コロナが来る5年前、出勤途中に脳出血で突然倒れて、

気がついたらベットの上でした。

頭には日本の筒の様なものが突き刺さった状態でした。

それよりも見るもの全てがクルクルと回っていて、

遊園地のコーヒーカップ野乗り物になっている様でした。


目に関する血管が破裂していて、見る物がたくさんに見える多重症の後遺症でした。


ある日突然倒れて動けなることって本当に起きるんだなぁと思いました。


私はそれまで自分で言うのもおかしいですが、仕事も好きでバリバリとやっていて、偉そうで自信に溢れたしっかりしたタイプの女性でした。

仕事と子育てと家事とお姑さんの看病とを完璧にこなして来ました。

子供達は成長して、大学も卒業して、働き出したところでした。

ほっとした時に倒れたりすると聞いたことがあるけれど、本当にソウかもしれないと感じた瞬間でした。

しかし、目が見えにくいこと以外は動かないところもなく以外に歩けるんじゃないかと思って、1人でトイレに向かいました。

ところが、全く動けなくて病院の廊下でよつんばいになって人が来るのを待ちました。

気がついてくれた看護師さんに助けられベットに戻されました。

また膀胱の管をつけられておとなしくベットに寝かされる日々が続きました。

寝ながら、あの日、もし、死んでいたらもうみんなにも会えなかったんだなぁと考えたり、子どもたちとも話せなかったんだなぁと考えていたら、こども達に手紙を書かなくては!と思ったり。妹達に子供のことを宜しくお願いします。と伝えておかなければ!とLINEやメールをしました。

子供達には、

お母さんの子供になってくれてありがとう。と伝えて、それぞれの良いところを伝えて、出来ればこんな人になって欲しいと伝えて。妹達や旦那さんには私の残したお金で子供達の結婚資金や将来のために使って欲しい。相談に乗ってあげて欲しい事などを伝えてLINEをした。

よくスマホが見えないので漢字の変換は出来ず、全て、ひらがなで送っていました。


寝たきりでもお腹は空くもので、食べることが好きな私は、「美味しい物が食べたい」と食べ物を考えることが楽しみの一つでした。


それからリハビリが始まった。

脳出血や脳梗塞になると半身不随とかになるらしいが私は体に動かないところはなく、ただ、見える物が何重にも見えて歩くことができなかったのです。


3ヶ月ほど入院したら退院を告げられたが1人で歩くことも出来ないので、リハビリ病院を紹介されて、転院となった。

転院の移動は、車椅子に乗せられたまま専用のバスに乗って次の病院に到着したら、ひどい車酔いで到着した途端嘔吐してしまった。


私のリハビリの先生の紹介をされてご挨拶をした。私専用のプロジェクトチームだそうだ。

実は、レントゲンなどが先に渡っていて、大量出血でかなり酷い状態の人が転院してくると聞いていたそうだが、普通に車椅子に乗って喋って挨拶をしていたので、驚いたと後で聞いた。

この日からリハビリ生活が始まる。