萩原さんのバイクが転倒後、警視庁の護送車に接触していたことが23日、分かった。護送車は直前に車線変更しており、萩原さんがよけようとして事故になった可能性もある。
護送車は被疑者を移送するための車両のことですが
「警察発表」によれば、杉並区の高井戸警察署に拘留されている被疑者が急病となり、治療を受けさせるために、車を病院まで走行させていたという。
被疑者が急病ねぇ・・・
現場は片側3車線
運転していた警部補がよく確認しないまま右側レーンに飛び出した可能性があります。
路駐の車も悪質だしそれを見越して車線変更しなかった護送車運転手の過失でしょう。
本当、車線変更は気をつけないといけません。自分も車線変更の際、
バイクをよく見落としていたこともあるし、結構無理な車線変更する車を見ます。
最初の報道では、警察車両に過失は無かったって言っていたような…
よく賠償の話を出してきたものです。
警視庁は、自動車運転処罰法違反の疑いで護送車の運転手らから事情を聴いているそうですが。
運転していた警官は業務上過失致死罪が適用されて良いと思うのですが
刑事罰対象になるんですよね
警察が責任回避に必死なのはわかりました。
どうか萩原さんの死を闇に葬らないで。
無念を晴らすためにもも
事故の真相は明らかにしてほしいです。
萩原流行さん“遺言”で「猫葬」を要望
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150425-00000000-tospoweb-ent から
萩原さんをひいた車の後ろを走っていたバンの男性(52)によれば、
萩原さんのバイクはせいぜい「時速50キロぐらい」だったという。
事故当日の22日、萩原さんはバイクで、まゆ美夫人(62)は車で同時に外出した。
「私はたまたま見送って『気を付けて行くのよ』って言ったら『うん』って笑顔を返したんですね。それが最後」となってしまった。雨の日はバイクに乗らない萩原さんだったが、四谷の行きつけの美容院へ向かう途中「たまたま運が悪く、雨が降ってきてしまって…というふうに私は受け止めています」
だが、23日朝にそう話した後、まゆ美夫人は、杉並署で初めて護送車両の車線変更が事故と関係していたとの説明を受けた。午後8時すぎに帰宅し、報道陣に気丈にこう語った。
萩原さんはかねて「気持ち的に警察で散々やられて、ちょっと参ってました」。どういう意味なのか?
「散々やられて…」というのは、一昨年1月の事故のことだという。萩原さんが乗用車を運転中に自転車との接触事故を起こしたと報道された。まるで萩原さんの不注意で人身事故を起こした印象だが、まゆ美夫人は事実と異なると主張した。その証拠に萩原さん側の過失はゼロだったという。
「人身事故を起こしたみたいに言われましたが、刑事罰も民事罰もまったく受けてないんです。荻窪警察が現場検証してるんですけど、検察に行ったときに『これじゃ分からない』と、検事さん自ら状況の検査をしてるんですよ」
これは、所轄の荻窪署の調べが検事の目には、ずさんに映ったということだ。
「荻窪警察にとっては不名誉で面目丸潰れです。ウチは全く責任のない事故をバイク(自転車)転倒とセットにされて流されたら『萩原はメチャクチャな運転してるぞ』みたいな印象をどうしても与えてしまいます。人身事故となるとやっぱりぶつけた方が悪いってみんな思うんですが、今は交通法を守らない自転車もあって、そういう事故もいっぱい起こってますので…」(夫人)
今年3月、萩原さんがバイクで転倒して負傷した自損事故とあわせて、立て続けの事故と報じられてからは特に「もう何しろ安全運転よ。今何か起こしたら叩かれるだけだよ」と萩原さんに言い聞かせ、本人も「ちゃんと安全運転で行くから」と約束していたという。
萩原さんのこれまでの事故に関する警察発表には「ウチとしては納得できないというとこがあって(主人は)フラストレーションも相当たまってたと思うんですね」とも漏らしたまゆ美夫人。
なお、葬儀については「30年前から遺言書があって、一切(死を)公表するなと言われていた。
葬式でいろんな方に来ていただくのもうれしい半面、騒がれたくない気持ちもあり、本人が休めるように密葬にしたい」とまゆ美夫人は話している。
愛猫小鉄と一緒に葬ってくれ! 俳優でタレントの萩原流行さんが22日に東京都杉並区の青梅街道で事故死した件で、まゆ美夫人(62)が同区内の自宅前で24日、取材対応した。今後は“直葬”の形を取り、火葬後の安置場所は未定としたが、本紙は萩原さんが親しい知人女性に託した“遺言”をキャッチ。前代未聞の“猫葬”にしてほしいとの要望があったと明かした。
個性派タレントの命を奪った事故の全容は、いまだ闇に包まれたままになっている。青梅街道(片側3車線)の上り車線中央レーンを、萩原さんは愛車のハーレーダビッドソンで走行。左車線の護送車が路上駐車していた車をよけようと同レーンへ進路変更した際、接触したためか、あるいは萩原さんがよけようとしたせいか転倒した。体は右車線へ投げ出され、練馬区の会社役員(59)が運転する後続の乗用車にひかれた。心房破裂でほぼ即死だった。警視庁交通捜査課は、護送車を運転していた高井戸署警部補で、東京都あきる野市在住の男性(55)らから事情を聴いている。
遅々として進まない捜査に、世間からは当局への批判が集中。
「捜査は行き詰まりを見せている。実は、護送車がよけた路上駐車していた車が事故直後、姿を消しているんです」と事情通は語る。
まゆ美夫人は夫の急死に疲労の色を見せながらも、気丈に取材対応。司法解剖のためこの日、遺体が東大病院に移送されたことを報告した。
「もっと細かく調べないと事故の状況が分からないということで、東大病院に回すと警察から説明を受けました」
事故の全容解明が待たれる中、遺体の今後にも注目が集まっている。
萩原さんの通夜・告別式は執り行わず、墓も作らない意向。まゆ美夫人は1996年に作成された遺言書を手にし、火葬後に「どこに安置するかは決めていない」と首を振った。故人はどこで安らかに眠るのか――。
生前親しかった知人女性はこう証言する。
「萩原さんは無宗教で、実家の墓も持っていないそうです。自分に万が一のことがあった場合、通夜・告別式も行わず、火葬だけするいわゆる“直葬”という形式を取ってほしいと要望していました」
子供はいない夫婦だったが「ペット好きで、茶トラ柄の『小鉄』というオス猫を飼っていました。2001年に死んでしまったけど、夫婦の自宅には小鉄の遺骨が入った骨つぼがあるそうなんです」(同)。
萩原さんは生前、この女性に“遺言”として、こう語っていたという。
「オレが死んだら小鉄と一緒にしてほしい。小鉄の骨つぼに入れてくれ」
いわば“猫葬”だ。それこそ萩原さん夫婦は、小鉄を息子のようにかわいがっていた。
今から約30年も前のことだ。まゆ美夫人は東京・西荻窪のペットショップで「3000円」と激安で売られていた子猫にじっと見つめられ、思いに駆られ購入した。帰宅した萩原さんは子猫がいてビックリしたという。のちに「小鉄」と名づけられたこの一連の逸話は、萩原さんファンには知られている。
小鉄をはじめ自宅で飼った愛猫たちに、ともにうつ病を患っていた萩原さん夫婦は救われた。今も別の猫を飼っている。
「萩原さんにとって、小鉄は人生そのものだったから。まゆ美夫人も萩原さんの遺志をかなえるために、小鉄と一緒にするのではないでしょうか」と前出の女性は語った。
「きれいな顔をしているんですよ。あれ、こんなに二枚目だったかなって」。まゆ美夫人は冷たくなった萩原さんを目の前にし、こう思ったという。
愛猫の死から14年。萩原さんは“息子”と久しぶりの再会を果たせるかもしれない。