心の新陳代謝

心の新陳代謝

日々の生活の中で見つめた心の動きをつづってみました。

経済的、物質的に満たされていても幸福でない人がいる。

 

日本人には多いようだ。

 

電気・機械産業が充実し、電気・水道・ガスなどのインフラも整備され、治安も良く、アニメなどの文化水準も高い日本は、外国から見たら夢の国に見えるらしい。

 

そんな満たされた環境であってもウツや自殺者が多い。

 

考え方として、感謝が足りない、

 

未来に希望が持てない、

 

人間関係の調整ができずストレスになっている・・・

 

・・・色々な原因があるが、「生き甲斐」がないのも大きいかと思う。

 

一生を貫く「目標」、「課題」、「ライフワーク」がないと「充実感」という幸福を得ることはできない。

 

たとえ未来への希望が見えなくても、仕事や家庭でストレスにさらされても、自分を高めるための「課題」があれば、毎日が努力と成長の積み重ねとなる。

 

それは「自分はこれだけ進んだ」という満足感を生み、その努力が人々に認められることもあるかもしれない。

 

その高めた能力を他者のために使うなら、さらに信用が高まり、影響力も強くなるだろう。

 

できるなら人生で成し遂げるべき目標を持ちたいものだ。

 

その目標は利他を含んだ社会貢献目標でなければならない。

 

他者のために生きることで自己が拡大し、幸福感も増大する。

 

幸福感が増大すると、さらにお返しをしたくなり、利他の思いも強くなる。

 

こうした人生は、自己を高めながら影響力も強まるという共存共栄の人生となり、無限に伸びてゆくことができる。

 

自分自身は、人間が永遠の生命を持ち、転生輪廻を繰り返しながら、この世で修行している存在であることを伝えることをライフワークにしている。

 

若い頃は、笑われたりすることもあったが、今は信じる人が多くなり、「あなたのお陰で天国・地獄があることが確信できた」と言われることが増えた。

 

利他とは神や仏の願う仕事の一部を手伝わせて頂いていることかと思う。

 

こうした生き甲斐なくして、本当の幸福はないように思う。

 

 

 

 

私は22歳の時、ハイアーセルフと思われる存在から一つの啓示を受けた。

 

それは、「全てを感謝から始めよ」というものだ。

 

当時は、そこまで意識したわけではなかったが、人生の転換点に感謝せざるを得ないことが続出した。

 

これは結果として感謝したわけで、感謝から出発したわけではない。

 

むしろ、「不都合が生じた」とネガティブな感情から出発し、解決に向けて努力しているうちに学ぶことが多く、結果的に感謝せざるを得ない状態になったに過ぎない。

 

結局、最後は感謝に行きつくなら、その未来を予測し感謝で受け止めるなら心の波立ちは起きないだろう。

 

ただ淡々と、与えられた環境で最善を尽くし、やるべきことをやるしかない。

 

そして、教訓をつかんだなら、より的確な表現になるよう精練し、宝石のように磨き上げ、叡智にまで高めねばならない。

 

実際のところ、人生で得られる叡智こそ、最高の宝である。

 

毎日、毎日、叡智という名の宝を積み上げ続けたなら、心は豊かになり、お返しをせずにはいられない。

 

これを突き詰めると「感謝」と「報恩」だけの人生となる。

 

自分に敵意を向けて来る人間に対しても、「教師役」と受け止めれば感謝に変わる。

 

そこには、憎しみも、怒りも、何らのネガティブな感情もなく、ただ、ただ、「有難い」と拝み、受け取るのみだ。

 

その根底には「自分を高めたい」という向上心、仏教的には菩提心になるが、「悟りを高めたい」という強い意志があったと思う。

 

この世界は魂の修行のためにある。

 

その修行の目的は「智慧を得ること」だ。

 

人間の幸・不幸を分けるものは「智慧を得たか否か」であり、それは自分の努力の範囲内、つまり自分が決めることだ。

 

ナチスに捕らえられ、筆舌に尽くしがたい経験をしたビクター・フランクルは、その過酷な環境の中でも人生の意味を見出し、多くの人に希望を与えた。

 

「心の状態が幸・不幸を創る」と気付いた時から、感謝が増し、幸福感が増し、年々、拡大を続けている。

 

22歳で啓示を受けてから30年以上たったが、今はさらに純化され、お返ししたい気持ちでいっぱいだ。

 

今日も世界が感謝に満たされることを祈りたい。

 

 

 

この世では、【過去・現在・未来】は1本のレールのようであり、過去に戻ることも、未来を見ることもできない。

 

しかし、この世を超えた4次元以降の世界は、過去・現在・未来が同時に存在していると言われている。

 

あるいは、パラレルワールドまで考えれば、我々の思考に応じた無数の世界が同時存在しているとも言われている。

 

母親が亡くなり、様々な後悔が湧いてきた。

 

「もっと色んな人に会わせれば良かった」、

「もっと美味しい物を食べさせたかった」、

「もっと優しくしてあげれば良かった」等々。

 

ただ・・・

 

・・・自分はこの「後悔の叫び」を感じていたと思う。

 

あるいは心の耳で聞いていたと言ってもいい。

 

1年前くらいから「優しく、優しく、限りなく優しくあれ」という思いが湧いていた。

 

そして、食べ物に関しても、体に悪い物は食べないよう注意していたが、それはやめて「食べたい」と言った物は食べさせるようにしていた。

 

揚げ物や菓子等だが、よくよく考えれば月に数回なので影響は小さなものだ。

 

それより「食べたい物を食べれないストレス」の方が大きいかもしれない。

 

そして、生活全般、あまり注意をせず、やりたいようにやらせるようにした。

 

記憶力が低下して同じことを何度も聞いてきても、ノートに書いて記憶に残るように工夫した。

 

そして、できるだけ人と会わせ、会話を増やすようにした。

 

こうしたことをやっていたおかげで多少は後悔もやわらぎ、「自分は最善を尽くした」と自己説得できた。

 

過去・現在・未来は同時並行的に存在し、お互いに影響を与え合い、複雑なドラマを編み上げている。

 

出来うるなら、「多次元世界から来る助言」に敏になり、自分のドラマを幸福に満ちたものにしたいものだ。

 

この世界は本来、夢・幻であり、意識の創り出した幻想にすぎない。

 

幻想にすぎない世界ではあるが、この幻想が、美しく、麗しく、幸福なドラマであることを願っている。