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今日の日記のタイトルはちょっと悩みました(笑)

名前と呼ばれ方、みたいなのにしようか…

先に、採用したタイトルに沿って始めますが、人の脳は単純に、自分の名前を呼ばれると喜ぶのだそうです。
呼んでくれた人に好意を持ちます。

まぁ、ポイントアップくらいな感じで良いと思いますが

それを本で読んで、確証はありませんが試してみることにしました。前の会社で、店のスタッフの方に意識的に名前をつけて呼びかけました。

ねぇとか
あのさーとかじゃなく。
特に新人さんや応援に来てくれた方は多めに呼ぶようにしてました。
呼ぶときは間違えないようにすごく気をつけました。

それが良い結果に結びついていたのかは正直はっきりとは分かりません。
それに、なんとなく、変な緊張感が出てしまう時があるのを問題に感じていました。

なにか怒られるんじゃないか、責められるんじゃないか、なにか失敗をしたんじゃないか…

って、相手の人がちょっと構えてしまっているのをときどき感じていました。

だから私のやり方は、上手ではなかったんです。でも、そういう取り組みをしていたということです。


名は体を表すといいますが、
その人のキャラに合わせて呼び方が変わるということもありますね。

私は昔(中学生くらい)から不思議に思っているのですが、男の人から下の名前で呼ばれます。
子をとってさん付けもしくはちゃん付けです。
明確に目上の人からは2文字呼び捨てで呼ばれます。
部活の顧問しかり、会社の社長しかり。

私ってそういうキャラなのか?
不思議に感じています。
不快ではありません。呼んでもらっている人は、そういう距離感なんだと思います。
どっちかというと嬉しいです。

女性からも多分に下の名前で呼ばれますが、特に不思議とは感じていません。感じていないだけなんだと思いますが…

不思議に感じるというのは、ささやかな違和感というか、こそばい感覚なのかもしれません。

名前を呼んで、
「なに?」と答えると、
「呼んでみただけ~」っていうシチュエーション、マンガやドラマにありそうですが、すごく良いシーンだと思います。

名前を呼ぶ方が、他のことをいうより言いやすいかもしれない。

相手のために名前を呼ぶ時には、相手の人が心地よくなるような呼び方をしたいと願っています。


今も、毎日、日常的に、私を名前で呼ぶ人たちがいます。
それにも関わらず、その人に呼ばれることがとりわけ嬉しい、という人がいるのです。

なんなんだろう? 何が違うんだろう?
呼ばれるだけで、内心「わぁ!」ってなるんです。

本当…
なんなんでしょうね。

相手によっちゃ、
「気安く呼ぶな!」っていうのもアリかもしれませんが、
私が言うと本気の拒絶になってしまうので、あんまり言わない方が良いですね。


このあたりも本当、
なんなんだろうって思います。

本気の拒絶で傷つけてごめんなさい。

気持ち良いメロディーって、どんなんだろう。

それが分かれば、書こうとすることもできる。


語るようなメロディーは、どんなのだろう。

「気持ち良い」と「語るような」は、別々の要素。


confortable

and

parlare


混ざっちゃったよ。。


両立もできるのかもしれない。

「気持ち良い」かつ「語るようだ」


どちらも当てはまらないかもしれない。

「気持ち良くない」かつ「語らない」


でも傾向として、

気持ち良いメロディーは長い音を多く含む

語るようなメロディーは喋り言葉に似て短い音が多い

っていうのは予測できる。


激しく音が上下するっていうのは

どちらともそれほど関係がない気がする。


上下して気持ち良いのもあるし、たぶん、良くないのもある。


不自然なのがきっと不快。。


メロディーとして

あと

歌詞から見て

不自然

ていうの。



日本人の作る音楽はコードが多く複雑だという話を時々聞く

日本人の凝り性とか

「日本人が」というのにはつながらないかもしれないけど

たとえば鍵盤とギターを例にとれば

それぞれを基本の作曲ツールとすれば、

鍵盤のほうが複雑なコード進行になりやすいのではないか。


それは実際弾いてみたら

似合うとか

出来てしまうからとか

だからそのアビリティを生かさなければならないとか

あるのかもしれない

でもそんなのは勘違いではないか。


なんで。。


なんでもかんでも極めなければならない

本気で取り組まなきゃならないって

みんな思ってる? 自分も、みんなも

私は

ただ

選択肢を増やしたい

だけ

かな

選択ができるのは

良いこと

かな


選択が出来るから

迷い

悩む

無ければ良かったと思うこともある

かもしれない

けれど


選ぶ余地さえない

というのは

やはり

悔しくて

沢山持っていたいの、

選択肢は。




気持ち良いメロディーに出会ったから

こんなことを考えついたりもする。

問わずにはいられない、
そんなことはままあると、他人事ならいえるのに、
だって、
自分のことなら生の矛盾を感じているから。

今とても心を引き付けられる人がいて、10日くらいずっとその人のことを考えている。
でも私には、その気になる人のポジションには、前からいた人がいるのに。
その人だったはずなのに。

あっさりと交代がおき、
少ししたらもとに戻るかと思ったけど、今はまだそのまま。

先の人の態度に、なんとなくの違和感はあった。
なんだろう、互いにすっと離れていくような。
自分にしか分からないのかも知れない。けれどとてもスムーズというか、自然だったから、
その気持ちが薄れて消えていくのは寂しい、悲しい、でも、そういうことなのかなって、静観している。

隙間は空いていたのかもしれない。
そのポジションは空いていたのかもしれない。

だけど、頭が遅れてる、感覚に。

先の人は、とても真面目で、真面目すぎて大変で、辛いときもあるけど、それでも懸命に生きている人。
心の器にはひびが入っていて、それでも幸せの水を撒き、それによって幸せの水を注がれる。

後の人も、真面目は真面目だけど、どこか温かさ、優しさ、重さ…?を感じさせる人。あんまり辛くなさそう。安心感…かな…?

何がどう違うのだろう、違っていることは分かるのだけれど。


どうやっていまのその人になったのだろう、
それは、いつもいつも気にかかること。


人に会うのは面倒で億劫だ。
だけど会ったら、会って良かったと思う、
他の人にももっと会いたいと思う。

音楽をきく
絵画や美術作品をみる
その人が作る食べ物を見て食べる
っていうとき
ただ耳がきいているんじゃない
目がみているんじゃない、味だけを味わっているんじゃない
発信者の人間をみている。
その人に会い、その人の感性に会う

会いに来たんだよ。会いに来た。

聖人君子も
どこか傷付いている人も
どこか少し汚れている人も

すばらしいとか、好きだなって思えたら…

その人は人なんだ。人だから。


その人のこれまでの日々と努力に、感謝と称賛を。
それが尊い。
これからも…
危ういと知っていても…
大事に守りながら、続けていけたら。

沢山の人が、見守っているんだよ。