長かったGWも終わり、
本格的な稼働をした今週も終わる。
やはり、連休後の労働は堪える。
肉体的な疲労は想定の範囲内だが、
精神的な疲労が想像以上だ。
これを後何回繰り返せばいいのか。といった疑問も幾度となく己に問うてる。無論、答えはない。
昨今、退職代行サービスについて目にする機会が増えたと思う。特に長期連休明けはコロナ患者数のように利用者数が取り正されている。
また、そこにはサービスの是非や利用者への賛否もついて回る。
退職代行サービスについては、
面白いと思うし必要な人間は利用すればいいと思う。仕事なんてあくまで金を稼ぐツールでしかないし、辞めようとする職場で思い悩み、自分をすり減らすのなんて最も無駄な行為だ。ならば、割り切って退職代行を利用した方が健康的である。
一方で、いざ自分で利用するかを考えると、今後も使うことはないだろうと思う。サービスが普及してなかったこともあるが、これまで2度の転職を経験しているがどちらも自分の声で退職を伝えた。
また、実際のところ退職代行で辞めた人間を評する時、きっと古い価値観で軟弱や不義理などのレッテルを貼るだろう。
ただ、過去の退職シーンを振り返った時にそれが、正解かと問われるとそれも疑問である。
涙ながらに退職を伝えようが、真摯に伝えようが結局のところオナニーの範疇ではないだろうか。
大前提として、仕事はそもそも面倒で、好き好んで働き続ける人など少ない。いい仕事悪い仕事などあるが労働という嫌な行為が大前提で、マイナスの中で少しでもプラスとなるものを皆探している。そんな中、退職者はこの沼をいち早く抜ける卒業生だ。次の沼がどんなものかは分からなくとも、共に埋まってたものからすると一種の裏切りのように感じてしまう。
つまり、どんな辞め方をしようが、残る側の心のどこか片隅にはマイナスな感情があるのだ。
だからこそ、辞め方などオナニーでしかないし正解などない。
その時選んだ辞め方が今の最良の辞め方とでも考えておけばいい。
辞め方を批判する人間は決して君の人生をサポートしてくれるわけではない。堂々と辞めよう。
そして僕は今日も退職を夢見て眠る。