続きもできる。



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しばらく行くとあるリサイクルショップだが、「中野渡」が誰なのか?

十和田市内で「中野渡」がつくのは不動産屋、精米所、畳店と、あと十和田出身の中野渡詔子という議員のいずれかなのか。

店主不在のためわからず。




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さらに行くとほこらが。

この左側に登り道があって、10分程北へ歩くと東屋がある。

ここ深持は、落人の里とも言われていて、梅集落で6/15に、板ノ沢集落では海の日に、毎年「人形結い」という民俗行事が行われる。

かやで作られた身長3mにも達する男女一対の人形は、悪疫災害から村を護る。

櫛や脇差しといった小道具も作られるのだが、梅集落のほうでは何と男根まで制作される。



誰もいない東屋で横になって、以前貰った「阿含宗」の本の瞑想のやり方について書かれている部分をパラパラとめくっているうちに、「やあ今日はコンビニから銭湯に行って東屋と、ウトウトする1日だったなぁ」と考えたような気がしたのと鳥の鳴き声を聴いたのとを最後の記憶に、眠りに落ちる...


梅の咲いていない季節、しとしとと雨が降っている。

新宿は小滝橋通りのラーメン二郎。

この日、7、8年前に対バンしたバンドと再会する。

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西新宿この付近は、30年ほど前からハードロック、メタルのプライベート(?)盤を扱うレコード店が多い。

その一角の立ち飲み優良店「おおの屋」に集合する。


その後ハシゴを経てここ「ラーメン二郎」なのだが、話題はいつの間にか「イイネ東北いいねェ、週末オレも行こうかな!」、ならば今スマフォで切符を2枚とるかと言うと、「いや、明日ちゃんともう一度考えよう」と酔ってるくせにしっかり真面目コキやがる。

結局翌日「今回は任せた!」とイイネ氏。

22:30東京駅鍛冶橋駐車場発→本八戸行き夜行バスの切符を1枚とる。



出発の夜、阿佐ヶ谷の高架下を歩いていると、「ボードゲームやりませんか!1時間300円」の張り紙を見つける。

「まだ2時間もある。ところでボードゲームって何だ?」とおそるおそるノックすると、ルール説明もそこそこにハゲタカのえじき、コヨーテ、ごきぶりポーカーといった怒濤の5種類ほどのゲーム作品を身体で覚えさせられる。

このゲームマスターやけに場の仕切りが上手いと思ったら、道理でプロのコメディアンだという。

「ジャンプくんとリボンちゃん」という雑誌を擬人化したコメディ動画が上がっている。


そうこうするうちあっという間に時間は過ぎ、中央線に飛び乗って何とか発車7分前にバスにたどり着くがここでトラブル。

買っていたのが盛岡までの切符で、不足分の運賃を現金でやり取りすることは禁じられているという。

そこを何とかと拝みこんで、後日支払いの恩赦に浴し乗せてもらう。



そもそもこの東北話の発生起源といえる小滝橋通りは、終点高田馬場をそのまま進むと、綾瀬川を越えた草加辺りで国道4号線と合流する。

あとは青森までひたすら北へ向かう。

その後395号線、340号線と繋がり、

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写真の11号線と交差する。


この背後方向に歩いて5分、八戸市中心街を目指す途中に「部屋食堂」の暖簾がかかる。

洒落た名前だ。




暖簾には切り込みが幾つか入っており、垂れひとつに1文字、つまり4文字分4枚が垂れ下がっている。


あー、左端が6月の寒暖差による夜風でめくれ上がってますね。


「南部屋食堂」だった。

青森県はかつて津軽藩と南部藩(ナンブ)との2藩の廃藩置県によって生まれた。

八戸の辺りは南部地方となる。

おすすめメニューは、その名もズバリ「定食 400円」である。

この日はおかず3品にアラ汁、極めつけ茶わん蒸しが付いた。




今回はそもそも八戸に済ませに来た用事のその結果によって、トンボ帰りかあるいは少しブラブラする時間が出来るか、しかしいずれにしてもあとはすぐに出立するつもりだった。

だが、両親と、バンドメンバーでもある詩人の歓迎の意にほだされたということにして、1泊する。

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翌日、絶好の出発日和。


歩き始めて数時間、五戸町中筒のあたりでリュックを下ろしてグデっていると、「お茶を飲んでいけ」と、20号線の結構な車通りの隙を縫って道路向こうでおばあさんが言う。


天井の高い建物は農業機械の販売や修理の会社だそうで、彼女は阿含宗を信心していて、人生を修行と考えるのならば、読んで決して無駄になるものではないからと、本を3冊もくださるという。

それから阿含宗創設者は若いころ落語台本など書いた事もあるようで、講話の際のユーモアも素敵だという。

これも仏縁とパラパラとめくってみると、

「ノストラダムスの言うアンゴルモアの大王を解釈すれば、アーガマ(釈迦より伝承された教え)の復権のため研究を続けるモンゴリアン、、、って、恐怖の大王というのは私の事ではないか‼︎」

とのこと。

洒落てる。