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タイトルの通り
映画「図書館戦争」を観てきました。

シリーズを文庫だけど全部買って

すでに全部売り払ったっていう(笑)

主演が岡田准一と栄倉ななって聞いてから、楽しみで仕方なかったよ♪

だってはまってるもの!!




1本映画観る間に、いろんなことを思いました
というか
気持ちとしては、いろんなことが起きました。

本編始まる前から
今後の映画の予告
ジブリ・宮崎駿の新作、もう流れていますね。「風立ちぬ」

個人的には
かぜ、
立ちぬ。と
時間を使って読みたいです。


なぜ。


やっぱり、きれい。
日本人の、と
いっても大丈夫かしら。
日本人というくくりでは、
大きすぎ
それとも
小さすぎ
かもしれないけれど

日本人の心に馴染む
懐かしい絵柄、色使い
イメージが
あぁ、わかる、わかるよと
瞬時に思えること


な ぜ そ う な の か


説明できる理由があるのかもしれない
それは説明したら面白くないのかもしれないし
ものすごく面白いのかもしれない


でもね
やっぱり好きだ、って
安心するには十分なのです。



えぇ。
本編ですね。


泣きましたね。
イイ感じで泣いたので、目がイイ感じで潤ってます(笑)


話の主要な筋に泣いたんじゃありません。
作り手も、そこに泣きを仕込んだのではないと思っています。


栄倉ななの役は、笠原郁といって
私と同じ名前なので、もしかしたら岡田に呼んでもらえるかもと思いましたが、
そういうシーンはありませんでした。

残念(笑)


銃撃戦、肉弾戦もかなり見せる映画ですが、設定上、栄倉ななや岡田が属する図書隊は制止防衛のためにしか力を行使しないことになっています。

それが、話の流れで、栄倉なながはじめから最後まで人間を殺傷する目的で拳銃を撃つシーンがあるんですね。

それを見ていて、撃ってしまってから、本当に「あああぁあぁあ」「わぁぁあぁあぁぁ」って映画館で叫びそうでした。
やむを得ず、撃たざるを得なかった彼女に乗っかりすぎました。



あとねぇ。
私は人に聞きたい。



人の心は、どこにありますか?

人に心は、あるのですか?



当たり前じゃありませんよ。
近頃じゃ、人の心や思いに出会える機会は希少なんです。
引き出そうとしたって、出てこないことが多い。

なんでそうなのかな。

つまらないし
悲しいけれど。


だからこそ、出会えたときの感動は大きいです。
その力も、重くそして大きい。
受け止められない、受け取れないなら
妄りに現せないし、見境なく引き出しちゃいけない気がします。


だからか?


それにしても、見せなさすぎでしょ。


もはや、隠した心などないかのよう。
隠したふり、何かがあるふり。


みたいなね。


カモミールが、物語のキィ・アイテムなのですが、
劇中では一貫して「カミツレ」といっているところも良いですね。
オシャレじゃないのが、良い感じ。


岡田のアクションは見応えあるしぃ
音も、良かったですよ。

あ、福士そうたは、胴が細すぎ。
でも、薄くないのが不思議で、蛇みたい。

見ていて、
映画にしきれなくてはみ出したエピソードが沢山あるんだろうなって
原作を知らない人にも分かるはず。


それに、メディアリテラシーを求められる今の時代にフィットしている。


それが書籍でなく、別のメディアになって広がっていることに、新しい意味がある。



そして

映画って
なんだ?

とか


映画は
やっぱり
何かが特別なんです

テレビが毎日映画みたいだったら、
それはそれで大変だろうな。
でもな。


映画には映画独自の価値がある
それを理解して愛した人が価値ある映画を作る
感動を 届ける…


そういう人の手を
握りたい
なんてちょっと

変態っぽい、かもね!

あー…
言うなれば…

また
子供を
死なせてしまった
みたいな

新卒社員の子がやめました。
ひとつ、よくも悪くも困ってしまうことは、

彼を雇うことを私が決めたのではないこと。

さらに

私の直属の部下ではなかったこと。


彼が100%私の部下だったら
少なくとも
私が責任をとることができ
私にほぼ全ての原因があると認識できた

それが出来ない

狡くて
不自由な。


部下を育てられないこと
ダメにしてしまうことが
これほど辛いのは少し特別な気もしますが

うまく育てられたことは未だない
のです


なんだよー

わー


なん

なん

なんなんだよー( TДT)


どこかで
人を育てることが
自分の役割だと
プリンティング
しちゃった
んだろうな。


中途半端にな。
日記書くの久しぶり。
仕事で浜松に行ってきました。
ジャパンバンドクリニック@アクトシティ浜松。
吹奏楽の一大イベントです。

大学出てから、ほぼ吹奏楽や管弦楽を聴かなかった自分。コンサートはもとより、テレビでも見ないしCDなんかも聴かない。
吹きもしない。
それからもう5年あまり。
徐々に徐々に、治ってきたのかな。
仕事で楽曲のレビューを書き。
制作するCDの収録現場に同行し。
でも、仕事で聴くことはあってもプライベートでは決して聴かない
という状況も、もしかしたら少しずつ通り抜けて
コンサートホールのコンサートをつまみ聴き(ブースを抜け出して)

楽器を吹きたい気がするなどと!


それとは別に
そうした器楽的あるいはクラシカルな音楽を聴くかわりに、ポピュラー系歌ものの音楽を多く聴いてきました。
それらを聴きながら、感じ、そして不思議に思っていたのは、

点と線で出来た音楽が多いこと

それに違和感を感じるのは、それまで聞いてきた音楽が、面もしくは空間を満たしたものだったらしいこと

でも分からなかったんですよ。どこで聞いたなんの音だったか。

ただそこには、空間とともに感覚に充足をもたらす響きがあって
今はない
ということ…

格好よく機能的であっても、どこか確実に飢えていっているということ…


それは間接音やハコの残響も利用した、コンサートホールで聴く類いの音楽が持っていたもの
点と線の間を響きで満たす音楽
だったかと

以前は意識しなかったのです、今ほどには。

もう分かったから、少しだけ

間引いて骨組みで出来た音楽も
不足や欠如したものではなく
選択肢に過ぎないのだと

音作りも
すなわちオーケストレーションと考えても良いし
(書くときのね)


ほらぁ

あの島とこの島がつながったよ!


っていうね…
辻褄があっていく。
関連なく遠く離れて見えたシミが、滲んで広がっていつの間にか繋がっている、みたいなね。

良かったぁ…
終わり良ければっていうのは、予測出来ないのが怖いんだけど。

自分の
勘のちからを
知って、信頼できたら良い
のに