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強化合宿か

次女、無事誕生を終え、
手術中に麻酔が切れ始めた時は、
お腹痛いことが信じられず焦ったけど、
終わって部屋に戻った時はとりあえず安堵。



手術当日はMFICUへ。寝たまま過ごす。

術後1日目、始まった徒歩練習。
すんげー痛い。とにかく痛い。
腰は90度。
ご飯はお粥と味噌汁からスタート。
食べたいけど起き上がるのも一苦労。

術後2日目、MFICUから4人部屋へ。
なんとその4人部屋が病棟の一番奥。

お風呂も授乳室も、トイレも、
全て遠い。冷や汗かきまくる。

術後2日目、ついに授乳スタート。
母子別室のため、
決められた授乳時間に授乳室へ。

この日からが私の中で一番辛かった。

37wなったその日で産み
小さめな女だったため、
飲む力が弱く授乳中すぐ寝てしまう。

しかも、決められた時間にいくため、
寝てても起こして授乳しないといけない。

そして母乳とミルクを合わせて
規定量飲めないと、
部屋に戻れない雰囲気。

これが本当に辛かった。

部屋から授乳室へいく距離、
傷口が痛くて抱っこも辛い、
まじで部活の合宿思い出した。

なかなか規定量飲めない娘を見ながら、
大丈夫なのか、不安になる。
そして1日ごとで増える規定量。
もっと臨機応変に対応してくれや!
と心の中で叫びまくったなー。

そして、私は麻酔の副作用で激しい頭痛。
これが本当に辛くて耐えられなかった。

術後4日目、退院前日。

なかなか規定量飲めない娘に、
授乳室担当の看護師さんが、

「このままじゃ一緒に帰れないよー!」

て大きい声で言われ、

一緒に退院できないかも、、嫌だ。
と思いが募る。

夜間担当の別の看護師さんにも、
同じことを言われ、
精神的にナイーブになる私。

そして、号泣する私笑
産後の母親にはキツイ一言。


なんとか規定量飲んでくれて、
退院当日を迎える。


しかし新生児科の先生から話があると言われ、
授乳室へ。


あー退院できないのかなーって漠然と思ってると、

体重の増え方が横ばいだから、
このまま退院してもいいけど、
1.2週間は母乳や直乳より、
哺乳瓶でミルク足して体重増やすことを優先に考えてほしい。
3時間以上空かないように起こして飲ましてと。
もし、お母さんが不安なら、
赤ちゃんだけしばらく預かるよ。

と、言われたけど、

連れて帰ります!と即答。


帰ったら娘のペースで授乳できる!
と、内心ワクワクしてたから、とりあえず退院できて一安心。



帰ってからは混合でなんとか体重も増え、
ぷくぷくしてきた。



入院中、ほんっとに授乳時間が辛かった。

一人目は母子同室だったけど、
それもそれで辛かったな。


とにかく産後の授乳問題は辛い。


授乳室の若い看護師さんたち、
きっと妊娠、出産、産後を経験したら、
かける言葉は違ってただろうな。




色々思うことある入院だったな。。。


死を覚悟した日

4月28日、次女を出産。

ただ、この日を迎えるまで、
そして我が子に会うまで本当に辛い日々でした。


悪阻がひどく、安定期入ったと思ったら、
前置胎盤の疑い。


ここでは出産できないと言われ、
総合医療センターに転院。

同時に、出血したら即入院、
最悪の場合は緊急帝王切開になる可能性もあると言われ、
1月末から自宅安静生活の開始。

仕事も早めに休むことになり、
ひたすら横になる生活。

毎日毎日、トイレに行くたび出血してたらどうしようと不安になり、
入院したら長女はどうしようと悩みも消えない。


そんな中、どんどんコロナが流行り、
総合医療センターへ行くことも心配でしかたなかった。


そして結局、産んだあと里帰りする予定がコロナでダメになり、
病院も面会、立ち合い、付き添い、全て禁止に。


4月に入り、全前置胎盤と診断され、
帝王切開しか出産できないと言われる。
心電図、レントゲン、MRI等検査もたくさん。
全前置胎盤だと、手術で多量出血が予想され、
2000ccは出血するから、
輸血の覚悟もしてと伝えられた。


調べれば調べるほど、前置胎盤が怖くて、
もし胎盤が癒着してたら、
胎盤剥離が起こったら、
私は死ぬかもしれない。
二度と娘たちに会えないかもしれない。

不安と辛さで押しつぶされそうだった毎日。

なんとか出血せず、
入院予定日まで自宅で過ごせた。

手術当日、家族と会うこともできないまま、
あれよあれよと言う間に手術室へ。


手術台に乗った瞬間、
もしこのまま死んだら、
娘だけは無事産みたいと気持ちが募り、
大泣きした。

あの恐怖は忘れられない。
硬いベッドが背中に伝わる。
あの感覚は思い出すだけで、背筋が凍る。

看護師さんや、麻酔科の先生、
みんなに温かい言葉をかけられ、
感謝でいっぱいになった。




手術は順調に進み、
娘に会えた時は本当に感動した。
生きててよかった。


心配してた胎盤も癒着しておらず、
出血も予定より少なく輸血せず終わりました。


途中麻酔が切れ始め、
お腹の痛みがあったけど、
生きてるんだ、私大丈夫なんだと思えたら、
痛ささえ、ありがたかった。




生きててよかった。
また家族に会えてよかった。

今はこの言葉に尽きます。


二度と忘れられない日になりました。

次女はスクスク成長中。



初めて死を覚悟した日。

また新たに人生がスタートした日。









そして母になる


久々の投稿。

みなさん元気でしょうか。





そう、誰が母になったのか。











よく登場していたスーパービッチちゃん笑



大阪で色々あった挙句、地元に帰り、

3度目の結婚。

そして母になりました。

とっっっっっっっっても感慨深い。

今では授乳がどうだとか、

夜寝れるかどうかとか、

そんな話をしている。

この日がついにくるとは。

娘ちゃんを溺愛して、

めっちゃ穏やかに育児してる。

泣けるなー。

人生何が起こるかわからない。

当時の私たちは、

今の生活が待ってるなんて思いもしなかった。

まあ話の大半は、

産後の性欲いつ戻るかとかそんなのばっかだけど笑

何はともあれ、おめどう。


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