ゴミ収集車のおっちゃんが、窓から思いっきりコーヒーの空き缶を投げ捨てていた。一体何を思って仕事をしてんだろう。ゴミを集めてるくせに自分で汚しているのだ。
私は、人の事言えるような立派な人間じゃないが、ゴミをそこら辺の道端に平気で捨てられる人の神経を疑ってしまう。自分より年上の大人がやってたら超あきれて軽蔑するし、カッコいい人がやってたら百年の恋もさめるような気分になる。もし友達がやってたらそりゃあがっかりする。そういえば、駅とかにタンを吐き捨てるやつも腹立たしい。踏みそうになると更にイライラする。中学とか高校の時、男子が運動場に唾を吐いているのも嫌だった。あれは、何なんですか…?
公共の場でのマナー?を考える人が増えたらいいなあ。…という私もつい帰りに空腹に耐えられなくて電車の中でパンを食べてしまう時がある事に気付いた。はい、反省します。
せっかく関西に居るので行ってきました。人の体のしくみには前から興味があったし、養護教諭の勉強をした時には、手術を見せてもらった経験があった。明日までという大阪梅田の会場に寒い中出かけた。会場は予想以上の人出で、カップルや家族連れで混み合っていた。熱心に観察する医療系の学生らしきグループや、わかってないと思うが子どもに丁寧に説明するお母さん…色々な人が見に来ていた。感想は一言じゃ言えないけど…人の体のつくりには一切の無駄がなく、とにかく精巧で、こんなに細い血管や神経が張り巡らされていて、一つ一つがしっかり機能しているから今生きているんだなあと、なんかそんな事を思った。
この人体の不思議展は、本物の人体を特殊な技法を使って保存し標本にした展示物が数多くあった。そのことで、賛否両論があることは前から知っていた。私は、怖いとか不気味とかは全く思わなかったが、そのようなことを言ってる人も会場にはいた。ただ、自分の体を提供した人達が、今の私と同じように何かに悩んだり、喜んだりしながら生きていたときがあったと思うとやはり複雑な気持ちになり、半分作り物のような、妙な感覚にもなった。
…なんか色々感じたけどうまくまとめられないなあ。他の方はどんな感想を持つのだろうか。
友だちと上手く行かない事があると、すぐに手を出してしまう子がいる。カッとなると、相手を痛めつけるまで自分がおさまらない。力ずくで止める事もある。その後、自分の中に閉じこもるのだ。そんな時は、なんでそうしてしまったかをじっくり聴いている。最初は相手の非ばかりボソボソと言う。それには共感してやる。そのうち、自分を卑下する言葉ばかりが出てくる。どうせぼくなんて…みんなぼくなんかおらんくなってもいいねん。消えたい。もう来たくない。
なぜだろう。すぐに手が出てしまう理由。ただの性格、じゃあすませられない何かがあるきがする。彼の心の中にあるものを、わかりたい。全てを理解できるとは思わないけど、彼が今、何かに苦しんでいるのはよくわかる。どうしたらわかるのかな。