夜行列車に乗ったのは、ずいぶん子供のころで、今や
羽田発の飛行機から降りた時には~~~青森空港は雪の中ぁ~~♪
ってな感じに歌詞の変更になった火曜日でした。
空港からバスで小一時間、雪の中を走り、父の故郷の弘前へ!

叔母の葬儀でございました。わたしが本家の跡取りなんだそうで・・・・
出戻りでも跡取りでいいのかしら???的な感じで、しきたりの「し」の字もわからず
座ってていいというから、借りてきた猫のごとく、遠慮なく座ってました。
マイナス4度だし、古い叔母の家は本当にまじまじまじ???ってくらい寒い。
家族だけの静かな見送りでした。
着くや否や、いきなり出棺、火葬場、そして斎場での通夜になります。
わたし火葬場が超超超苦手で、「ゴーーー」って音が聞こえると、涙が止まらないという
変な体質があり、皆をそうとう驚かしたようであります。通夜も無事終わり、
自宅で仕出しのお弁当を頂きながら、従妹会になり戒名の相場はいくらだとか
あそこの親戚のおじさんはいったいどういう関係かとか、大体親戚の会話って似たり寄ったり
本家(わたし)の秋田の墓からおばさんの骨を弘前に持ってきたいとか、
私には「いんでね~~?どーでも」的な話が延々と続きました。が、なんせにわか本家で
そこは、「皆さんの仰せのとおりいたします」と神妙にしていましたよ。大丈夫、暴れなかった。
やっと、お開きになりホテルへ。

寒いのでお風呂につかり、ぼんやりしてすぐに寝ました。
翌朝、ホテルの朝食のパンやサラダを頂きほっとして、窓の外を見たらえらいこっちゃ

大雪注意報だそうで、飛行機とばねーーかも?と心配になったがアラスカでは
こんな感じだからいけるんじゃねーーと楽観的なのは私だけで、横浜から来た従妹は
あたふたしてました。めんどくさいから、時間までの間散策。


弘前は城下町だから、こんな昔ながらの建物がそこかしこ。
雪の中を歩いて(Fujirock 長靴大いに役立ち)しばし、思い出にふけっておりました。
葬儀の後は、また食事でした。よく食うなぁ~~~!
叔母の家に戻って、石油が切れててあわてて頼んだり、書留が来たり、近所に挨拶
に行ったり、従妹が!子供のなかった叔母は従妹に全部譲ったそうで、いいことですよ。
わたしは、遠州流の茶道師範だった叔母の、茶筅、茶杓を頂きました。
お目当ての、いいお茶碗はすでになかったので(高いものはほとんど)これが思いでです。
横浜の従妹は、あちこち箪笥など引っ掻き回していましたが、世の中にはいろんな人が
いるんだなぁ~~。でも、ちょっとあさましい感じで見ないふりを決め込んでました。
無事に最終便が飛ぶということで、また暖かくなったら、母も来られたら連れてきますと
みんなに送られ、飛行機であっという間に帰宅しました。
1時間5分なんて、日本はやっぱし狭いよ!
飛行機代高杉晋作。な年明けのできごとでありました。
Fin.