ダリが教えてくれたこと | dahlia/ココロのお天気 Life is still beautiful

その昔、横浜のそごう美術館で

サルバドール・ダリ展を観に出かけた時のこと。

 

ぐにゃっと曲がった時計が描かれた有名な作品のほか、立体作品も含め、かなりしっかりした展示内容だったのだけど、1つ1つじっくり食い入るように観ていたら途中で具合が悪くなった。

 

それ以降、美術館で作品を観るときはサラッと観るようにしてる。

 

 

自分が一番、

あちこちに出かけていただろうと思う頃、

田名網敬一さんのフィルム上映を観た。

 

戦時中のモノクロ映像や、

女性なのか男性なのか

よく分からない艶かしい人たち、

途中でフィルムが焼けてしまうような映像、

それらは田名網さんの記憶をつなぎ合わせたものだった。

 

途中で意識がどこかに飛びながら、上映後はなんだか酷く疲れた感じがした。

 

 

今思えば、

他人の記憶を共有しようとするのは

体力がいることなのだ、と思い知る。

 

 

ある一時期、

 

何でもいいから好きな絵を一枚あげるよ

と言われたらマーク・ロスコの絵が良い!

 

と思っていたのだけど、

実際どこかの美術館で彼のとある作品を見て気が変わった。

 

 

私は単純に彼の色彩、

キャンバスにのせる色の組み合わせ、

いわゆる配色の美しさが好きだった。

 

でも実物を観た時、あー、これはダメだって気がついた。

 

彼の絵には何か小さなバグ(虫)が

絶え間なくキャンバスの中で動いてるような、

なんだか落ち着かない感情のようなものがあって、

それを部屋に飾るなんて以ての外!と思ってしまった。

 

 

その後、別の美術館でほかの作品を見た時には

そう感じなかったのだけど、

 

最初に見た実物でロスコの感情を感じてしまった故、

彼の作品は私にとって欲しい絵ではなく、

美術館やプリントで見る方が良い絵になった。

 

これらをつなぎ合わせて考えると、

 

要するに私にとって、

他人の感情を共有する、共鳴する

というのはひどく自分を疲れさせてしまうらしい。

 

絵などから何かを吸ってしまう体質なのか、

境界線をしっかりしないと、

自分と他人の境がわからなくなるような、危うい感じがする。

 

特に芸術家なんて、変人の塊みたいなものだもの。

 

まともにその世界に入り込もうとしたら、こっちの頭がおかしくなっちゃいそう。

 

 

実生活でも、

たまぁに他人の感情が

まるで自分のもののように感じられることもあって、

ちゃんと自覚しないとマズイなと思うこと、しばしば。

 

私は自分が思う以上に

外部からの影響を受けやすいんだと

自覚したのはまだ近年のことで、

だからなのか、時々、一人になりたくなる。

 

ちょっと家を離れて

日常のつながりをリセットしたくなる。

 

シャワーで体を洗い流すように、

自分を身綺麗にしたくなる。

 

自分だけの世界と空間。

意識を自分だけにしたくなる。

 

日本人でも、

特に都会に住んでて疲れている人は、

もしかしたら無意識のうちに自分のものじゃない、

他人の何かをくっつけてるのかも。

感情とかエネルギーとか。

 

だからもし、

 

なんか疲れてるなぁ、

おかしいなぁと思ったら、

こういうことを疑った方がいいのかも。

 

空気を読めちゃう人、他人の感情に敏感な人は特に。

 

 

静かで暗い深い水の中に、こっくりと包まれたい。

雨が降りしきる季節だからか。

今、そんな気分。

 

 

 

 

 

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