阪神淡路大震災から28年。
忘れないという思いに反し、記憶が薄れてきている部分もあるので今の記憶を留めておきたいと思う。
当時私は21歳。
大阪府南部に在住。
早朝、あ!地震!と目が覚めた直後
今まで経験したことのない激しい揺れ。
恐怖でどうしていいかわからず
出来たことは頭から布団を被ることだけ。
揺れがおさまっても心臓がバクバクしていた。
起き上がって台所に行くと両親が倒れかかった食器棚を抑えていた。
下駄箱の上に置いていた大きな鏡が落下し割れていた。
被害はそれだけ。
両親と姉は大阪市内の職場に出勤して行き、
たまたま仕事が休みだった私は家に1人。
その日はずっとニュースをつけていたけれど
夜が明けるにつれ被害の状況が写しだされる。
横倒しになった阪神高速。
燃える街。
刻々と増えていく死者。
言葉を失った。
一日中余震も続いていた。
神戸には叔父叔母がいたけれど
電話は全く繋がらず
翌日になってようやく連絡がとれた。
叔母は台所にいて向かい合わせの食器棚と冷蔵庫が倒れ「入」の文字のように支え合う形になった隙間で助かった。
昼頃に救急隊の方に見つけてもらえたけれどトリアージは青。
病院には搬送されなかった。
あとから分かったけれど腰を骨折していた。
もっともっと重症の方が沢山いたのだから当然だ。
叔父は特に怪我も無かったと記憶している。
後日、両親が止まっている区間の線路を歩いて物資を届けに行った事も。
私は当時、NTTの104番(電話番号案内)の仕事をしていて震災翌日出勤すると
ホワイトボードに避難所の電話番号が
書かれてあり無料で案内するようにとの指示があった。
私が受けた電話で一人だけ今も鮮明に記憶に残っている方がいる。
子供が神戸の友達の家に泊りに行っている。
だけどお友達の家の番号がわからないと。
携帯電話もほとんど普及していない時代。
電話番号検索は個人宅の場合、契約者のフルネーム、住所で検索する。
神戸市の山田さん。だけでは無数にいるので調べようがない。
町名番地まで分かっていれば苗字だけで絞り込めたり、フルネームが分かっていればそれが珍しい名前だったりすると絞り込めたり。
だけど子供の友達のお父さんのフルネームや
家の番地なんて知るわけもなく…
動揺し、混乱しているお母さんの力になりたくて、調べられませんなんてむげには出来なくて。
もしかしたら避難所にいるかもしれないからと、神戸市内全ての避難所の番号をお伝えした。
あのときのお母さんは電話が繋がりにくい中
一か所ずつ全てに電話をかけたに違いない。
その後見付かったのか無事だったのか
今でも気になっている。
私自身は身内や友達は亡くしていない。
叔母は1ヶ月程入院し
半壊した自宅も建て直した。
震災後しばらくは、枕元に防寒着と
貴重品を入れたリュックを置いて寝ていたけれど、いつしかそれもしなくなり…
後におこる未曾有の東北大震災まで
地震の怖さを忘れて過ごすことになる。
28年が経って薄れつつある記憶を掘り起こして書いてみた。
台風などと違い予測出来ない災害に備える事も忘れてはいけない。
そして当時、懸命に救助や復興にあたって下さった方達へ感謝するとともに
亡くなった方達のご冥福をお祈り申し上げます。