木曾義仲/源義仲の花押
平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。
源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲の名でも知られる。
平家物語においては朝日将軍、旭将軍とも呼ばれている。
以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として
擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。
連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の
遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への
介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と
後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った
源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。
享年31。
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