はじめに

 一昨年、筆者(柴田)は、參河國に采地(知行所)を領していた旗本家について、筆者の手元に比較的多くの一次史料が私蔵されている家を取り上げて、アメーバブログに家別に短文をアップしました。

 それらのブログは、多くの方々にご覧になっていただいたようで、多くのお問い合わせをいただきました。

 ところが、今年の1月、ブログ執筆に使用していたスマートフォンが完全に故障したうえ、機械音痴である筆者は、アメーバブログのアカウントを誤って削除してしまい、投稿していたブログすべてが消去されてしまいました。

 筆者は、早稲田大学大学院文学研究科史学専攻修士課程を修了し、同大学院教育学研究科博士課程を単位取得、大阪府『藤井寺市史』(共著)などの著者もあり、専門的な史学の研究指導を受けておりますが、大学院生時代に企業し現在も一個人事業主です。一方で、ほぼ毎年、居住地である愛知県豊田市と岡崎市の郷土史研究会の『研究紀要』に投稿させていただいており、また研究発表会などで講師としてお話をさせていただく機会も度々あります。

 豊田市郷土史研究会の『研究紀要』に10年以上にわたり投稿させていただきました拙稿は、令和3年3月刊行の『新修 豊田市史 3 通史編 近世』に20か所以上引用され、従来の誤った先行研究の訂正にもわずかながらお力になりました。

 一昨年令和4年の夏には、德川將軍家の旧大名家・幕臣家の末裔の方しか入会を許されない「柳営会」(りゅうえいかい、「柳営」とは將軍の陣営を意味する漢語)の茶和会に講師としてお招きいただき、元旗本家の末裔の方々と交流をさせていただくことが可能となり、また、そのときの講演録は、今年2月刊行の同会の会誌『柳営』に掲載していただきました。ここ2、3年は、柳営会事務局や、柳営会理事、医学博士石川英昭氏(元旗本7,000石石川氏末裔、十数年交流させていただいております)のブログを通じて元旗本家末裔、または旗本家の家臣の末裔の方々との交流も増えてきました。

 筆者は、これまで約30年間で調査してきた旗本家について、ネット上で『デジタル版 真説 旗本家の歴史』をアップすることを目標としておりますが、消去されてしまったアメーバブログについても近年明らかとなった新史実を加えて、もう一度アップしたいと考えています。

 その理由は、古美術商を本業とする筆者が収集してきた武鑑などの希覯本や旗本の書、おそらく日本全国でも筆者しか私蔵していないような旗本家関連史料などを、同じく旗本家、江戸時代研究をされている方々と共有していきたいと考えるからです。

 なお、筆者柴田自身も、旗本家・靜岡藩士の末裔です。当家がこれまで公開してこなかったため全く知られておりませんが、越前太守柴田修理亮(実名勝家)養子、越前丸岡→近江長濱城主柴田伊賀守(実名勝豐)の家名を受け継ぐ家系の末裔になります。今年度も、4月、福井県福井市の柴田勝家公・御市樣菩提寺で勝豐君も合祀されている西光寺の御命日法要に子孫として招かれ、参列してきました。


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旗本柴田氏伝来 德川將軍家御使番の軍旗
(明治初年撮影、ガラス板)