「花いっぱいドレス~! ありえな~い!」

とか言ってます。

ぜったい、これは僕のせいではありません。

僕は、花いっぱいドレスを指示したことはありません。


相変わらず、ラブアンドベリー にはまっております。

僕のお小遣いから毎週200円が「オシャレ魔法カード」に変身しますが、

そこにあるのは、魔法ではなく、まず子供を攻める、というマーケティングの王道にのっとった

メーカー側の戦略です。我が家は、しっかりとその戦略にやられております。


でも、毎週確実にやっていると、僕もいろいろと憶えてしまいました。

ベリーのときは、どちらかというとカワイイ系よりもクールな感じの服がいいとか、

ラッキーからにあわせると、如実にオシャレポイントが高くなるとか、

あつぞこピンクスニーカーは、ストリートコートよりもファッションストリートのほうが合うとか、

まあ、僕の日常生活になんのプラスにもならない知識が身についていきます。


このゲームの本質である「TPOにあわせたファッションコーディネート」は、

リンにはまだちょっと早いようです。ほうっておくと、

海辺でへそだし系のTシャツにバッシュに黒ニット帽、

というようないでたちになってしまいます。


でも、ゲームで勝つためには、ファッションコーディネートによる

ボーナスポイントが結構重要です。なので、父は必死になって

コーディネートをします。


リンは、1ゲーム目はかならず「ストリートコート」を選ぶので、

持っているカードの中から何を出すのか、待っている間に

決めるようになりました。


リンの番になったら、ラッキーカラーを確認して、指示を出します。

最低でも250ポイントは稼がないと。

先日は、ラッキーカラーを確認しなかったら、予定よりも若干

ポイントが低く、そしてダンス終了後、1点差で敗退、という

非常に悔しい思いをしました。ラッキーカラーの確認は必須です。

なんで僕はこんなに本気をだしているんでしょうか。


今日は、ついにクリア。

クリアすると、もう一回ゲームができるので、

終了後にリンが「もういっかい~!」とねだることもありません。

めでたしめでたし。


いつまで続くんでしょうか。

ま、最初はつらかった、後ろに並んでいる女の子たち(小学校低学年くらい)の

視線は、もはや痛くなくなりました。

時間がなくなりそうになったら、マジカルタイムプラスで、

時間延長とかしちゃいます。こちとら、必死なんだ。


ちなみに、クリアすると、いままでやったことの無いステージを

やりたがるようになりました。

僕も、どうコーディネートしたらいいのかわかりません。

「これはどう?」と、いままで使ったことの無いカードをリンに渡したら、

「それ、ありえないから、いや!」と拒否されました。

その後、リンが自分で選んだカードをとおしたら、

僕の選んだカードよりもポイントが高くなり、3歳にして

娘は父のファッションセンスを凌駕するにいたりました。


娘よ。早くも父を超えたか。

父は若干くやしいぞ。


用意していた200円。

100円でリンは満足したようだったので、

残りの100円は「太鼓の達人」に活用。

父の威厳はここで保たれたとさ

(「あんぱんまんのテーマ」で最高点を記録更新中)。



※今日は何位でしょうか?


すっかり滞りました。

なんですかね、ブログというのはやっぱりストレス解消なんですかね。

特に意識はしていなかったけど、書きたくても書く場所がないから

ブログに書いてた、という側面はあるようです。


先週から、僕の仕事は様変わりしました。

いきなり、ものを書くのがメインの仕事になりました。

なので、何か書きたいけど書く場所がない、というフラストレーションはないわけで。

別に、自分の心の叫びとか娘への愛の詩を書かなきゃいけないというのでもないようです。

仕事として書いているものは、自分の気持ちとはまったく関係ないものなんで。


それにしても、今日も、書きあがらなくてまだ眠れません。

でも、不満はありません。いただくお金の額にも不満はありません。


もともと、今の立場をステップにいずれは書く仕事に専念したいなあ

と漠然と思っていたわけですが、いきなりそういう状態になりました。

書くことに専念しないと終わりません。


仕事って、探せばあるもんだなあ、と実感。

もう、僕はキャリアコンサルタントとは言えない気が…。


名刺をつくりかえよう。

タイトルも変えなきゃ。


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※今日は何位でしょうか?


先日ここで紹介した、ヘーゲルの弁証法。

僕は弁証法がなんなのかすら知らなかったので

本を一冊読んだだけで本質を理解したとは到底いえないと思いますが、

その弁証法的な考え方で二つのテーマを考えてみました。


ひとつは、考えてみた、というか、

件の本を読み進めたら、最後のほうに僕が考え始めたことが、

すでにしっかりと書かれていました。

この間も書いた、NPOと株式会社の話。

広く言えば組織の話。


読んでいる最中に、自分なりに考えたこととして、

ブログで書こうかな、と考えるプロセスに入りかけたころ、

いきなり結論を提示されてしまった感じ。

ただ、まあ、僕がうっすらと考え始めた方向性は

弁証法的には、間違っていなかったようではあります。


もうひとつのテーマは、まあ、すでにこれを読んでくださる方は

予想できるかと。


そう。家族です。


家族のカタチ。


家庭の崩壊、少子化、などなど、「家族」をテーマに

社会問題をあげれば、いくらでも出てきてしまう昨今ですが、

これから家族はどうなっていくんだ、というテーマについて、

弁証法的に、でもかなりうすっぺらいとは思いますが

考えてみるわけです。


たぶん、家族の最小の単位というのは核家族ですから、

ながい目で見れば、家族というのは核家族から

スタートしたんだと思います。


でも、時代を経て、たとえば、将軍のお世継ぎは

母親ではなく乳母が育てたり、

下町の長屋は、そこらへんの大人が町ぐるみで

子供を育てたり、と、

ある意味では合理性にもとづいて、両親以外の、

他人たる大人が子育てに介在するようになりました。


それは、日本では第二次大戦くらいまで続いたんでしょうが、

これが戦後、高度成長期をへて、様変わり。

国全体の合理性を追求した結果、地方の農家の息子も

東京の大学を出て、そのまま東京で就職したりします。

親は、日帰りできないような距離のふるさとにいて、

自分は、隣近所との交流もない大都会で生きていく。

かくして、核家族化が進行してきたわけです。


そんな折、ずっと右肩上がりで成長を続けてきた

この国に、バブル崩壊というターニングポイントが

訪れます。まさに、「オトナ」国家の洗礼。

気がつけば、出生率は2を大きく下回り、

人口減少社会へと突入しました。

寿命は延び続け、高齢化は進んでいきます。


家族の形も、ここで大きく変わるはず。

どうなるかといえば、たくさんのオトナで一人の子供を

育てる時代に戻るわけです。


そのための条件はすでにそろっていますよね。


①女性の社会進出

まあ、普通に考えて、両親とも仕事で日中いなかったら、

誰が面倒見るんだって話ですね。

吉田家の場合は、保育園に僕の両親、つまり

リンの両親以外のオトナをフル活用しています。


②少子高齢化

一方で、じーさんばーさんは、そもそもうじゃうじゃ

いる上に、金とヒマをもてあましています。

孫にもかまいたくなるってもんですよ。


③世代間の経済的格差

そりゃ、あんたがたはいいさ。

厚生年金、たっぷりもらえるんだから。

土地がぐっと値上がりしたから、安く買った土地が

ものすごい資産になったりしたかもしれないし。

どっちにせよ、不況のあおりで安月給・サービス残業に

暮れる僕たち世代より、少なくとも現時点においては

退職金をたんまりもらって、その利息と潤沢な年金で

くらしているじーさんばーさんのほうが、そりゃあ、

お金ありますよ。


ここで、ビジネスとしての発想。


まず、社会としては、両親以外のオトナが子育てにかかわる時代が来る。

ただし、それは昔のように「家を継ぐ」から当然のように同居して

じーさんばーさんが子育てにかかわった、というのとは違い、

もはや家族のように仲のよい長屋の住人たちが、みんなで

小さな子供と遊んだり、しつけたりするのとも違い、

今の時代的背景から導かれる、新しい家族の形である、ということを

認識する必要があるわけですね。


そして、そうした時代に移行していくにあたって、

今、何が足りていないのか。

これを充足させる、というところにビジネスの種が生まれるわけですね。


ポイント=昔との違いは

・いろいろ、便利にはなっている

・同居はしなくても祖父母が子育てにかかわる(我が家のように)

他にもいろいろありますけど、

たとえば、同居していない祖父母が、育児の支援をする、といった場合に、

どういったサービスがあれば喜んで利用するんでしょうか?


これがわかれば、ひとつ、社会的意義をもつ事業が誕生することになります。

しばらく、考えてみようと思います。

そもそも、弁証法って、こういうのであっているのか?


まあ、手法は問いません。

リンが幸せになってくれれば。


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※今日は何位でしょうか?


4歳になったら、お嫁にいってくるからねー!」


何を言ってるんでしょうか、この子は。

ラブアンドベリーに病的な興味を示すあたり、

早熟な子だと思ってはいましたが、いくらなんでも。


「でも、すぐに戻ってくるからね」


それはそれで困ります。

戻ってくることを前提に

お嫁にいかないでください。


「だから、さびしくないから、ちょっと留守番しててね」

お嫁に行ってしまうのもさびしいし、

すぐに戻ってくるのもさびしい。

でも、一番さびしいのは、こういう

子供ならではの言い間違いが、

そう遠くない将来聞けなくなることでしょうか。

だから、いまは一言一句、聞き逃したくないのです。



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田坂 広志

使える 弁証法


尊敬する先輩が尊敬しているというので、

田坂広志さんの本を読もうと思ったものの、

どれがいいかなーと。


この本は、タイトルからして、分野を問わず、

そして時代を問わず有益な何かをもたらして

くれそうな気がしたので、とりあえず購入。


まず、僕の尊敬する先輩が尊敬しているという

理由がよくわかりました。


そして、僕もこの人の本を、もっとたくさん

読もうと思いました。


この本を、なんていうか、どうやって

田坂氏が未来を予見しているのかがわかります。

どうやって未来を予見しているのか、その

キーワードとなっている弁証法の、大切な

エッセンスを教えてくれます。

ま、だからといってみんながみんな

未来を予見できるようになるわけじゃないでしょうけど。


哲学や思想、ビジネスとは一見かかわりを持たないように

思える分野が、実はとても大切なことなんだ、という

ことを改めて感じました。


学生にも、サラリーマンにも、経営者にも、その他

ありとあらゆる職業人におすすめ。


ものの考え方というのを提示してくれる本。

「考え方」をしっかりと持つことの大切さを

教えてくれる本。

考える、ということを改めて考えさせられる本。

どうしたらいいか迷ったら、たぶん手にことになる本。


ものすごく、よい本に出合えました。



※今日は何位でしょうか?


浜松へ単身赴任していたころ。
横浜へ帰らない週末、一人ですごした場所といえば、
なんといってもスーパー銭湯。


日々ノルマと格闘していた平日の疲れを
大きな風呂にゆっくりつかって、物理的にも精神的にも
癒す必要があったのです。


もはや、温泉である必要はありません。
住んでいたアパートは、ユニットバスみたいなものだったので、
スーパー銭湯の広い風呂は欠かせない存在だったのです。


ただ、スーパー銭湯に行ったら行ったで、悲しい思いもするのでした。

家族連れだらけ。
首都圏に比べて家族で出かける場所に乏しい地方都市では、
スーパー銭湯は休日の行き先として、特に若い家族にとって
格好の場所だったわけですね。


日中は子どもがたくさんいるなー、と思って
夜に行ってみると、子どもの数は少ないどころか、むしろ多い。
家族に会えない寂しさを一時でも紛らわせたかったのに、
むしろホームシックは深まるばかりだったのでした。

その思いは、いつしかある小さな夢へと。


その夢とは。。。


家族で連れ立ってスーパー銭湯にいくこと。


まあ、笑いたかったら笑ってくれよ。


でも、若い家族が、ほぼパジャマみたいな格好で
連れ立ってスーパー銭湯に来ている姿は、
心の中で、他にいくところはないのかと軽く
ツッコミをいれつつも、ほほえましくてうらやましかったのです。


時は流れて。晴れて僕は家族との生活を取り戻しました。


リンも、3歳を過ぎ、ちょっとくらいなら夜にお出かけできる
年頃になりました。


そう。その夢を実現するときがきたのです。


感情の起伏の激しい奥様は、温泉などに全く興味を持っておりませぬが、
たまに、突拍子もなく、スーパー銭湯にいこうなどと
言い出してくれます。


チャンス。プロジェクト実現の好機です。

で、早速行ってきましたよ。


いい。実にいい。
しかも、リンをつれて夜に出かける非日常感がいい。
それでいて、僕はすでにジャージ姿、という
チカラの抜け具合が、さらにいい。


ま、当然リンは、僕と一緒に入ってくれません。
それはそれで、よしとしよう。むしろ、

家族で連れ立って外出するワクワク感と、
広い風呂に一人のんびり浸かる、爽快感。
最高です。


あこがれを現実にすることができた、週末でした。


ちなみに、本日のタイトル、
スーパー銭湯に向かう車の中で、リンが
絶叫していたせりふです。


そりゃ、ふつうの人は恥ずかしいさ。
でも、父としてはそんなせりふを、公共の場で
絶叫されたら、もっとはずかしいな、などと
思うのでした。


そして、帰りの車、予定通りリンは眠りに落ちました。
めでたし、めでたし。


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※今日は何位でしょうか?


今日の日経新聞。インタビュー領空侵犯という連載で

インタビューされていたのは、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏。

僕がもっとも尊敬する経営者の一人でもあります。


最近、NPOというのものに興味を持ち始めていたのですが、

そのタイミングで、丹羽氏のNPOに関するコメント。

すごく、印象に残る内容だったので、忘れないうちに書いておこうかと。


曰く、

「一般的に社会に貢献したいというおもいばかりが熱く、

 肝心のマネジメントが弱い。寄付を集めるにもノウハウもなく、

 どうしていいかわからないように感じます。(中略)NPOの

 発展のためには経営手法を導入する必要がある」

「NPOと株式会社の違いはその利益の配分法です。株主に

 配分するのが企業。貧しい人、弱い人を支援するという志、

 使命に沿った事業に再投資していくのがNPOです。

 (中略)利益を上げるNPOを罪悪視したり、経営を

 毛嫌いするのはおかしい」


そうですねえ。

僕もNPOと聞くと、惹かれつつも引いてしまうところがありました。

なんでかっていうと、「清貧」のイメージがあったから。

僕は、そんなに人間ができておりません。

世界平和と家族の幸せ、どちらが大事かと問われれば、家族の幸せなのです

(そして家族の幸せを実現するためには、世界平和も必要なのです)。

NPOというと、つい、自分や家族を犠牲にして云々、という、

ものすごくうがった見方をしている面がありました。


そもそも、NPOにせよ、会社にせよ、長く継続してこそ

初めて意味をなす、という面があるはずです(もちろん特例もありますが)。

人間が物事を長く継続するのに、僕は二つの要因、少なくともどちらかが

必要ではないかと思っています。

つまり、

・やっていることそのものが楽しいからずっと続けられる

か、

・やっていることの先に希望が見えるから、それに向かってずっと続けられる

の、どっちか、あるいは両方。

そうでなければ、どうしても人間というのは楽なほうになびいてしまうのかと。


一定以上の「何か」を成し遂げるには、

一人では困難、当然ある程度の人数が必要になり、組織となるわけですが、

どんな組織においても、やることそのものが楽しいか、その先に希望があるか、

どっちかがないと、マネジメントはつらい。

むしろ、楽しいだけだと、飽きちゃうかもしれないし、ふとむなしくなるかもしれない。

そう考えると、その先に希望がある、というのが一番強い気がするわけですが、

それが、「世のため人のため」だけだと、大半の人はやっぱりつらくて、

「自分のため」の希望も必要なんじゃないか、とおもうわけです。


さらに、

どんなに理念が崇高であっても、現代社会においては、

端的に言えばキャッシュが枯渇したら継続できないわけで。


このあたりのことは、株式会社かNPOか、ということは関係なく。

組織で事業に取り組むってことは、つまりそういうことなんでないかと。


で、まあ、結局、会社とNPOは何が違うかって言うと、

その利益の配分法だ、というわけですね。これで実にすっきりしました。

つまり、仮に自己資本を全く投じずに株式会社を営むとするとすれば、

その利益の配分先が異なるだけ。その配分先に与える利益に対してのみ

報酬を受け取るとすれば、それが会社であってもNPOであっても、

受け取るべき報酬というのは全く同じだってことになります。

(まあ、その場合は、IPOで一気に大金持ち、というシナリオは

 描けないわけですが)


ということは、

NPOを経営して大金持ちになったっていいわけですよね。

それと同等以上のすばらしいものを世の中に提供していれば。


「会社法ができてまだ120年というわずかな歴史です。企業という

 形が21世紀の唯一絶対の組織とは思えませんね」

「一方、NPOは上場する必要もないし、株主に利益を配分

 しなくてはならないということもない。個人や企業から集まる

 民間寄付をもとに事業を展開し、リターンは一般市民に

 還元されます。当然、組織として強くなる。社会的責任を

 自覚する人、寄付を生きがいとする人、地域のために尽くそうと

 思う人、そんな人たちがNPOに集う。こういう組織のほうが

 企業にかつのではないか。NPOが企業にとって代わる

 時代が来るかもしれません」


聞き手のコメントにもありましたが、企業とNPOの垣根が

最近はどんどん低くなっています。

企業とNPOを比較するのではなく、その両方の強みを活かした

組織が、どのような形態であれ、残っていくのかな、と。


(NPO黄金時代が来るとしたら最大の課題は?との質問に)

「一番大事なのは信用、信頼です。透明性と情報開示が

不可欠でしょう。(中略)説明責任を果たさないと、NPOは

成り立たない。企業以上に信頼性が求められます」


インターネット株取引の発展で、個人投資家という存在が

増えてきました。影響力も大きくなってきています。

そして、投資対象も、株や国債だけではなく、

音楽であったりゲームであったり、さまざまに

なってきました。また、社会的責任投資など、

投資に対する考え方も多様化してきているようです。

投資そのものが一般的になってきたことを

考えると、NPOが資金を集める可能性というのも

十分に考えられるような気がします。


株式会社なみの強い財務体質や資金力、

それでいて社会貢献性がNPOと同じくらい強い。

経営も、手堅く、着実に。すると、

最強の組織が出来上がるような気がします。


僕たちは制度上、株式会社ということになってますが、

そういう組織を目指したいな、と思うわけです。

大きくならなくてもいいんで。


当然、自分も豊かになりたいです。


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今日は何位でしょうか?


そう言い残して、リンは深い眠りについてしまいました。


車で駅に向かう途中、忘れ物に気づいて、

一度マンションにもどり、

妻が部屋に取りに戻っている間、

マンションの前で車の中で待機している最中のこと。


というわけで、僕は留守番。

寝息を立てるリンの横で、これを書いているってわけさ。


リンは、とにかく寝るのがキライな子です。


3歳になって、保育園でも昼寝をしない日が増えてきたようですが、

昼寝をしなかったにもかかわらず、9時・10時まで起きていることは、ざら。

昼寝をしてしまうと、10時まえに眠りに落ちることはまずない、といった感じです。


なんでだろう。父は、こんなにねぼすけなのに。


睡眠欲そのものが他の子どもより少ないのか、

寝るという行動そのものが嫌いなのか(それは僕がピーマン嫌い、とか言ってるのと同じレベルで)、

どっちにしても、睡眠時間は絶対平均より少ないわけです。


そんなリン、

眠いかどうかは一切関係なく、「眠い」を連呼することがあります。

ぼくに抱っこしてほしいときですね。


「眠いから抱っこして」

「眠くて歩けなくなっちゃった」

「抱っこしてくれないと寝ちゃうよ」

などと、ストレートな訴えから若干脅迫めいたものまで

バリエーションは豊富ですが、


眠くて歩いていられないから抱っこしてくれ、という

メッセージを、僕に対してだけはかなり頻繁に発してきます。

ちゃんと、僕と妻の体力をしっかりと把握しているようで、

妻に対しては、抱っこして、ということは一切ありません。


抱っこしてほしい理由も、どうも大きく二つに分かれるようです。

一つは、純粋につかれて歩きたくないとき。

もう一つは、なんていうか、愛情を確かめたいとき。


大丈夫。パパもママも君のことを深く愛しています。

だから、安心して、眠っておくれ。

絶対に、11時までには。

僕は「恋のから騒ぎ」が見たいのだ。


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高野秀敏 。29歳。

株式会社キープレイヤーズ 、代表取締役社長。

僕が尊敬する、ボスです。


その生き様は、予測不可能

本人いつも、全力疾走


新陳代謝は絶好調

四季を通じて手に汗握る


寒さにゃ強いがエアコン嫌い

むしろ真夏に風邪を引く


いけいけTA・KA・NO!

GO!GO! HI・DE・TO・SHI!


オイラはあんたについてくぜ♪


いつしか、コミックソングの歌詞のようになりましたね。

トルネード竜巻 にでも歌ってほしい。

なにが言いたかったかっていうと、つまりは汗っかきだってことです。


そんな魅力たっぷりの、我が社長、高野秀敏。


そんな生き様を少しずつ、明かしていこうとおもいます。

まさに、パーソナルブランディング。

いつまで続くか分かりません。

コアなファンの方は、むしろ目撃情報等を提供してくださいね。



今日は何位でしょうか?

ベンチャー企業といっても、毎日日付が変わるまで
会社に詰めているわけではありません。
そもそも僕たちは東京21Cクラブという、
会員制の共有ビジネススペースを根城にしていますから、
11時半までしかオフィスにいられないですし、
そもそも携帯電話とラップトップがあれば、
仕事はできるわけです。

そんなわけで、たまには早く帰ります。
たまに早く帰ると、リンが、ものすごい笑顔で
父を迎え入れてくれます。


「パパー、今日は早かったね!」
おお、お前の顔が見たかったからな。

「パパが帰ってきたら、うれしいなー!」
おお、そうかそうか。
パパもうれしいぞ。

「パパー、どうして早く帰ってきたの?」
えー。どうしてっていわれても。

どうして早く帰ってきたの?なんて聞かれると、
なんだか会社で仕事を干されて、することが
ないから早く帰ってきた、みたいな気分が若干。

いやだなー。
父親は家に常にいないもの、と子どもに認識されてしまう僕。
早く帰ることに後ろめたさを感じてしまう僕。

仕事は遅くまで会社にいれば
いいってもんぢゃありません。
早く帰って、かつ高いパフォーマンスを出してこそ
かっこいい、と僕は思うわけです。

そういえば、保険会社時代、直属の上司である
支社長は、7時過ぎには会社にいませんでしたね。
仕事がとにかく速かった。
でも、

なんでそんなに早いのかなー、と思っていたのですが、
・仕事を振るのがうまい
・無駄なことを捨てるのがうまい
・決断が早い
というのが、その理由であることが
観察していてわかりました。

指示は、具体的、明確。
決裁は、迷わず、即断。

で、自分がやる必要のないこと、僕でもできることは、
さくっと僕に投げて帰る。
ある意味、上司としては理想的でしたね。

そんなボスのもと、僕も中間管理職としての
仕事の仕方をある程度おぼえたわけですが、
これから、というときに退職。

すみません、支社長。
支社長に教わった「即断」の結果です。
自分の考えを、明確に、具体的にしてしまった結果です。
いまでも、深く感謝しております。

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