フィリピンのイメージといえば
多くの人が南の島の楽園 ぁるいは危険な国、麻薬とぃぅ印象を受けるとおもいます。
アジア大陸の東南に位置するフィリピンは
第2次世界大戦中、もっとも過酷な戦場になった場所。
日本にとって、南方との連絡をつなぐ 戦略的な要所で
その地理から強国に利用され続けた歴史もある悲しい国。
日本もフィリピンも利用したし、日本人兵士もゲリラ部隊の犠牲になりました。
フィリピンの人々にとって日本人は敵でした。
日本軍討伐のためにゲリラに加わる住民。
米軍から武器を支給され、住民にまぎれて日本軍へ攻撃を繰り返し、
あらゆる場所から日本兵を狙い。
あらゆる場所から日本兵を狙い。
密林の中で、必死に逃げ惑った多くの日本軍兵士たち。
彼らは上空に飛ぶ、日の丸が描かれている飛行機をどんな思いで見上げていたのだろうと思います。
未だ祖国に帰ることもできない多くの亡骸が、フィリピンに眠っています。
1899年にフィリピン共和国は建国された。でもアメリカはフィリピン共和国の建国を認めなかった。
アメリカの植民地化にフィリピンの人達は猛烈に抵抗したが、60万人のフィリピン人が無残に虐殺された。
第二次世界大戦がはじまって日本軍がマニラに上陸し、フィリピンを占領したが
第二次世界大戦がはじまって日本軍がマニラに上陸し、フィリピンを占領したが
日本敗戦に伴い独立を失い再びアメリカ領に復帰することとなった
彼はフィリピンは100年たっても変わらない、と言います。他のアジア諸国はどんどん経済発展しているのにフィリピンは完全に取り残されている。
そんな悲しい歴史もあり
私にはどこか重苦しくそれでぃて懐かしさもあり、人間臭さのあふれた国のように感じます。
同じアジアだけど非東洋的な要素もあり
アメリカに擦り寄る選択をした、したたかさな国民。
あるオンラインゲームをやっていて、フィリピンの男の子と友達になったのです。
リーダーシップがあり南国らしいおおらかさで、場を華やかにさせる人です。
彼は名門大学に通ぅ18歳の青年。驚いたのは母国語とスペイン 英語を話せること。
日本の文化にも詳しく日本語もかなり話せます。。
彼は最初、自分がフィリピン人だとぃぅ事を隠していました。
だからfacebookのプロフもなかなか教えてくれなかったし、
どこに住んでいるの?ときいてもアジアとしか言いません。
その理由は
どうやら彼は自分の国が嫌いらしいのです。
国の話になったとき、「僕に国のことを話さないでくれ「僕は怠惰な人間が嫌いだ。できればニートになって暮らしたいよ。」
と言っていて
彼の言う怠惰な人間とは、フィリピンの政治家か、もしくはスカベンジャーと呼ばれる人のことを指したのかはわかりませんが
ここでフィリピンの闇の部分を私は知ったのです。
ここでフィリピンの闇の部分を私は知ったのです。
スカベンジャーとは、英語で、「ゴミを拾う人々」
フィリピンはアジアの中でも貧富の差が大きく。
貧困のため学校に行けない子供がたくさんいて
朝からゴミを拾い、売れるものを分別して残飯を食べます。
彼から聞いたのだが、最近では猫をつかまえて毛皮を剥がし、お金に換える子供たちもいるんだとか。
でも毛質が悪くたいした収入にはならないらしいです。
過酷な生活の中で子供たちは、お腹いっぱい食べたことがないため、身体も細く、いつかここから家族とともに抜け出せることを願いながらごみ拾いに明け暮れて
このような暮らしをしている人たちの寿命は長くありません。
殺されたり、レイプされたり、行方不明になったり
衛生面に問題があって死因は肺炎や結核。皮膚や気管支の疾患なども深刻。そしてそんな環境で生まれた子供たちはその生活から抜け出す道はありません。
フィリピンでは宗教によって中絶が認められていません。
だから父親がいない子供たちも多く、女性たちは産むことが困難な状況でも産まざるを得ないのが現実。
彼はフィリピンは100年たっても変わらない、と言います。他のアジア諸国はどんどん経済発展しているのにフィリピンは完全に取り残されている。
まだ18歳の優秀な若者なのに。国の将来に希望を抱けないのです。それは日本も同じだけど。
フィリピンの場合あまりにも古い道徳や法律が、多くの悲劇を生み出しています。
宗教で幸せになる人ってどれくらいいるのでしょうか.....
フィリピンの子供たちの実情を撮影した映画監督 四ノ宮 浩さん
人間は3日食えないと、頭が朦朧としてきて、食べ物を探すために泥棒でも何でもするようになる。それも人間の本質の一面であろう。貧困は数々の犯罪をも生み、人間を人間でなくしていく。
こぅ残しています。