証券会社での生き残り競争 | 中央線大家の日記

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中央線沿線に生息する大家の日常です。

証券会社生活1店目の時は、年次が低かったし、顧客開拓も頑張ったので、

 

手数料順位ではずっと一桁だったと思います。

 

それで、金融法人営業畑の支店長が赴任してきた時に、大きな法人を

 

開拓しなさいという方針が打ち出されました。

(いくら大口の法人を開拓しても継続的に大口の手数料を落としてくれないと意味がない)

 

慶応出身のこの支店長、口癖が

 

「金法時代に松下、1千万株買った」

 

でした。

 

地方の支店営業で、購入する銘柄にも口出しし始めて、およそリテールにはそぐわない

 

大型株を買うよう営業マンに介入し始めます。

 

法人営業の一人が、組合で大量推奨販売ではと支店長にクレームを付けると、

 

全顧客召し上げの上、新規開拓要員となり、ボーナス考課もへったくれもありません。

 

同期手数料収益トップレベル(年次が低いので支店収益レベルではたいした事ありません)

 

でも、4年目に大口法人を開拓するよう、手数料はやらなくていいから、

 

朝から、外交で新規開拓をするよう命じられます。

 

この時点で、評価ダウンで転勤だなと何となくぴんときたので、

 

支店長の収益を作るなという命令を無視して、

 

朝一でその日のノルマ分の手数料を作ったうえで、外交に出かけました。

 

案の定、外交命令がでた期、1店目在任は3年半で都内小店に転勤になりました。

 

ずっと、収益を作ってたので、事業法人に栄転する主任さんの引き継ぎで、

 

引き継ぎに恵まれてたので、当たり前ですが、この店で主任になっても

 

収益順位はずっと一桁でした。

 

支店長の言う通りに、収益を作らずに外交してたら、

 

どういう引き継ぎだったのだろうかと、今でもふと考えます。