今 世界でも 日本でも
本当にいろいろなことがおきているようです。

この世界の歴史は
いつの時からか

知識…

の果実を食べて
ただの名称づけを本気で信じたことで
わかたれ 分離して
1番美しいものを

失ってしまいました…。

そして
それを取り戻すためには
地位や名誉や

知識を増やし

ますます
エデンから離れて
一体の感覚を失ってしまっていったようです。

 

EDEN 
ISAIAH TORAH 700BC

和するとか、和をもってとか、
伝えられている言葉の本当の意味は、
私などいない 

すべては一体のものであるという意味なのです。
ですから、

一体性と無我性、自我の終焉は、同じ意味なのです。
逆に言えば、私などいないという気づきがなければ、
一元性、一体性に戻ることは、不可能です…。
人は、私などいなかったと自我を消す時に、
一体性の中に帰ることができ、
一体性とは神秘であるために、その中に帰ってゆき、
あらゆる苦しみから、解放されます…。
ですから、あらゆる目の開いたブッダたちは、
無我性をとても大切に伝え続けたのです…。

 

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC

 

エデンの人々は、いつも、自らに聞いていました…

私はいるのか…。

私は、どこに生まれたのか…。

そのとき、答えは、どこかわからないところ。

地球でもなく、銀河でもない、そのような名をこえて、

どこに生まれたのか わからない。

それゆえに、エデンの人々は、

そもそもどこに生まれたかもわからない。

今がいつか、私は誰か、

そしてどこで生きているのかすら、本当はわからない…

そもそも、私などいないと、自らを気づかせていたのです…。

それゆえに和する民が生まれ

愛とやすらぎに満ちた世界であったのです…。

 

 

EDEN

ISAIAH TORAH 700BC

人は、本当は、不可思議な中に生まれる

一生を通し、どこであるかはしれず、

いつであるか だれであるかもしれぬまま、

どこか未知へ去ってゆく…

宇宙と呼んでいるところに はてはなく

永遠に 夢の中のように 終わりがない。

人々はあらゆるものを名づけ、わかった、分けたと言うが、

いぜん神秘のまま、それが変わることはない。

人は、神秘の中、不可思議な中に一生暮らしているが、

そのことに気づくことはない。

あらゆるものが、どこまでも神秘なるものである世界なのだ…。

そしてそれは、とわに続くだろう…。

 

 

 

 

こころの底では
世界中の人たちが
この分離 わかたれに
ほとほと つかれ
愛の 一体のエデンを求めているように
本能的に感じてならないのです。

でなければ
このMARTHのメッセージや動画たちが
世界中に広まったり
拡散されたり コメントが入るのだと
思う毎日です。

一体の真実に
人類は気がつきたいのだと