
自分に自信がなくて、
人が私を見ているその目に同調して、
そのまま自分自身を見てしまう癖があった。
何かが起きた時、
感情が動いた時、
その事実を認める前に
「なぜ?」と自分を責めていた。
自己否定する思考を、何度も繰り返していた。
同じ「なぜ?」でも、
意味がまったく違うものがある。
最近、息子とのやりとりの中で
それに気づいた。
感情を否定せずに認めた上で、
「なぜそう感じたんだろう?」と
静かに問いかける「なぜ?」。
それは、自分を責めるためのものではなかった。
「自分を認めて受け入れたい」
そう思いながら、
実はどうすればいいのか
分かっていなかったのだと思う。
もう一つの方法があった。
それは、自分の身体を感じることだ。
心臓に手を当て、
静かに鼓動を感じる。
そして、ありがとうと心の中で伝えた。
身体と心と、思考が
少しずつ重なっていく。
自分を信じるというのは、
今ここにある身体に意識を向け、
起きていることを否定せず、
そのまま認めることなのかもしれない。
私の実存であるこの肉体は、
今ここに存在していい。
ありのままで、いていい。
それが、
自分を信じるということだ。
私は今ここで、
生きていてもいい。