一体の世界での競争は、
本当は作りごとの妄想です。
MARTHは
よくこんな話をします。
もう何十年も前のこと
テレビで暴走族の男の子が
自己啓発のトレーナーから
「勝たなくてもいいんだよ」と
教えられたことで
こころから癒され
お母さんや弟につらくあたっていたことを
反省して 泣いて
本当にいい子になったという
ドキュメンタリー話です。
勝てと教えたら
勝たなくてもいいと教えることができたら
でも
そのご両親もまた
勝たなくてもいいと教わることができなかった
そこには
かなしみの人類の歴史があります。
エデンはずっとそこにあって
人類の帰りを待っています。
EDEN
ISAIAH TORAH 700BC
一体である未知なる不可思議なもの、
その全体の一部分に名前を名づけ、
それを本気で信じるなら、
そこに分かたれが生じます。
自我とは、そのように生まれるものです。
それと同じように、
真実、本当にそう在るものでなくても、
人間が名づけたり、決めたり、作ったりしたものが、
この世界にあふれています。
あらゆるスポーツの種類も、
人間に作られたものにすぎないルールであっても、
本気でそのゲームで戦うこともあります。
そのことで、私たちは気づくことが可能でしょうか?
それがただ作られたもので、
本当の名でなく、本当の上下でなく、
本当の優越でないことに、一体の世界での競争は、
本当は作りごとの妄想です。
そこからの自由は、なによりも大切です。
そうでなければ、みな自我の野心で操作されて、
騙されてしまうことでしょう。
胸にいっぱいのワッペンをぶらさげている人のように…。
EDEN
ISAIAH TORAH 700BC
If you give a name to a part of the unknown and mysterious thing that is one and genuinely believe in it, a separation occurs.
The ego is born that way.
Similarly, this world is full of things humans have named, decided, and created, even if they don't exist.
All kinds of sports, even those with rules men have only created, can seriously compete in that game.
Is it possible for us to realize that?
That it is just made up, not a real name, not a real hierarchy, not a real superiority, competition in the world of the one is really a made-up delusion.
Liberty from that is more important than anything else.
Otherwise, our ego ambitions will manipulate and deceive us. Like someone with a bunch of patches hanging from their chest...
EDEN
ISAIAH TORAH 700BC
エデンのような一体の世界では、
万物すべてが一者、一元性によって存在するという気づきがみなにあります。
それゆえに、自己を拡大したい、自己を良くしたい、
自我を優越させたい、勝ちたい、 うぬぼれたい、優性だと信じたい、自我の劣等、あらゆるものが存在しないのです。
一体の世界では分かたれがないため、 分かたれた自我を向上させるという価値観が存在しません。
それゆえにみなが癒されていて、愛があって、野心がなく、静かであるのです。
逆に、二元性の自我世界では、
競争やケンカ、比較、争い、戦いの苦しみが、
また、自分の内なる葛藤が自らを叩くつらさにさいなまれるのです…。
エデンが楽園であったというのは本当で、
一体の気づきのある世界では、 その至福から、すべてが楽園となってしまうのです…。
EDEN
ISAIAH TORAH 700BC
In a world united like Eden, everyone realizes that all things exist through oneness, one person.
Therefore, the desire to expand the self, to better the self, to make the ego superior, win, be vain, to believe in superiority, the inferiority of the ego, all these things do not exist.
There is no separation in the world of oneness, so there is no sense of value in improving the separate egos.
Therefore, everyone is healed, loving, unambitious, and tranquil.
Conversely, in the dualistic ego world, we suffer the pain of competition, fights, comparisons, conflicts, battles, and the vexation of our inner conflict beating ourselves up...
Eden was indeed a paradise, and in the world of the awareness of the one, everything becomes a paradise because of its bliss...
EDEN
ISAIAH TORAH 700BC
エデンの人々は、何が得だと感じるのでしょう。
一体の世界では、何が得だと思いますか。
分離の世界では、自我が勝つこと、良くなること、えらくなること、 称号を取ること、うぬぼれること、過信すること、 出世すること、大物になること、人より上回っていたり、勝っていたり、というようなことを望むでしょう。
しかし、エデン、一体の世界では、万物の一部、 部分である自我の拡大や高揚は、誰も望む人はいません。
愛の中でやすらいで暮らすことが真の得であり、 トラブルも来ない、問題も来ない、バチも来ない、 目覚めろという神から叱られることもない。
自らの愛からも叱られることもない。
ただただ、至福の生を生きることが可能なのです。
それが、最大の得だと感じているエデンの人々に、 自己の向上、優越からくる争いや比較、競争は一切ありません…。
EDEN
ISAIAH TORAH 700BC
How do the people of Eden feel about what is in it for them?
In a world of separation, the ego wants to win, be better, be great, win a title, be conceited, be overconfident, get promoted, become a tycoon, be superior, and be better than others.
But in Eden, the world of oneness, no one desires the expansion or exaltation of the ego, which is part and parcel of everything.
Living at ease in love is the true gain, and no trouble comes, no issues come, no punishment comes, no rebuke from God who tells us to awaken.
Its own love does not even rebuke it.
It is simply possible to live a blissful life.
For those in Eden who feel this is their most significant gain, no conflict, comparison, or competition arises from self-improvement or superiority.