健康”裏口”入門

健康”裏口”入門

自分を大事にしたい人のための、秘密の扉

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水は飲み始めていますか?? (前回記事)

無理する必要はないですからね。

でも、簡単にできることなので、試してもらえたらうれしいです^^

さて、今回のテーマは、自分の感覚の大事さです。

小学生のころ、僕は揚げパンが大嫌いでした。

食べた瞬間に、吐きそうになっていました。

コーヒー揚げパンとか、きなこ揚げパンとか、もうとにかく勘弁してくれ、という感じでした。

ところが、友人達は、むしろご褒美かのように食べている・・・。

僕の疑問は、

なんで、このパンはこんなにおいしくないんだろう。

どうして、こんなに油っぽいんだろう。

友達はどうして平気な顔して食べられるんだろう。

ということでした。

ただ、当時は「残してはいけない」という気持ちがあって、疑問をそれ以上追究しようとは思いませんでした。

環境省に、「学校給食から発生する食品ロス等の状況に関する調査」というデータがあります。

ここにも、「食べ残し」「完食」というようなキーワードがあります。

調査の切り口に、すでに残すことへのマイナスイメージが入っています。

確かに、食べ物に無駄がないことはよいことです。

しかしながら、それと無理をして食べることは、つながりません。

動物も、ヤバいものは、本能的に吐き出します。

人には個性があるので、ダメなものはダメでいいんです。

揚げパンが食べられないことは、当時の僕には、カラダからの大事なサインだったんですね。

無理して食べるなよと。

もちろん逆もあって、「自分には必要だ」、というものだってあるはずです。

大事なことは、それを感じる自分の感覚です。


自分の感覚を信じて、自分で決める。

このカラダからのサインを感じる感覚を、「残すな!」みたいな、よそからの余計な縛りで鈍らせないことです。

水を飲むのと同じで、すぐに実践していけることなので、生活に取り入れてみてくださいね。

少しずつ、健康を自分のものにしていきましょう。


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今日は、水で肉体をパワフルにする話です。

薬でもなく、食べ物でもなく、サプリでもなく、「水」です。

なので、知っていれば、あなたもすぐに生活に取り入れることができます。

ある時、健康の小難しい話に飽き飽きしている中で、この肉体をパワフルにする水の話を聞きました。

僕らのカラダは、水が約70%と言われています。

つまり、水の話は、カラダにとって、大事な情報なんですよね。

やってみて、いい方向に変化を感じたので、シェアします。

本当に単純です。

それは、毎朝、起きたら、水をごくごく飲む。

これだけです。

正確には、いくつかステップがありますが、最初から複雑にすると続きません。

おいおい、細かいステップも説明していきます。

他のステップも知りたい、待てないという方は、メルマガの登録特典になっているので、読んでみてくださいね。

水で元気になって、エネルギッシュに生きましょう^^


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 前の記事(本格的に、学ぶ)


ここまで、僕自身の経験を書いてきました。

(初めから読みたい方は、こちら

自分でまとめてみると、まずは自分のカラダに興味を持ち、そして母の病気をきっかけにして、人のカラダも扱えるようになりたいと思ってやってきた、そんな流れがあったのだと改めて気づきました。

カラダの勉強は果てしないですが、確実に人生を豊かにし、人の役に立つことができます。

もしあなたに多少なりとも興味があるのであれば、趣味程度でよいので、少しアンテナをはってみることをおすすめします。

最初は、インターネットで少し調べるくらいが手軽です。

僕自身の学びがそうであるように、まずは、あなたのカラダのことを勉強されるとよいと思います。

このブログも、そのお役に立てるように書いていきます。

全体像は、以下の通りです。



大きな流れとして「考え方→具体的なこと」という枠組みがあります。

そして、基本的に時系列になっています。

なので、記事は順番に、徐々に増やしていく予定です。

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 前の記事(母の脳梗塞)



上がってきたモチベーションのままに、僕はカラダの勉強を本格的にスタートすることにしました。

自分のカラダのことはもちろんですが、そこを基礎に、人も助けられる学び方をしていきたい、そんなことを考えていました。

また、母のことがあったので、病院や薬とは違った角度から攻めたいとも感じていました。

そして以前、統合医療に取り組んでいた医院でカラダをメンテナンスしてもらっていた経験を思い出し、補完代替医療に興味を持ちました。

いろいろ調べるうちに、もはや教わった方が早いと判断し、治療家の先生の講座に通いました。

ここで生意気にもプロの治療家の方が技術を習得する講座に参加してみたのは、とてもよかったと思います。

こうした講座にも優劣はあるようで、一緒に参加していた治療家の方に「最初にここで習えてよかったですね」と教えてもらえるほどすごい先生でした。

何から始めればよいのか右も左もわからないなかで、運が良かったです。

教わったのはとても基礎的な技術でした。

しかし、基礎的な技術は、文字通り土台になるので、とても応用範囲が広いのです。

今も地道に練習しているのですが、この土台があることで、その後の勉強も加速しています。



つづく


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 前の記事(自分のことは、自己責任)


自分のカラダの勉強に悦にひたっていた矢先の、母の脳梗塞でした。

訴える症状が普通ではないと判断して、夜間診療に連れていきましたが、本人も、僕も、そしてお医者さんも、その段階では脳梗塞の疑いを見抜けませんでした。

次の日の検査で、脳こうそくが判明しました。発症からかなりの時間が経過したため、足先、指先にしびれの後遺症が残ってしまいました。

その不快なしびれは今も続いています。

見抜いてもっと早く手を打っていれば、という思いが残りました。

その後、しばらくして、2度目の脳梗塞がありました。

脳梗塞は残念ながらまた起こる、そんな助言をもらっていたのと一度目の経験があったので、今度は脳梗塞を即座に疑いました。

前回の対応に疑問があったので、たまたま知った別の専門病院へと母を連れていきました。

今度は処置がはやく、病院を変えてよかったです。

ただ、症状は重篤で、麻痺の恐れが心配されました。

口が垂れ下がり、言葉もろくに話せない母を見て、とてもつらい気持ちになりました。

しかしながら今度も幸運があり、リハビリでほぼ元通りになることができました。

初期段階での処置の速さの重要性を知りました。

ただ、母には、しびれという後遺症が残っています。

新しい病院でも薬を変えるなどして治療を試みてくれましたが、残念ながら「付き合っていってください」ということになりました。

こうした経験を経て、趣味程度ではなく、本当に役に立つ勉強をしようというモチベーションが生まれてきたのです。



つづく(本格的に、学ぶ)



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 前の記事(自分のことは、自己責任)


自分が自分の名医になればいい。

そんな気づきとともに、僕はカラダの勉強を始めました。

まずは自分のカラダのことをよく知る、そこがスタートです。

始めは、インターネットでいろいろ調べるくらいの軽いものでした。

インターネットは本当に便利で、画像も併せていろいろと情報が手に入ります。

「目のジカジカ」にも、閃輝暗点という名前があることを知りました。

調べると、同じような症状を抱えている人がたくさんいることがわかり、症状が少しずつ違うことを知りました。

ただ、インターネットの情報は、他のあらゆる分野と同様に、玉石混交の状態です。

その適否を判断するには、もっと基盤になる知識が必要だと感じました。

そこで、ネットの他にも、本で学んだり、講座を利用して学ぶこともありました。

勉強して知識が増えていくことは、純粋に楽しいことです。

しかしながら、そんな中で、母に脳梗塞が起こりました。


つづく(母の脳梗塞)



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 前の記事(他人の不調は、所詮他人事)


つづきです。


僕にとって気になる症状でも、他人にとってそれは他人事です。

「何とかしてくれ~」と言ったところで、他人が自分と入れ替わるわけにはいかないのです。

こんな納得の仕方をしていると、僕はある尊敬する先生から「自己責任」という言葉を習いました。「カラダのことも、自己責任なんだよ」と。

これは、浅く理解すると、突き放されるようで、意地悪に聞こえる単語です。

でも、自己責任は「自分を大切にする」という深い意味を持つ言葉であることを習いました。

そうして僕は、自分のカラダのことも、自己責任の問題である、つまり、体の不調は、自分自身が解決すべき問題であることを理解しました。

もともと、他人がどうこうできる問題ではないんですね。

それを、「何とかしてくれ」とすがることではないんですよね。

自分が自分の名医になる。

どこかで誰かが言っていそうな、当たり前のことに気づきました。



つづく(カラダの勉強を始める)


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 前の記事(芥川龍之介の自殺の一因と同じ??)


つづきです。

僕がどれだけカラダの状態に不安を持っていたとしても、他人にとっては、所詮他人事です。

それは、たとえ身近な家族であっても同じ。

何か症状があったとして、

「生活が乱れているからだよ。」

「疲れているんだよ。」

そんなありきたりな反応が返ってきます。

ちょっと状態が悪いと、

「病院行きなよ。」

「さっさと頭痛薬飲めば??」

もらえる反応は、そんなもんです。

でも、相手に悪気があるわけではなくて、普通のことなんです、きっと。

では、治療を職とする人に期待すればいいかというと・・・、

病院で顔も見てもらえずに「様子を見てください」と言われたり、

触診で漢方薬を出すお医者さんにもきちんと向き合ってもらえなかった記憶があります。

そこでわかった当たり前のことは、プロであっても、他人の不調は所詮他人事なんだということとでした。


つづく


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 前の記事(連日の朝帰り)


健康への不安といえば、自分で「目のジカジカ」と呼んでいる症状があります。

本当に長い間付き合ってきていて、つまりは苦しんでいることでもあります。

症状を口で説明するのが難しいのですが、かの芥川龍之介が、小説で「妙なもの」として表現してくれているので引用してみましょう。

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のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる(注:回っている)半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖ふやし、半ば僕の視野を塞ふさいでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失うせる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。 『歯車』
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さすが小説家で、確かに説明するとこんな感じになります。

少し補足すると、

・視野に出てくる歯車は、ジカジカしていて光を放っているように見える

・その後、頭痛が襲ってくる、ひどいときは吐いてしまう

こんな症状です。

この『歯車』という小説は、龍之介が35歳に書かれた小説です。

その35歳で、龍之介は自殺しました。

小説中、3か所にこのジカジカした歯車が登場するのですが、最後の歯車は、死を意識させます。

歯車が出た後の頭痛をやり過ごしている主人公の様子を妻が不安になって確認にくるのです。

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「どうもした訣(注:わけ)ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」
 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?
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これを読むと、ほぼ同世代で似た症状を経験する僕としてはとても暗くなるわけです。

しかも、最近の生活サイクルも、あんまりほめられたものではない…。

俺は大丈夫だろうか…。

そんな不安感がどうしても出てきます。


つづく(他人の不調は、所詮他人事)



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少し僕の話をしましょう。

僕は、最近まで朝帰りが多かったです。

飲み屋にいたり、ファミレスにこもったり、他にもごにょごにょ、という感じです。

遊び人と言われても仕方ないですが、まじめな理由があったので、本人としては一生懸命でした。

家に戻って少し休んですぐ仕事というわけなのですが、まだ無理できるところは確かにあります。

ですが、20代のころとはちょっと違うよな、という感じになってきました。

認めたくはないですが、カラダがそう教えてくれているのです。

「このままで大丈夫なんだろうか・・・。」

「これまでの不摂生がたたっているのだろうか・・・。」

ふと、こんな漠然とした不安がよぎることがあります。

不安といえば、長年苦しんでいる『目のジカジカ』もあります。


つづく(「ジカジカ」は、芥川龍之介の自殺の原因???)



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