2週間ほど前に叔母が、急死し急遽都会に行って来ました。
高齢者(母親ともう一人の叔母)の付き添いです。
↑新幹線のチケットが券売機で買えないとか・・
昨年父親が、亡くなり相次いで叔母が亡くなって驚きと何かあるんという気持です。
しかも 火葬が伸びに伸びてやっと火葬して貰えたのが亡くなって4日後でした。
驚き過ぎて、涙もでず父親が亡くなった実感もないのにまた叔母が亡くなり
脱力感が襲ってきました。
話は、元に戻りますが、父親が亡くなる寸前
私と父親は、同じ日に交通事故に遭いそうになって回避出来たのは、私の方でした。
父親は、交通事故に遭い頭を強く打ってそのまま入院し
その後 施設に入り1年半施設で過ごした後に亡くなりました。
しかも交通事故に遭った時に榊を買いに出かけたらしく
何で?神様事をするのに車に撥ねられたのか・・と思いました。
私を撥ねそうになった車 右折しようと突っ込んで来たのですが、
ギリギリブレーキを踏み直進していた私は、撥ねられませんでした。
何故かその時に車を運転している人の顔を見ると(運転していたのは、女性でした)
狐みたいな形相で、私を睨み付けていました。
顔が、何故か狐みたいなきつい感じで、私を睨みつけていました。
今から思えばもしかしてお稲荷さんの加護かもと今更ながら思うようになりました。
何故ならその週に私は、実家に行って屋敷稲荷にお願い事をする予定でした。
お願い事というのは、私の息子達が、
「実家の屋敷稲荷の後継者になる事を回避したい」と、言うお願い事でした。
父親が、亡くなり実家の屋敷稲荷(伏見稲荷大社からおじいちゃんが勧請した御魂)は、私の手で、伏見稲荷大社にお返しする事が出来たし
私の息子達は、実家の屋敷稲荷の後継者にもなる事は、なかったです。
お稲荷さんは、私との約束を果たしてくれたのかなあと、思っています。
息子達を後継者にする事を回避したいというお願い事をした後
momoさんに言われて
(momoさんはわざわざ伏見稲荷大社まで行ってくださいました。)
私のお礼参りで「完了」と、言う事で
きっちりお礼参りにも行きました。
父親は、多分お稲荷さんの査定を受けたのでは、ないかなあと、思ったりします。
故に親子であっても魂の部分は、別物なので
親子であるからと人の運や縁を掻き回していけないとも痛切に感じました。
神仏は、とても「怖い」存在だと、私は、思っています。
畏敬の念を持って接するべきだと思います。
私は、神仏が優しい存在とは、思っておらず どちらかと言うと
怖い 畏敬の念を持って崇めるべき存在だと、思っています。
なので神社・仏閣に行ったときも何か失礼な事は、しなかったかを
いつも自問自答しています。
査定とは
金額・等級・合否などを調査したうえで決定すること。
この場合は、おそらく魂のレベルかもしれないです。
父親より私の方が魂の上では、上だったのかもしれないです。
神仏は、礼節にも厳しく常識を持って接している人を選ぶと言う事かもしれないです
