普通が遠い
どういう意味か分かるでしょうか?
自分が一番苦労しているとは言わない、難病などで苦しんでいる方の苦しみは計りえない。
一般的には、自己責任と言う言葉で片付けられてしまう。
しかし、平成〜令和と時代が流れ、個人の努力だけではどうにもならない時代となってしまった。
それらを役所などの行政は、上から目線で、努力が足らないとか未だに言う職員がいる。
論外である。私は昨日、市役所の福祉課の係長を受付まで呼び出して、職員に不用意な発言のあること、ケースバイケースの対応することを訴えた。
謝罪はあったが、厚労省の言う通りにやっていると最終的には言われるので、福祉課の職員で苦労しとる人間は少ないから、実際のところ、分からんのだろうし、アドバイスもたかが知れていると言って来た。
簡単にまとめると、行政は素人集団である。
ハローワークにしても、福祉課にしても、社会福祉協議会にしても、私の考えを上回るようなアドバイスをくれたことは一度もない。人を救う専門家であるべき公務員達は、恵まれ過ぎてるがゆえに、学ぶことをせず、甘い汁を吸っているだけなのだ。
とにかく、保守的、日本人大好きな方にハマったスタイルを好む。
格差社会に物価高、政治の責任である。
政治家は、ほぼ何もしてない。
公務員も然り。
こういった職種には、人生経験のある人間、苦労した人間を登用すると良いと思う。
政治家の家に生まれれば、何の苦労もなく、政治家になれる率が高い。
私らは、専門学校や大学に行く選択肢すらなかった。
社会へ出て、何度かつまづくうちに、生活は困窮して行き、結婚すら出来ない。
これが、現実。
諦めずに行動はしているが、かなり、人の考えてる裏側も読めるようになって来た。
憲法でいう、健康で文化的な最低限度の生活に、文化という文字を入れるなら、生活保護の金額は足らない。
ただ、こういうことを書くと、経験がないくせに、甘えと言うたわけがいるが、自分がなったら、今の私並に動けるか?と問いたい。
多分、無理だと思う。
なぜなら、こちらは常々限界を超えた立ち位置で、もがいているからだ。
とりあえず、0を目指す。
ゼロがようやく、スタートラインだ。
おしまい