大学は1年浪人して地元の大学へ。

 

大学では勉強に部活に好きなことを好きなようにやってきた。

 

オープンキャンパスのボランティア・学園祭実行委員・サッカー部マネージャー。

ゼミはスポーツ系のゼミで何回か行動分析学のゼミに紛れて授業を受ける。

 

興味が赴くままに動いていて、とりあえずやってみる。の大学生活。

 

 

楽しかった。

でも、結局は大学という組織の中の一員であるため、

思い通りに動くことはできなかったり、考えに考え抜いた意見にまともに向き合ってくれないこともあった。

 

 

たとえば、

大学では自分で授業を決める。

大学の都合で単位の読み替えが3年の時にあり、

単位認定において明らかに学生目線で変更されていない点があり、

単位として認められたり、認められなかったりすることがあった。

「この場合は読み替えの単位として認められるのですか?」

と、学科内で人気のある信頼の置ける教授に質問したことがあった。

そこには明らかな矛盾があり認められるはずの単位が認められないという意味不明な怪奇現象が起こっていたのだ。

自分が問題提起をすることで、その先生はしっかりと向き合い大学や教授陣の会議などにかけてくれると思った。

 

 

しかし、現実はそう甘くなかった。

「それを認めちゃうと他のことも変えなくちゃいけないし大変だから、、、ごめんね」

自分がブラックホールに吸い込まれるかのごとく、全てが飲み込まれるくらいの失望を感じた。

 

なるほど。これがこの大学の組織で生きていくことなのかと。

しかし、批判をしたところで何かが取り戻されるわけではない。

 

他の活動をする時もこの大学によってもたらされる失望感は幾度となくあった。

学生として支援されているのではなく、管理、監視されているのである。

 

 

そこで、なにが問題なのかを考えてみることにした。

 

 

学生(自分)が失望感を感じるような、管理や監視になってしまうのか???

 

学生側の問題点は、

自分が大学職員や教授として学生の支援や運営をしていたら、ハリセンで後ろから頭を引っ叩きたくなるような

横柄な態度の学生、期限を守らない学生、結果を残している部活の学生の優遇、自分で考えない学生、......etc

とても、自分が職員や教授だったら公平に知識や環境を与えたくないなと思う学生も多くいるのが学生の問題点。

一番問題は、何のために大学に来ているかわからない、目的を考えない『考えない学生』(ネガティブ学生)がタチが悪い。

でも、ネガティブ学生は単位が足らない、再履修、再テスト、などの不利なことが後々生じて苦しくなる。

よって、考えないという行為が本人に何かしらの不利な状況として返ってくる。

自業自得であって別に大学側にとってそこまで都合が悪い話ではない。

タチが悪いのは、ネガティブ学生ほど文句や批判をする評論家傾向にあるということ。

あの教授は難しい、レポートが大変、あの教授はおもしろくない、あの教授は面倒くさい........etc

自分にとって楽であるか都合が良いかで判断する。この判断は悪いわけではないが、思い通りにならなかった時、不利になった時、苦しくなった時に自分を省みるのではなく、教授や職員のせいにするのだ。苦しみや楽しくないを外在化するのである。そして、行動をしない。"有口無行"な学生が多いこと。

そうなると、教授や職員はたまったもんじゃない。

一生懸命やっているのに、有口無行な学生のSNSや口コミで人生を左右されてしまうのである。

そうすると、大学側は管理や監視的なことをしていた方が都合がいい。

こうして、学生の問題から監視、管理にしてしまう結果になる。

(※前提条件として、大学側は学生に最良の環境と知識を提供している状態)

 

 

次に、大学側の問題を考える。

大学内の教授内、職員内、教授と職員内の人間関係問題。

どう予算を通すか、次の学科長や学部長は誰か。など、教授や職員が抱える問題が大きくて、多いため学生にエネルギーをかけている暇がないということ。

そして、人に教えるのに向いていない教授がいるということ。

あくまでも研究者やある分野の専門家が教授や講師としてある決まった時間に知識を提供することが目的であって、

小、中、高のような集団学習をする場所ではない。

よって、教授や講師は指導や教育に必ずしも長けているのではない。

しかし、大学という場で指導者や職員として働き、報酬を得ているならば、学生にとって最良の環境を与え、自らが持ちうる最高の知識を提供していこうとするのが目的でなければならないと考える。

大学組織の問題が学ぼうとする学生に影響を与えないよう最善を尽くすのが大学教授や職員の務めである。

前向きに考える、何事にも挑戦する集団が大学であって欲しい。

現在は利益や結果、正解ばかりを求める集団になっていることが、学生を管理、監視という選択を取っていると考える。

(※前提条件として、すべての学生はポジティブな学びをするのとする)

 

 

 

大学の学生に対する管理や監視はなぜ起こるのかを客観的に考えると、

大学は学生の有口無行な学生のSNSや口コミで大学が評価される。

学生は大学の利益や結果、保守的な経営などの弊害を受けてしまっている。

この点が問題の大きな点であると考える。

(国や行政の制度上の問題もあるが、今回は大学と学生について考えた。)

 

 

 

 

皆さんはどう思うか、考えがあれば教えて下さい。