シルベスター・スタローンが主演、監督を務める「ランボー」シリーズの最新作が、来春にも撮影に入ることが今日までに明かとなった。

昨年公開された4作目『ランボー 最後の戦場』では、「さらばランボー」というコピーがポスターに刷られ、これでシリーズ終了かと誰もが思っていた。しかし、来日会見でスタローン自ら「実は続編を考えているんだ」とまさかの存続宣言。今回の発表で、このスタローンの発言が真実であったことが証明された形だ。

Varietyによると、次回作の舞台はアメリカとメキシコの国境付近。消息不明となった若い女性たちの探索、救出を中心にストーリーが展開するという。ちなみにこのプロットも来日会見でポロリと漏らしていた。

撮影は来春開始予定。スタローン63歳の挑戦が始まる。

1972年ミュンヘン五輪の柔道男子でソ連代表として軽重量級(93キロ以下)の金メダルを獲得したグルジア人のショータ・チョチョシビリ氏が27日にがんのため死去した。59歳だった。
ロッテルダムで行われている世界選手権会場で、国際柔道連盟(IJF)が29日、発表した。
 75年の世界選手権無差別級準決勝では上村春樹・現全日本柔道連盟会長に惜敗し、3位となるなど国際舞台で活躍。89年にはプロレスラー、アントニオ猪木さんと東京ドームで「異種格闘技戦」を行い、猪木さんにKO勝ちしたこともある。
引退後はグルジアのスポーツ界で要職を歴任した。

今月18日に死去した韓国の金大中元大統領が昭和48年8月、東京千代田区のホテルから拉致された「金大中事件」。拉致を実行した韓国中央情報部(KCIA、現国家情報院)は、金大中氏の日本での居場所を突き止めることに難航し、元陸上自衛隊員を中心とする調査会社を利用していた。金大中氏の思想は朝鮮半島を赤化統一する流れにつながると主張し、「説得する」と所在確認の趣旨を説明したKCIA側に対し、調査会社は「日本の安全保障のために」と協力した。ところが結果は説得ではなく…。事件から36年。調査会社の関係者が初めて重い口を開いた。

 この調査会社は「ミリオン資料サービス」。事件への関与も取りざたされたが、事情聴取を含めた捜査の結果、警察当局は当時、「拉致計画を認識した上で加担したとは認められない」と結論づけた。

 取材に応じたのは、金大中氏の所在捜索チームのキャップ格だった同社の坪山晃三代表(75)ら当時の関係者。

 坪山氏は大学を卒業した昭和32年、幹部候補生として陸自に入隊。48年に3佐で退官するまで陸自の秘匿部隊「陸上幕僚監部第2部別班」などで外国情報機関による自衛隊へのスパイ活動を排除する任務に就いていたという。

坪山氏によると、45年、防諜(ぼうちよう)部署の陸幕2部の幹部から、北朝鮮の国内情勢や軍事情報の収集を指示された。新たな担当業務に対応するため、坪山氏は旧知の新聞記者に北朝鮮情報に精通した専門家を紹介してくれるよう依頼。KCIA東京支局員で在日本韓国大使館の金東雲一等書記官(当時)を紹介されたという。

 「金書記官は『サトウ』と名乗っていたが、日本語はうまくなかった。地味な印象で、酒はほとんど飲まなかった。肉体的にも精神的にも軍人としてよく訓練された雰囲気があり、北朝鮮情報に極めて精通していた」。坪山氏は振り返る。

 金書記官も日本国内での親北勢力の活動に関する情報を求め、坪山氏を頼ったという。金書記官 は48年春、坪山氏にこう持ちかけた。「金大中氏の思想は単なる親北ではない。(金大中氏の)高麗連邦構想は南北統一を志向するものだ。現在の体制のままの統一は北による南の赤化(共産国家化)を意味し、韓国にとって絶対に許されることではない。それを防ぐために、いずれ協力してもらいたい」

 このときのことを坪山氏は「熱っぽい語り口だったがあまりにもスケールが大きい話で、確かに迷いはあった。しかし赤化統一とは北による韓国の侵略支配であり、日本の安全保障上の脅威でもあると考えた」と振り返る。

 ただ安全保障のためとはいえ、金大中氏を支援する日本国内の勢力の情報収集に努め、その情報を金書記官に提供することを受け入れることは是か、非か。

 坪山氏は「陸上自衛隊に所属し、自衛官の身分のままでは協力しにくい」と考えたという。

KCIAは当時、金大中氏の「民主化」活動が日米など国際的な広がりを持ち始めたことに大きな脅威を感じていた。金大中氏は、日本では保守系を含む国会議員との親交を深め、米国では民主党の支持を取りつけるほどになっていた。

 昭和48年夏、金書記官は坪山氏に具体的な協力を要請した。依頼内容は(1)金大中氏の所在確認と報告(2)活動資金源調査(3)日本国内での支援組織の動向把握-の3点。「金大中氏の高麗連邦構想に基づく活動をやめさせたい。金大中氏に対して影響力がある韓国の国会議員、金敬仁、梁一東の両氏と引き合わせて説得させるため、所在を何としても把握したい」。金書記官は坪山氏にそう持ちかけたという。

 坪山氏は、自衛隊の身分を離れ、民間の立場で依頼を引き受ける形を取った。

 当時、金大中氏については、韓国での政治的迫害からテロの被害に遭う懸念があった一方、北朝鮮への政治姿勢が融和的すぎるとして、日本の治安機関も国内支援組織の動向に関心を寄せていた。坪山氏は調査依頼項目のうち、資金源と支援組織の動向については公安当局のカウンターパートを通じて探ることができたが、「所在の確認作業は難航を極めた」(関係者)。

坪山氏はその理由をこう説明する。

 「金大中氏の国内支援組織が在日韓国人青年らを中心とする警護部隊を編成。金大中氏の動静についてKCIA東京支局の情報網にニセ情報を流していた。われわれが依頼された仕事は金書記官から提供される所在情報に基づいて金大中氏の居場所を確認し、金1等書記官に確実に知らせることだったが、KCIAは完全に攪乱(かくらん)情報に踊らされていた」

 坪山氏によれば、KCIA側は金大中氏への接触が遅れ、説得工作の時間がなくなることを恐れ、かなり焦っていた様子だった。

 そして拉致事件の10日前の48年7月29日、金書記官は坪山氏に、金大中氏の所在を確実に把握する手段として新聞記者によるインタビューを提案した。坪山氏の知人の記者に金大中氏とのインタビューを設定させ、その場所に張り込み、その直後に国会議員に接触させるという計画だった。

 「KCIAによる所在把握の最後の手段」。坪山氏はそう感じた。

 記者の動員は成功し、インタビューは8月2日、銀座第一ホテルで行われた。KCIAが金大中氏の動向の捕捉に初めて成功した瞬間だった。坪山氏は、クライアントの依頼をこなし安堵(あんど)した。

 坪山氏は翌8月3日、調査料金精算のために金書記官に会った。金書記官はその際、こういったという。

 「金大中氏が8月9日に自民党のA・A研(アジアアフリカ研究会)で演説することになった。これが実現すれば、金大中氏の活動、存在が日本で公認されてしまう。何としても阻止しなければならない」

 坪山氏は、そのときの思い詰めた表情が忘れられない。それが、金書記官に会った最後だった。

 そして事件は8月8日、金大中氏が東京千代田区のホテルで金敬仁氏らと面会した後に起きる。拉致された金大中氏は洋上で、海に投げ込まれる寸前、殺害が断念されたともされるが、当時から拉致を計画していた“犯人”を察知した可能性のある人物が日本にいたからとの見方もできる。

 事件数日後の8月中旬。事件で大騒ぎとなっているさなか坪山氏が留守にしていた自宅に香港から一本の国際電話が入った。「サトウ」と名乗った相手は、坪山氏の妻が不在を告げるとそのまま切った。「口止めのための電話だったのでは」。坪山氏は電話の意味をそう考えている。

ミャンマー(ビルマ)で03年に民主化指導者アウン・サン・スー・チーさんが襲撃された事件にかかわったとされる
軍事政権の翼賛組織「連邦団結発展協会(USDA)」のトップが、外務省の招待で来日したことが21日、わかった。
同協会幹部は米国や欧州連合(EU)の制裁対象。日本政府の対応は民主化支援グループなどから批判を呼びそうだ。
来日しているのは、同協会の総書記で軍政の農業灌漑(かんがい)相を兼任するテイウー氏と農業灌漑省の
ティントゥウー農業計画局長ら。外務省によると、20日から26日までの日程で経費は日本側が持つ。20日は
ミャンマーでも有名な鎌倉大仏を訪問。滞在中、農林水産省幹部や同国と交流がある国会議員らとの会談、
農業関連施設の視察が予定されているという。
外務省南東アジア1課の小野啓一課長は「農業灌漑相として招待した。日本の農業を視察してもらうことは重要だ」と説明している。ただ、テイウー氏ら同協会幹部は米国やEUでは入国ビザ発給禁止、資産凍結の対象。
ミャンマー情勢や日本の対ミャンマー政策を分析する「ビルマ情報ネットワーク」の秋元由紀氏は「スー・チーさんに有罪判決が出た直後に招待する日本政府の意図は理解に苦しむ」と話している。
同協会は03年5月、遊説中のスー・チーさん襲撃事件にかかわったとされる。テイウー氏は同年8月、総書記に就任。
07年9月の反政府デモの際も、協会のメンバーがデモに参加した市民に暴行し、当局の逮捕に協力したとされている。
来年に予定されている総選挙に向け、協会を母体に親軍政政党ができるとみられている。


今の日本政府は与野党経済界共に早々に滅びるべきだと思う。

一回全てを無にするべき。

ってかマジ死ねや。日本売国奴、売他国奴