天井も、床も、家具の1パーツに至るまで全てが黒く染められた部屋。濃淡の差異は有ったけれど、どれ1つ取っても黒としか形容できない色ばかりだった。しかし、その僅かな違いで、お互いの境界がはっきりとしているため、部屋に有るものはそれぞれ独立した存在感を放っている。真っ黒のシャンデリアから注ぐ蝋燭とそこからの赤々な光、四方に配置されたドアの上で回る金、銀、銅、透明な巨大な歯車が黒以外の色だった。4つのドアには何の表示も無く、各ドアがどのような部屋に繋がっているかはあずかり知れない。ただ、金の歯車の下のドアには地球儀、銀は揺り籠、銅は棺、透明は時計がそれぞれ刻まれていた。部屋の内部を表しているのか、もしくは部屋の主に何やら関係するのか。
いくつものシャンデリアにより部屋は明るく保たれ、中央のダイニングテーブルと8脚の椅子が照らされている。何も載っていないテーブルと各辺2つずつ並んだ椅子は、床から生えている様にそこに静かに佇んでいた。事実、部屋の中は静寂としている。室内に響き渡るのは、4つの歯車の稼働音だけだった。稼働音と言っても大型装置の荒々しい機械的なノイズではなく、不思議な塩梅の和音。奏でる音が互いが互いに共鳴し合い、四方に離れて回っているがそれぞれ歯が噛み合っている様な繋がりを発していた。極限まで調和した空間には時刻を表す物はおろか窓一つ無いため、昼夜の区別も分からない悠久の時が流れているかの様だ。天井の中央、一番高くなっている所に天窓の様な物は有ったけれど、それ自体が真っ黒だったため外の様子が分かる訳ではなかった。
「ちゃんと仕事しろやエイシャアアアア!」
静寂の時は、突如の怒声と共に地球儀の刻まれたドアが蹴り開かれた事により終焉を告げた。無理やりな扱いを受け、蝶番とドアノブが大きく軋み悲鳴を上げる。勢いの付き過ぎたドアの運動エネルギーは、壁に衝突する事で音エネルギーに変換され空気中に拡散した。外れかけていたドアノブはそこで力尽き地に転がる。耳をつんざく様な轟音が部屋中に響き渡るが、そんな事お構いなしにずかずかと中央の部屋に出て来たのは、ベリーショートの髪をした背の高い女性。身に纏う衣服も何処かの軍服らしい風体だ。酷く激昂した様子で乱暴に椅子に腰を下ろすと力任せに机の上へと両足を打ち付ける。しっかりした作りのブーツと机が衝突し短く鈍い音がした。背後でドアが開け放たれた状態で不自然に傾いている。どうやら蝶番が歪んでしまった様だ。あれではもう部屋の仕切りという正常な機能は果たす事はかなわないだろう。
「し、仕事さぼってる訳とちゃうんよ?」
怒声が聞こえたのか、揺り籠の刻印されたドアから長めの髪を緩く巻いたおっとりとした感じの少女がびくびくと顔を出した。民族衣装にも似たワンピースドレスの裾が体の揺れに合わせてひらめく。
「あー?」
鋭い眼光で机の女性が半分ばかり出た顔を一瞥する。肉食獣に睨まれた子鹿の如く、ひぃ、とエイシャと呼ばれた少女は身を竦めた。
「カーちゃんそんな怖い顔せんとってや……」
「誰がカーちゃんだ! お前の母親になった覚えはねぇよ!」
呼び方が気に入らなかったのか、再度机の上の足を振り下ろす。さっきよりも数段大きな音と共に机が軋む。それによりエイシャは更に身を固くした。びくびくと俯きながら何とか目線だけは向けている。
「いや、そういう意味やなくて、ほら、カイラちゃんやんか? だからカーちゃ……」
「分かっとるわそん位!」
「んもう、怒鳴らんとってやー」
三度怒声が響く。取りつく島もないカイラの様子に、少々口を尖らせて不平を漏らした。部屋と部屋の境界に居る事が居心地悪かったのか、エイシャはようやくドアの陰から出て来るとカイラの座る個所から椅子1個開けて左側に座った。座り心地が悪かったのか、1度腰を浮かせて服のスカート部分をさっと撫でつけ、再度カイラの方へと向き直る。
「何でカーちゃん嫌なん? 可愛いやんかー……」
「可愛くないわ阿保」
ため息を吐くエイシャの言葉をカイラは一蹴する。むー、と頬を膨らませ組んだ腕の上に顎をのせたエイシャは、可愛いのにとぶつくさ独り言を漏らした。
「……んじゃあ、バーンズの方を取って、バーちゃん?」
しばらく逡巡した後に思い付いたとばかりにカイラの方に目線を送るエイシャ。一瞬呆気に取られたカイラだったが、数秒も経たない内に形相は鬼の様に豹変し、両足を机の上にのせた不安定な体勢にも関わらず、目にも止まらぬ速さでエイシャの頭にはたきをかましていた。背丈に見合った長い腕がしなり、小気味の良い高い音が空気を震わせる。
「いっ、たあああああああい!」
頭頂部辺りを両手で押さえながら悲鳴を上げる。相当痛かったのか、目尻には涙が浮かんでいた。エイシャを見下ろす顔はどこか侮蔑を含んでいる。
「天罰だ天罰」
「もう、カイラちゃん手加減知らんのやから……」
「さっきから騒がしいよぉ?」
エイシャからもカイラからも見えない位置から急に割り込んで来た第三の声に、カイラとエイシャは同時に身を固くしながら声の方へと視線を向ける。そこには眼鏡をかけた小さめな男の子とカイラ程ではないが短めな髪の女の子が立っていた。男の子の方はぶかぶかな紺色のローブを身に纏い、3分の1程余った袖をゆらゆらさせながらにこにこと笑い、女の子の方は対象的に体に合った緋色のローブを着てすました顔をしていた。どちらも魔導師の様相という感じだ。独特な間延びした声を発したのはどうやら男の子の方らしい。下には一応ズボンを穿いてはいたが、ローブの裾が膝下辺りまで来ているせいでスカートの下に穿くレギンスの様になっている。
「タ、タスケンドちゃんとユラ、何時からそ、そこに?!」
「ほ、ほんまよ。ターちゃんユーちゃん何時から?!」
慌てふためく2人を可笑しげに笑いながらタスケンドはエイシャの向かい側の椅子に腰を下ろした。ユラは無言のままタスケンドの斜め左後ろに立つ。
「エーシャちゃんがカイラちゃんの事バーちゃんって呼んだ辺り位かなぁ?」
席に着きしばし悪戯っぽく笑った後に、んーと首を傾げながらタスケンドは言葉を続けた。光の加減で眼鏡がきらりと怪しげに反射する。歴戦の戦士も少し身を引く様な威圧感を放つ。
「そ、それやったら声もっと早うかけてよ!」
タスケンドに引けを取らない幼顔を少し引きつらせながらエイシャは語気を強めた。怒りを感じている訳ではなく、焦りと驚きからただ単純に声のトーンが制御出来ていなかっただけの様だ。それに追従する様にカイラも頭を縦に数度動かす。その2人の様子に当の本人はただ微笑むだけでどうにも腹の内を明かさない、といった様子だ。
「いつも思うけどタスケンドちゃん、音も無く背後に立つの止めて欲しいです……」
「えぇー? いっつも普通にしてると思うんだけどなぁ? ねぇ、ユラちゃん?」
その問いにユラは、1回頷いて返した。ただ、タイミング的にどちらに同意したのかはあまり定かではない。
「音どころか気配も皆無やで……」
エイシャに対する粗暴な態度も今は鳴りを潜め、10㎝たっぷり背の高いはずの体が不思議と小さく見える。身長の小さなエイシャはよりこじんまりとしている。ほぼ同い年であろう4人には微妙な力関係が大きく関与している様な具合だった。絶対君主と平民、と言う表現が的確かもしれない。
「んで、あれどうにかならねーの?」
しばしの間の後、改めて椅子に座り直し居住まいを正したカイラが銀の歯車を指差した。静かに回る様子は特に異常は無い様ではあった。少なくとも常人にはそう見えるだろう。
「やっぱりこの事で騒いでたんだねぇ」
「“システムの歪み”がどうにもこっからだけじゃ制御出来んくて……、ハーちゃんに一応出向いてもらってるんやけど……」
さっきまでのおちゃらけた雰囲気から一転、心妙な顔つきになる。終始緩い表情をしていたタスケンドでさえ目付きは真剣だった。4人が見つめる先、銀の歯車は回っている。一定の速度で狂う事のない動きは精密な時計の部品の様でもあった。それでも、よくよく注視すると他の3つの歯車の周期から若干の遅れを取っていた。奏でる音も、僅かながら歪さを含んでいる。どちらも神経を最大限に集中させて初めて気付くか気付かないかの異変であるが。
「そろそろ、なのかもしれないねぇ」
ローブの袖に埋もれた左手で頬杖をついた格好でぽそりとつぶやく。目線がどこか遠くを見ていたため、独り言の様にも、3人に言い聞かせる様にも、はたまたここにはいない誰かにしゃべりかけている様にも聞こえた。
「せやね」
「そうかもなー」
どこか暗い様子でカイラとエイシャは静かに相槌を打つ。ユラは何も語らず立っていたが、同様に思うところが有る様な表情をしていた。何が、とは1回も言葉にはしていないがお互い何を言わんとしているのかは察していた。それが決して望まれた出来事ではない事も十二分に分かり切っている。
「ハーちゃんが帰って来るまで何とも言えんけど、多分もう修正出来んと思う。ごめん」
「ばーか、そうなってもその後全員で動けばいいだろ。一人で抱えんな」
申し訳なさそうに俯くエイシャの色白な額に、カイラは長い指をしならせデコピンを一発かます。少しくぐもった鈍い音が短く1回鳴る。口調こそ崩れていたが、その声音は優しかった。エイシャは、打たれ赤くなった額の中央辺りを両手で抑えつつやっぱり手加減知らんのやから、と聞こえるか聞こえないかの境で悪態をついた。だが、裏腹に顔は至極穏やかだった。
ふいに金の歯車がある壁側から静かにドアの閉まる音が聞こえた。銀の歯車を感傷気味に見つめていた4人は揃って首をそちらへと動かす。カイラの手、と言うよりは脚により破壊されたはずの地球儀の刻まれたドアが、従来の姿で部屋と部屋を区切る職務を全うしていた。ドアの横、蝶番側にしゃがんでいたのはどこかぼうっとした感じの男性だった。技術者然とした感じで、カーキ色のツナギを着ている。4人に見られているのに気付くと、ぽりぽりと頭を掻きながらゆっくりと近づく。今のところ一番背の高いカイラよりも頭1個分高い体はスラリとしていた。
「すいませんです。ドアが壊れていたので直しましたのです。お話の邪魔をするつもりはなかったのです」
カイラの横で立ち止まると、低音で心地良く響き渡る声が独特の口調で言葉を紡ぐ。
「いやいやニッくん、どうもありがとう! さっすがあたしの補佐官!」
部屋を漂う辛気臭い空気を払拭するかの如く、大きな体躯を器用に折り曲げて深々と頭を下げるツナギの男の肩をカイラが労いながら軽い調子で数度叩く。その力はお世辞にも加減されているとは言い難かったが、叩かれた方は微動だにしなかった。補佐官、と呼ばれていたためこういう事は日常茶飯事で慣れているのかもしれない。
「ニーちゃん気にしてないよー」
「問題は無い、ニック」
「カイラちゃんよく物壊すけどニックくんのおかげで安泰だねぇ」
三々五々口を開き、最後のフォローなのか良く分からないタスケンドの言葉が言い終わる辺りでニックは体を起こした。依然として感情の読み辛い顔付きではあったが、いくらか安堵した気配が垣間見える。
比較的天井も高く、広い部屋ではあったが、男女5人が集うだけでそれなりに込み合っている様に見えた。それでも、全員座ったとしても未だに空席が3つ残っている。それは、少なくともあと3人はここの住人が居るという事だろう。
「ハイドちゃんは今外に行ってるけどさ、コークさんとクッドの時計部屋コンビはどうした?」
ニックの登場からそれなりに時間が経った頃、思い出した様にカイラが口を開いた。住人たちが続々と中央の部屋に集まる中、その2人だけが顔を出さないのが気になったのだろう。エイシャ、タスケンドはふるふると首を振って分からない、と答えた。
「クッドはハイドと、外に出てる。クッド居ると移動便利、だから。コーク、さんは、多分寝てる。あの人ここで一番、マイペース」
カイラの疑問に答えたのは意外にもユラだった。口数が少ないが、全く喋らない訳でもないらしい。喋り慣れていないのか、変なところで文節を切ってしまう癖はある様だが。その返答に、疑問を投げかけた本人はあーとうーの曖昧なラインの音を口から洩らした。
「そうだった、あの人の掴めなさはタスケンドちゃん以上なの忘れてた」
それはここにいる全員の共通認識なのだろう、他の3人はおろか比較対象にされたタスケンドさえ反論は述べなかった。
「まぁ、仕事の情報量の多さはここにいる誰よりも多いからなぁ。頻繁に寝ないとやってけないんだろうねぇ」
頬杖をついていた左手を頭の後ろで右手と組み、そのまま椅子の背もたれに体を預ける。わずかにぎぃ、と軋む音がした。余った袖が2本、ポニーテールの様に後ろで揺れる。その言葉もまた、全員が認めるところだったらしく各々同意を示していた。
「……この事についてコーさんの意見も聞いてみたいんやけど、クッちゃんやないと時計の部屋に入れんからどうしよ?」
「そりゃ、戻ってくんの待つしかねーな」
「せやけど、ただ待ってるだけやと落ち着かんくて」
エイシャは、テーブルに複雑な表情で前のめりに倒れこんだ。両腕を前に伸ばしてバタバタと動かして、どうしようもないフラストレーションを少しでも発散している。横に居たカイラにうるさいと諌められても、うーうーとうめき声をあげて落ち着きなく体を動かしていた。
「エイシャさん、もうすぐ2人が帰って来るのです。落ち着いて下さいなのです」
まるで赤子をあやす様に穏やかな声でニックが話しかける。こういう状況下ではおうおうにして嫌味と取られがちなしゃべり方も、不思議とそうは聞こえなかった。それがニックと呼ばれる男の人柄が成せる技なのだろう。エイシャは、まだ若干渋い顔をしてはいたが大人しくする事にしたらしい。取り敢えず、唸ることを止めて静かに座っている。物音を立てる者が居なくなると、歯車の回る音だけが黒い部屋の5人に覆い被さった。
「“歪み”、修正出来てるといいけどな」
そう切り出したのは、またカイラだった。シンとした空気が耐え難い性格なのだろう。
「もし修正出来なくてまた“アレ”が起こるとしてぇ、今回で何回目ぇ?」
「銅、金ときて今回が銀なので、3回目なのです」
「3回目かぁ、大分スパンが短くなってるねぇ」
ううむ、とタスケンドが難しい顔をする。指折り数えて何やら計算しているが、結局指が足らずこんがらがった様だ。全てローブの袖の中なので確かではないが。
「帰って、来た」
カイラから始まった会話は、そう長く続かない内にユラの言葉で中断した。ユラは天井の天窓を真っすぐ指差し、見つめている。時と場合、場所を違えば星空を見て流れ星を発見した少女にも見えなくはなかったが、残念ながら指し示す先は夜空には近い色はしていたが星1つ輝いてはいなかった。間髪入れず、部屋の中に轟音と共に暴風が吹き荒れる。室内の物が総じてガタガタと音を立てた。シャンデリアの蝋燭は風の勢いに負けて全て掻き消え、部屋の中は瞬く間に一寸の先も見えない闇となる。光を失ってからは空気がけたたましく擦れ合う音がしばらく鳴り響き続けた。室内でなければ台風でも上陸したのかと思うレベルの風だ。十数秒たっぷり轟いた後、中央の机の上に重い物が落下した様な激しい音とその横に降り立った様な靴の音が続いた。その音が 聞こえる頃には、風は既に何事も無かった様に止んでいた。風のせいで激しくきりもみ状態になっていたであろうシャンデリア達の装飾が名残でちゃらちゃらと金属音を立てている。
「ユラちゃん、よろしくねぇ」
「了解、した」
真っ暗闇の中で、相変わらずの間伸び声がする。ユラの返事からワンテンポ置いて、急激な燃焼が起こった時の空気が爆ぜる音がすると、蝋燭全てに真紅の火が再び灯り、部屋を照らし出す。急激な明暗変化にみんな目が眩んだようだったが、ぼやけた視界の中でテーブルの上に立つ2人の男の事は知覚出来た様だった。一斉に注目を2人が集める。
「帰ってきーたぜーい!」
短髪でタンクトップとダメージジーンズというラフなスタイルにシルバー製のチェーンやリングなどが目立つ、いささかファンキーな風貌の男が高らかに声をあげる。快活ながら、やたら大きな声がびりびりと反響した。身長はそこまで高くないが、がっしりとした体付きと立ち位置のためかかなり大柄な体型に見えた。
「……相変わらず派手やね、クッちゃん」
「おう!」
乱れてぼさぼさな髪を撫で付けながら言い放った、半ば呆れた風のエイシャのぼやきに近い嫌味はあまり通じている気配はなかった。良くも悪くも少しの事には動じる事の無い性格らしい。飄々とするクッドとこれ以上やりとりしても得る物が無いと悟ったエイシャは、早々に会話を終え、机の上に立つもう1人に話しかける。
「お疲れ様、ハーちゃん」
「お気遣い有り難いのですが、そう呼ばないで下さいと言ったはずです」
フォーマルな私服をそつなく着こなし、クッドとは真逆な落ち着いた雰囲気のもう片方の男、ハイドは冷静に砕けた呼び方をする少女を諭した。はたから見るとどこぞの令嬢と執事にも見えなくはないが、そう呼ぶにはエイシャはお気楽過ぎ、ハイドは冷め過ぎているのだが。ハイドは一旦言葉を切り、優雅な所作で机から床に降り立った。踏みしめていた所を軽くはらい、暴風の影響で歪んでいたチェック地の細身のネクタイを真っ直ぐ整える。背後で、机上を忙しなく動き回っていたクッドがカイラとタスケンドに蹴り落とされていた。咳払いを1度する。
「そんな事より、例の件ですが、あらゆる策を講じて妨害、修正を試みましたがいかんせん進行が異常な速さで……。残念ながらどうする事も」
淡々とした状況説明を装ってはいたが、声ににじみ出る僅かな動揺が隠しきれていない。それを読み取ってか、エイシャはとても穏やかな声でもう1度お疲れ様、と言った。一瞬複雑な表情を見せたが、また畏まった顔へと戻る。それを見逃さなかったエイシャは、どこか楽しそうにふふんと鼻歌を歌う。
「さて! みんなには申し訳ないけど、大仕事手伝おうてな!」
両手を一杯に広げ、にこやかな笑顔を見せた。
一同は席に着いて、テーブルを囲う。クッドの横の1席だけ空席になっていた。熟睡していたコークを起こせなかったとクッドは言っていた。あれやこれや少し話し合った結果、一先ずは1人欠けた7人で会は始める事にした様だ。
「“アレ”が始もうてしまったら私達4人の制御は厳しくなるんよね?」
切り出したのはエイシャだった。今回の一件の中心という事もあり、話の進行を受け持ったのだ。
「ああ、暴走し始めてあっという間にカオスだな」
「特に今回は、エイシャちゃんの制御が機能停止しちゃうねぇ」
「そうなったらきちんと終わらせ、なきゃね」
吹っ切れた様子のエイシャだったのだが、最後の言葉は少し言い淀んだ。分かってはいるが、なるべくなら実行したくはない感情の現れだろうか。
「大丈夫だよぉ。ちゃんと僕がその役目はするからねぇ」
エイシャの向かい、机を挟んだ所で幼顔がどこか困った様な笑顔をエイシャに向けた。何か言おうとしたエイシャを横に居たカイラが制止する。
「これが決まってた事位お前もわかってるだろ?」
「せやけど……」
最初は大きかった声が段々小さくなり、最後はほとんど口の中でもごもごと言うだけで言葉にはなっていなかった。その様子を見て、タスケンドは更に困った笑顔をしながらありがとぉ、と曖昧に呟いた。
「けど、棺の部屋を任された以上はきっちり役目をこなさないとねぇ。それに必ずしも僕の出番が来る訳でもないから心配無いよぉ」
「そうですね、“あのシステム”が起動出来れば前回、前々回と同じ様に解決出来ます」
いつもの呑気な顔に戻ったタスケンドは能天気にそう続けた。ハイドがそれに付随する。
「せや、ね。猶予はどれ位やっけ?」
「きっかり半年が限界にゃふ」
「コークさん!」
時計の刻まれた扉の前、縦線1本の目と3を横倒しにした様な口が描かれたフードの付いたパーカーを着て、欠伸を噛み殺しながら小さな子供が立っていた。背丈はタスケンドやエイシャよりも小さく、目深にかぶったフードのせいで口元しか見えなかったが、誰となしにその名前を叫んだ。最後の空席の主のコークだった。サイズの合わない大きな靴を脱げない様器用に歩く姿はブリキの玩具を彷彿とさせる。フードで目は隠れている様に見えるが、足取りからどうやら視界はちゃんとしているらしい。
「遅いぜコークさーん!」
「すまんにゃふ」
コークが席に着くと、横のクッドが口を開く。まだ眠気が取れ切っていない様子でコークはしきりに目を擦っていた。フードの内側に差し込まれた両手が何回も動く。気を抜くと再び眠ってしまいそうだ。そんな事を危惧してか、エイシャは再びコークに質問を投げかけた。
「半年が限界なん?」
「そうにゃふ。半年以上はもう世界が耐えられずに、主が最も忌避したい終末に辿り着くにゃふ」
最も忌避したい終末。その言葉が出て来ると全員の表情が一様に曇る。
「それを避けるためにも、主の残した最終手段を開放するにゃふ」
「すぐに全て見つかるといいのです」
「前回も思ったんだけどよー、1回発動したんだからシステムの在り処とか分からないもんなのかよー」
「それは無理だよぉ。アレは移動しちゃうねぇ」
否定され、クッドはめんどくせー、と悪態をついた。
「そもそもよー、たった8人で仕事を回す事自体無理難題だよなー」
「8人じゃ、ない」
「こまけぇ事は良いんだよ!」
悪態ついでに愚痴を1つ零すが、すぐさまユラが間違いを指摘した。ばつが悪かったのだろう、椅子から立ち上がると吠える様にユラに噛み付いたが、ユラは既に興味を無くした顔で受け流すだけでそれ以上は口を挟む事はしなかった。言葉が宙に浮いた状態になり、勢いを無くしてしまったクッドはそのまま椅子に体重を預ける。
「……んじゃあ、またしらみ潰しかよー」
口振りからクッドを含めここに居る全員が2度経験している事態の様だったが、その当時の記憶が甦ったのか先程よりは少々落ち着いた調子で沈み気味にぼやく。
「最初の1個さえ確認出来れば、探す範囲はぐっと狭まります。そう面倒臭がらずに」
「へいへい」
やる気を失いかけた子供を諭す様な口調で、ハイドが諌める。不機嫌ではあったが、自分の役目は承知しているのだろう、クッドは特に反発しなかった。
それから、しばらくの間来る緊急事態に向けた話し合いと確認が続いていった。誰の目も届かない閉鎖された空間でそれを静かに見守るのは、じりじりとその身を減じていく蝋燭位だ。淡々と進行する議論は、白熱する事も無く酷く事務的で冗漫にも感じられたが、その奥にどこか言い知れぬ緊張感を内包しているのだった。
延々とした状況は、張り詰めた物が弾ける無機質な音で唐突に中断を余儀無くされた。数秒遅れて固い物質がいくつか黒々とした床に落下する音が続く。
「……始、まった」
静かにユラが言葉を吐き出した。狂いながらも辛うじて回り続けていた銀の歯車が完全に稼働を止め、時計の文字盤の丁度2時から7時の方向に大きな亀裂が走っている事がその言葉を裏付けている。落下音はその破片によるものだった。床に転がったそれは酷く鈍い色を放ち、悲痛な無念を主張する。
「さて、もう悠長にはいられないにゃふ。発見と収集を急ぐにゃふ」
コークの一言に、7人は慌ただしく行動を開始した。銀の歯車が止まった事で、部屋自体の機能も失い始めたのか調和された様に奏でていた歯車の音が今は無残な不協和音を奏でる。金は次第に回転を緩め始め、銅は反対に速度を徐々に上げていった。透明は速度が一定にならず揺らぐ様に回っている。その様子をカイラやエイシャが苦々しく見つめていたが、無理やり顔を背けて活動に専念していた。騒がしい気配も、どういう具合か蝋燭の灯がすべて消えてしまった事で闇へと紛れていった。
「……もうすぐ。もうすぐだから」
1つまた1つと気配が部屋から消えていく中、不協和音と失った視界に最後に残った気配が小さく呟いた。
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