パパの1番最初に入院した総合病院に父が入院し

フラッシュバックが起きてから

ブログが書けなくなり

必死に気を逸らして過ごしてきた

やっと

一周忌法要を終え 27日で一年が過ぎた


気を逸らしてきたからか

心がザワザワしたり 苦しくてたまらない

感情が薄らいできてたけど

パパの事を思わない日はなく 

毎日ただただ会いたい気持ちだけが膨らんでる


そんな中

今朝父が転倒し骨折したのか歩けないと痛がり

救急車🚑をお願いした

搬送先の病院がなかなか見つからず

パパが大学病院から退院し抗がん剤治療のため

入院した病院に搬送される事になった


この病院と大学病院だけはまだ建物を見るだけで

涙が溢れ胸が苦しくなるので避けたかった


救急車の中で涙ぐむ私に 

救急退院の方はご高齢だけど しっかりされてるし

命に関わる事はないから大丈夫ですよ

と声をかけてくださった


いま父が検査中で病院内でブログを書いている

最初は病院内のあちこちに

パパを思い出す場所があり

また呼吸がしにくくなり 必死に涙を堪えてた

でも

ずっとパパと一緒に座ってた待合室のイスに

座ってると


この病院でのパパは元気で普段と変わりなく

ご飯も美味しいし 看護師さんも優しいし

アットホームな雰囲気のこの病院が居心地がいい

大学病院には戻りたくないと言ってたことを

思い出した


コロナで面会禁止だったから

毎日外来が終わった時間や

休日にこの下のフロアに降りてきて

私に電話をくれて長い時間話してた

身体はなんとも言えずしんどいけど 動けるし

私に電話するこの時間がとても楽しみで幸せだと

嬉しそうに話してくれた


ここら辺に座って電話くれててのかな

いま待合室のイスに座ってると

だんだん気持ちが落ち着いてきて

なんだかふんわり包まれてる気がしてきた


パパが連れてきてくれたのかな

パパが可哀想 辛かっただろうとばかり

思って胸が締め付けられてたけど

パパの人生は短かったけど ギュッと凝縮され

素晴らしい人生だった

パパの入院してた病院を見るたび

フラッシュバック起こしないで

楽しく生きろと言ってる気がした


でも大学病院はまだまだ無理だけど

いつかはパパに会えると信じて

前を向いて歩いていかなきゃ


伊集院静さんの記事にあった言葉

私にとって家族の死というものは自分のテーマでもあるから。死というものはある日突然やってくる。理不尽なことや不条理なことにあふれた世の中を私たちは生きていく。だからこそ、『哀しみには終わりがある』と思うようになった。いつまでも哀しみの中に浸っているうちは抜け出せない。歩き出さなきゃダメだと。そうすれば時間が何かを変えてくれる。とにかく進んでいけと。それを言い続けないと駄目なんだ


私のこの先の人生

どれだけあるのか分からないけど

しっかり生き抜いて パパに笑顔で会いたい