今日は人間関係のお話を・・・。


人間関係において

「あの人はこういう人だ」と決めつけてしまう事がよくあった。

でも決めつけてしまうと、その人をそのようにしか見れなくなってしまっていたんだなと感じる。

決めつけた箇所が強く印象に残って、その要素が出てくる度に

「あ~やっぱりね」とより確信的な見方になってしまう。



だけれど私が相手を見ている部分って

相手を見ているようだけれど

実は私の中にあるものが映し出されているだけだった。

「私の中に相手を創っているんだ」

ずっとずっと他人って自分の外側にいると思っていたけれど(見た目ではその様に見えるけれど・・・)

私の中にしか存在しないんだ!!





例えば相手を「嫌みなやつ」って思ったのなら

自分にもそんな所があるんだ!!っていう訳じゃなくて

自分にとって「嫌み」とはどんな事だろう?と問うてみると

答えが出てくる。

その要素が相手に感じられたから「嫌みなやつ」と判断した。


そして、私ずっとずっと他人からどう思われているんだろう?って

本当に人の目ばかり気にしていて

凄く凄く苦しかったんだけれど

他人も同じように、その人の中に私を創っているだけなんだと思った。

例えば10人が私を見たとして

10人それぞれの中に私がいる。

人それぞれ、その人の中にあるもので私を見るから(判断するから)

同じ私なんて存在しない。


そう!同じ私は存在しない。

それなのに、人に○○って言われたから気になるって

永遠に終わらない。

会う人会う人の言葉を気にしていたら永遠に終わらない。

言われたことが気になったのなら、自分がその言葉にどんな意味をつけているのか?

どんなイメージを持っているのか?そこにしか答えがない。


例えば「あなたって嫌みな人ね」って言われても

相手にとっての「嫌み」と私にとっての「嫌み」が違うから

受け取るのは私にとっての「嫌み」を受け取る事になる。


だからいつだって問いかけるのは私自身なんだ!


この世界は自分が創っていると、そのように見ていたけれど

他人もまさしくそうだったと本当に最近気付いた笑い泣き


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