TOP,サイの角のように勇気出して走っていけ!
①痛みの経験も毒ではなく、薬として使用するなら
今は注目される歌手になったが、実は僕の学生時代の話をしろと言われたら確実に話せる話がない。
勉強というものに全く関心がなかったからだ。
もちろん、学校が与える束縛あるいは義務的にしなければならないというのが嫌いだった。
だから学校に行くのが何よりも我慢できないつらい仕事だった。
だけど、学校に行かなくてもその時間を意味なく無駄に過ごす事はなかった。
たとえ外出しても、'ラップ16節'あるいは'24節書く'という風に僕は自分自身に約束したことは必ず実行するというルールがあった。
もちろん音楽にさらに夢中になって、意味なく友達らと外で遊ぶこともだんだん減った。
そんな僕の姿を見て'具体的な夢を立てたからといって学校のようなものは必要ない'と生半可に判断しないで欲しい。
人生は時には'嫌でも我慢しなければならないこと'がある。
何かにしばらくの間ハマったり、あるいはやりたくないという漠然とした思いで学業をいい加減にするならば、それだけバカなこともない。
世の中に歌手になりたい人は無数に多いだろう。
しかし、実際に歌手になる人は1%にもならない。
挑戦する前に、死ぬまでやるという確信がなければならない。
そんな確信があっても簡単ではない道だ。
今でも少し後悔しているのは、学業にもう少し励んで勉強したら取得するものがもっと多くなかっただろうかという点だ。
若かった時は僕が他の人よりもっと成熟して彼らが経験出来ない世界を先に味わったという錯覚に陥っていたりした。
だが、最近になって考えが変わった。
"自分の年齢に合う事'を適時に経験して活用すること'が一番望ましい。
同じ年頃の子とは違った選択をする夢を持ったなら、そこには明確な確信と情熱が必要だ。
確信と情熱が足りないのに、'好きな事'に向かってむやみに走って行くのは危険なことだ。
それは夢でなく悪夢になることもある。
僕の学生時代はただヒップホップしかなかったし、他の道がなかった。
良く言えば早くに一つの分野に入り込んだわけだが、他の角度で見ればそれしかすることがなかった極端な状況に追い込まれたに違いない。
夢は誰にでも自分の胸深いところで誰も止められない火山の溶岩のように湧き上がるけれど、何よりその夢の方向を明確に知ってはっきりと主張するのならより多くの知識が必要だ。
一人で一生懸命にするのも良いけど、どうすれば上手く出来るのか明確な基準がなければならない。
もしそれがないなら今までの努力は無意味なこだまとして戻ってくるだろう。
未来を準備しなければならない義務感で時計の針のように学校と家を行き来することが無意味に感じられるかもしれない。
なぜそこに座って先公の小言を聞かなければならないのかイライラするかもしれない。
今はたとえ夢がなかったり、薄暗くて苦しくても、いつかは本当に拒否できない真の夢が訪ねてくるだろう。
その時に備えて今出来ることにベストを尽くすのはどうだろうか?
今出来る事を一生懸命するものの、とうてい拒否できない何かの導きが訪れて"本当に死んでも必ずしなければならない"と思えるなら、その時は思い切ってチャレンジして欲しい。
②家族、僕を慰める一番有難い二文字
僕にとって高校3年の担任先生だったチョン・オクキョン先生は一生忘れることのできない人だ。
YGで演習生生活をするために出席日数がますます少なくなり、ついには学校でこれ以上我慢をさせることができない状況になってしまった。
だが、担任先生は僕と僕の夢を信じてくれて、直接校長室に訪ねて適切な処理をお願いしてくださった。
先生の助けを借りて僕は高校を無事に卒業することができたし、BIGBANGメンバーにも参加出来た。
誰かが信じて支えてくれるなら、グレる子供たちはこれ以上生まれないかもしれない。
時々、夜の街をさ迷う人達を見たら僕の分別がなかった過去が浮かび上げる。
両親と先生に逆らって、酒とタバコで理性を麻痺させて、形体も分からない世の中の悪と戦うために両目に毒気を抱いていた過去の記憶。
他の人々よりも大きな成長痛を体験している人達は実際に病気の患者と同じだ。
僕がこんなにも苦しいのに、僕がこんなにもツライのに、構ってくれないと不当な理由を上げているのかもしれない。
その人達には'君の人生はそんなにつまらないものなのか'、'君の傷は治ることができる'と勇気を与えて治療する人生の医師が必要だ。
この前、具合が悪くて病院に入院した時、僕は長い間忘れて過ごした'家族'という存在に改めて感謝の気持ちを感じた。
今日の僕がいるのは、僕を信じて愛してくれる人達がいたおかげだ。
実際にはかなり長い時間、家族たちに優しい言葉一言も言うことが出来なかった。
心はそうではないが表現するのが恥ずかしくて照れくさく感じたのだ。
1週間に1,2度、母が宿舎に来て食事を作って下さるが、スケジュールに追われてたからまともに顔を向き合った日がほとんどなかった。
病院に入院してから生まれて初めて母と一晩中会話をした。
その時本当に多くの事を考えさせられた。
母は家族が自分を愛して心配してくれる気持ちが思ったよりもはるかに大きく、温かであることを感じた。
何がそんなに恥ずかしいんだと、心の中にある言葉を伝えられなかったのかと後悔した。
その後は一日に何度も家族と電話をしたり、メールのやり取りしている。
いくら忙しいスケジュールでも、家族とコミュニケーションを取ることはもはや'面倒なこと'でなく'僕を再充電する大切な時間'に変わった。
本当に当たり前な話だが共にするのに大切なのが家族だ。
僕が一番大変で苦しい時、そのそばで守ってくれる人もやはり家族だ。
一番近いという理由で'2番目'として後回ししないで、家族を'一番最初に'考えて欲しい。
③'ビッグバンの一番上の兄'TOP'という役
常に意欲的で誠実なBIGBANGメンバーらと一緒に過ごすことは僕にとってあまりにも大きい幸運だ。
僕が疲れた時、手を握ってくれたり、僕を成長させるために刺激を与えてくれる。
一番上の兄という信用を失わないために大変でも苦しい表情をあまりしないことによって、もっと強くなる。
弟たちにとって役に立つ兄になりたい。
年を取っても'’兄に頼りたい'という思いがするように努力する。
だから僕は今、BIGBANGの一番上の兄というこの役割が本当に好きだ。
「まずどんな話から始めるべきか何の話をするべきかちょっと照れくさい
蒸し暑くて湿っぽい地下練習室で僕たちが一緒に汗を流して共に笑って、時間が経つのも忘れて努力してきた過去の毎日
時には逃げたい気持ちもあって大変で疲れる時もあったが、思えばその一日一日が僕たちにとって人生で一番美しい花を咲かせた若い日の思い出だったと思う
本当につまらなくて分別がない僕をいつも兄として接してくれるお前ら
初めてマスコミに紹介されて記事化された白いスーツを着た5人の子供達が出てきた一枚の集合写真、'ブサイクなアイドル グループがどれだけ上手くするのか見てみよう' 'どこまで出来るのか見てみよう'など、人々の冷たい視線と向き合って佗びしさに背を向けて負担感を後にしたまま、前だけ見て一生懸命走ったね
僕たち5人はいつも皆で固く団結して不可能も可能にした
見えない所で僕たちが上手くいくことを願って助けてくださった多くの方々、そばで世話する愛する両親たち、皆に報いることができる道はただ一生懸命にすることだけだと、誰よりもっと一生懸命にしようと固い約束をした僕たちだっただろ
ただ年齢では僕が兄だが、僕にとって親友であり時には兄のような存在になってくれたお前たち4人、それぞれ違う性格だけど今は実の兄弟のように、泣いたり笑う姿までとても似てきたよね
今みたいに常に変わりなく努力してまた、努力して10年、20年後にも別れることがなく、いつまでも人々の耳と心の中に留まるそんなグループ、そんなBIGBANGになろう」
僕がある舞台でメンバー達に送った手紙の内容だ。
ファンたちと僕たちメンバーは手紙を読んで全員涙でぐちゃぐちゃになった。
生まれて初めてたくさんの人の前で流した涙だった。
その涙と同じくらい率直で正直な人で、メンバー全員にとって心強い一番上の兄になりたい。
兄の役割をしっかりしたいが、今でも僕自身の悩みや考えに陥って毛先一本も触れない程、敏感になる時が時々ある。
その時は部屋に入ったまま出てこないで一人だけの考えに陥る。
終わりが見えず一人だけの世界に陥るときは、決まってヤン・ヒョンソク代表がそんな僕の気持ちを読み取って下さった。
起きていない事まで心配する性格で、気が付いたら否定的な考えをする時が多かったので、そのたびにヤン代表は涙がどばっと落ちるくらい厳しく叱られた
そして再び僕だけの沼に落ちる気配が見えたら、マネージャー兄たちやコーディネート姉を介して頻繁にチェックし、常にライフジャケットを投げられた。
ヤン代表はあの特有の鼻声でこのようにおっしゃった。
"TOPは今何をしているんだ。 またぼんやりしてるのか? "
そして僕を呼んで色々な話をして下さる。
ヤン代表はそのように暇さえあれば僕がどれくらい愛される人であり、どれだけ多くのものを持っているか、常に気づかせてくれた。
今でもヤン代表を思い浮かべれば、むち打ちで僕を正して下さった記憶がたくさん思い出される。
僕にとってヤン代表は実兄のようでお父さんのような存在だ。
恐らくBIGBANGのメンバーたちも全く同じ思いだろう。
ヤン代表が僕にたびたびして下さった話がある。
"世の中には意外に自身を卑(いや)しめる人が多い。余計な被害意識に捕われて自分自身を卑下するならば、その人は人から愛される資格がない人だ
前向きな考え方で自身の長所と短所をよく把握して常に自分を賞賛する習慣をつけよう。
そうすれば、その習慣自体が君を愛するようにしてくれて、誇りにしてくれるだろう。 "
そうだ。謙虚さと自己卑下は違う。
YGに入る前までは誰も僕に'大きな翼'があると言ってくれなかった。
誰にでもまぶしい青空に向かって空高く飛べる希望の翼がある。
ただその隠された翼は'自身を愛することから出てくる原動力によって動く'という事実を忘れてはいけない。
ヤン代表に会って僕にまた他の夢が一つできた。
僕が本当に成長してもっと大きな人間になった時、僕みたいに悩んで時には絶望する子供たちを正すことが出来るそんな存在になりたい。
大きな夢だけど、必ず叶えたい。
④"8回倒れても、また起き上がれる可能性のある足を持ったから"
"8回倒れても、また起き上がれる可能性のある足を持ったから"
いつの日か僕のHPに書いた日記の一節である。
実際、芸能人という華やかさの裏には、想像を越える自己管理がある。
芸能人はたくさんの人に露出する職業だから、ひょっとすると誤った憶測や噂に巻き込まれるはずなので、BIGBANGのメンバーたちは自己管理をより一層徹底する方だ。
個人的に外出することも少なくて他のアーティストたちとの親密関係がほとんどない。
アンダーグラウンド時代の僕の芸名は'T.E.M.P.O'であった。
人生で速度(テンポ)がどれくらい重要なのか,自分自身をコントロールしてあまりに早い時は少し遅いペースで歩こうという意味でつけたのだ。
BIGBANGでデビューして、そのイニシャルの一部を取って、'TOPという名前をつけた。
結局TOPという名前の中にT.E.M.P.Oの意味も含まれたわけだ。
殺人的なスケジュールに体力の限界を感じながらも度々何かしなければならないという欲が出る。
準備しておかないと遅れを取る気がするからだ。
世界で最も香ばしい香水はバルカン山脈のバラから出るという。
しかし最高の香りを得るためには最も気温が低い日の正午から明け方2時にバラを取らなければならないのだ。
その時最も良い香りを吹き出すからだ。
バラが最も暗くて寒い時間に良い香りを出すように、僕たちの人生も多くの試練があってこそ初めて濃い香りを作り出すことができる。
同じ年頃の人が大学入試のために一晩中勉強する時、僕たちは音楽のために思い切って学業を諦め、他の人が大学のキャンパスで若さを満喫する時、僕たちは練習室でつらい練習を満喫した。
僕たちは僕たちが望んだ世界が全てだったから、他の人々と違った人生を生きるという自覚さえする時間がなかった。
ラッパーの夢を初めて持った時もただ漠然と'歌手になりたい。 'という思いで留まるよりは、僕がラップをしたい理由を歌詞に書き深く悩んだ。
悩まないで口ずさむラップは意味ない形容詞でつまらないだけだ。
ラップは自分の考えとマインドを大衆に伝えるものだから。
僕は考えが多い自分が好きだ。
長年の考えの中でどんな結論が出ても、それに向かって思い切り走っていくことが出来るから。
'果たして僕が行く道の終わりがどこなのか? '
どこまでも続く好奇心と期待感は、今日も僕を深い考えにのめりこむ。
end