異国で、朝陽を青の玉から火の玉に変化球を絡め闘いを挑んだ若者たちがいた。
若者たちは、異国の地で、人生の夢を描き渡航してきた。
そして、異国の地の風習に慣れるように必死に働きながら火の玉になれることを信じ玉を追いかけるプレーを試みる。
何度も挑んでも異国人には、かなわないと負け犬心、丸出しでプレーしてもハートを閉じているからいくらやっても勝てるはずがない。
諦めかけている初夏が始まる汗が滲んで風が温風になる頃、若者たちは、異国人にまともに受けるプレーではなく、小回りできる体を使い、まるでこまわり君のようにホームを自由自在に操る。
ここで、考える知恵を見つけるのである。
そして、小さな階段を上がるようになる。
プレーしていくうちに負け犬と謳っていた異国人が、若者たちを讃えるようになる。お互いのプレーを尊重し合うように。
そして、青の玉が火の玉になる瞬間がきた。追い越し、追い越されながら火の玉は、最高の旗を掲げたのである。歓声の輪が、響き皆が、微笑みを希望へと導いた瞬間だった。
火の鳥は、そんな一時の喜びを歴史が繰り返すように戦いの渦へと巻き込んでいった。
戦いの渦の影響で、チームもばらばらになり時を超えて、日本で復活をうたわれたときは、神の膝下で砂になり、この世で会うことは叶わなかった。
火の鳥は、歴史の目撃者になり私たちに何を語りかけようというのか?
後見人となり、人間の成長を見守り続けたのちは、後世を明るい未来へと、知恵を絞り発展を高ぶらせることだろう。
バンクーバーの朝日より