熱海に夫婦で移住あいみぃです
(長文になってしまいました)
今日は晴天。
昨日、横浜の実家に行き、叔父の思い出話をしながら両親とお酒を飲みました。
前日に帰れて良かった。
叔父が旅立った日、(その、知らせをまだ受けていなかったけど)、私は スマフォを車のドアに思いっきり挟んで壊してしまった。
でも あれが例えば手や腕の自分の身体の一部が挟まれてたらと思うと、叔父がスマフォを身代わりに怪我をしないように助けてくれたのかなとも思う。

父は 普段使ってないほうの老眼鏡が 滅多に外れそうもないネジが外れて壊れたという。
なんだか不思議。
今日は青空。家族葬で 両親、私、弟、叔母夫婦、従姉、従兄で見送った。
私も今の仕事を始めて、従兄も不規則な仕事で、正月にもこのメンバーでは集まれなかったのに、最期に集合させてしまえた叔父はすごい。
久しぶりに 話も出来たし、叔父に関わってくれていた両親と叔母夫婦にもお礼を言えた。弟も 一番関わってくれていて 病院への運転とか 買い物とか やってくれていた。
皆に感謝の日。
旅立った叔父との思い出で印象的な事がいくつかある。
私がまだ幼稚園生位の時。
映画のドラえもんを観に連れていってもらった。
中学生の時、お料理をちょこちょこしていて 肉じゃがも 本を見なくても作れるようになっていた。
独身の叔父に、肉じゃがをお裾分けしようと味見をせずに大量に作り、タッパに詰めて渡した。
その日の夕飯、私の肉じゃがを一口食べた父が「しょっぺー!!」と一言。
砂糖と塩を間違えるという痛恨のミス!
急いで叔父に電話すると、「しょっぱかったけど、 愛美が作ってくれたから 全部食べたよ!」と意外な言葉。
それから数年経過し、ナースになってからだったかな?
味付けを間違えず、肉じゃがをもう一度 叔父に作りました。
破天荒なとこもあったけど、従姉兄たちと私と弟のことは可愛がってくれたなー。
叔父が9歳、父が7歳の時に 母親を無くし、二人の母親代わりは 当時中学生の叔母。
なにかとこの三人の絆は深い。
特に父は 双子のように 叔父と共に生きてきたし仕事も一緒にしていた。
「昭和27年生まれで平成27年に旅立った」
と父が言っていた。
全部 不思議話にしてしまうのも変だけど、やっぱり不思議だな~。
倒れる数日前には 最初は嫌々行っていたショートスティには楽しそうに行っていたという。
前日も、ちょっと風邪っぽかったみたいだけど 父が会い、叔母が電話で話した時は 普通に話していたとのこと。
生前から「死ぬときは、普通に寝て、そのまま逝ければいいよなー」と冗談混じりで話していた。
どのように生き、どのように旅立つか。
叔父なりに 美しく、潔く、旅立たったと 今日、お顔を見て感じた。
最期を美しく迎えるために今を美しく生きていきたいと思いました。
さあ、熱海に帰ろう。