太平洋戦争中最も苛酷な戦場となったレイテ島の.戦闘


生存者の証言をもとに考察したNHKドキュメンタリー番組の内容です。



64年前レイテ島で
日米両軍の兵士 フィリピンの住民 およそ十万の命がこの島で奪われました。


日米の戦争に巻き込まれ犠牲になった住民はレイテ戦全体で1万人。

それは果てること無い消耗戦でした。

戦いが始まって2ヵ月後、日本軍が拠点を置くレイテ島西岸の島オルモクはアメリカ軍の手におちました。

ついに大本営はレイテ島の放棄を決定
兵士達に転進を命じました。

向かう先はセブ島。


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米軍が上陸していないこの島で再起を図れという指示でした。栄養失調、風土病。

この苛酷な移動で次々と脱落していく兵士達。
ですが捕虜になることは許されません。
衰弱し歩けなくなった兵士達は、自殺用の手榴弾を持ち
両手が使えない兵士は銃を足で引き自らに向け「天皇陛下万歳」と自殺していったそうです。

海岸までたどり着いた兵士達に用意されていたのは
小型船4隻でした。


乗ることが許されたのは戦力になる将兵達。

セブ島に渡ることが出来たのは九百人。一万五千人がレイテに取り残されました。
取り残された兵達に司令部が下した最期の命令
自活 自戦 永久交戦
武器や弾薬 食料も尽きたまま戦い続けろというものでした。


取り残された一万人の兵士達が立て篭もったカンギポット山




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アメリカはレイテ島のゲリラ部隊に敗存兵の掃討を命じました。

密林の中で弱りきった兵士達の最期は多くが餓死 病死 地元ゲリラとの戦い
村人達に連行され息絶えていきました。




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第一師団の大隊長
六百人を超える部下を率いた長嶺さん。

レイテで持ち帰った石と共に戦友の遺影を毎日拝んでいるそうです。
指揮官としてともに戦った戦友の事 多くの部下の命を失ったことに責任を感じ続けているそうです。

この方はボートに乗りセブ島に渡れたんですね...現地で部下にどんな指示をだしていたのでしょぅか...。


椚さん

戦場の体験はあまりに強烈すぎて、親兄弟にもレイテのことは話したことが無いそうです。

同じ村から出征した戦友は、皆亡くなりました。



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終戦真近、ふもとの村に衰弱しきった日本兵が現れました。

当時十五歳だったエミリアーナさんは食べ物を差し出しました。

すると日本兵は懐から一枚の写真を取り出しました。


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幸せそうな家族の写真。子供達の笑顔。


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エミリアーナさんはあの日のことは鮮明に覚えていて思い出すたび胸を痛めているそうです。


誤った情報や甘い見通しではじめられたレイテ島決戦。日本が国運をかけて挑んだ戦いでした。敗北が決定しても兵士達には戦うことが命じられました。レイテ島で命を落とした将兵は八万人。兵力の97%

多くが二十歳前後で戦場に送られた兵士達
その殆どがどこでどんな最期を遂げたのかもわからないまま。


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この番組が反日かどうかはともかく日本が無謀な作戦をして多くの命が失われたのは紛れもない事実

過酷なレイテ決戦の戦場で命を落とした元兵士達の苦闘は描かれていると思います。

証言者が話してる内容も嘘だとは思えません。

ですが本当に何が悪かったのかは、今回の番組ではなぜ?の問いかけばかりで

何も追求せず責任も問わず きちんと検証されていなかったと思います。