絵が上手くなりたいって思って
自分が勉強したり練習したりするのはいいけど
自分の絵を誰かに認めて欲しい
とかになっちゃうと、何かズレちゃう。
その誰かが認めるか否かは
誰かさんが決めることで、自分でコントロールできない。
好きな人に振り向いて欲しいと
あれこれするのはいいけれど
その人が自分を好きになるか否かはその人が握ってる。
残念ながら自分でコントロールしたり主権を握れない。
何かに対して結果を求めると苦しくなっちゃう。
自分でコントロールできないことを
目標や目的にしちゃうとしんどくなる。
誰しもが
最初はなかったんじゃないかって思う。
結果を重視することって。
いつのまにか、社会に出てから一層(?)
結果を求めちゃう(求められる)ようになると
それが得られないとしんどいって現象が起こっちゃう。
なので、それは考えないようにしようと思うわけです。
でも、結果は欲しいよね、
自分が望むようなやつ。
じゃぁそのためにはどーしたら良いかなぁって
自分ができることをやるしかないみたいなところにたどり着くけれど
達成することで満足を得るって
なんなんでしょうね。
夢を実現して行く人を見て
それを『すごい』と思う認識って
多分(それをやってない)他人の物なんだろうなぁ。
本人も達成した満足感はあるだろうけど
すごいっていうのとはまた別物の気がする。
その人はただそれがやりたかっただけ
ってことが結構ある。
あーだこーだ求めてしまったり
考えてしまうのは
良くも悪くも過去の記憶が抜けてないのかも。
自分にとって良かったことも悪かった(と思うような)こともクリーニングしましょうって意味が、なんかわかるような気がしてきた
満足も後悔も良い記憶も手放すって
こういうことなのかなぁ
自分がニュートラルであるのに不必要なものは
たとえそれが自分にとって良い経験の記憶だったとしても
もういらないのかも
手放すってそういうことかぁ



