ぎんが死んだ。

15年以上も一緒に暮らした猫。

私が、独身で独りぼっちだと思い込んでた頃に出会ったぎん。

結婚する時にも一緒に連れてきて、子供が生まれてからもずっと一緒。
私の人生の3分の1以上を一緒に生きてきた。

楽しい時も、悲しい時も、うれしい時も、寂しい時もいつもいつも、
当然のように一緒だった。
あまりにも当然すぎて、一緒にいることに気が付かない時もあったぐらい。

家を空けるときは、ぎんが閉じ込められてトイレにいけないようになっていないか、
何か頭の上に落ちてきて危ないものはないか、チェックして出かけるのが習慣だった。

カギをかけて出てから、もう一度気になって戻ったことも何回もあった。

長時間出かけるときは、ぎんがどこにいるか、姿を確認してから出かけた。

それなのに、それなのに・・・・・

子供を迎えに行って買い物して帰ってくるほんの4時間ほどの間。

その日の朝も、出かける前も、ほんとにほんとにいつも通りだった。

背伸びして洋服ダンスに爪をかけて爪とぎをするから、「やめなさい」と怒った。
これも毎日のこと。全くいつも通り。

なのになのに、家に帰ってきたら、ぎんが死んでた。

私がいない限りはひとりでは行かない部屋で、死んでた。

家に帰ってきたら、リビングにシチューを吐き戻したあとがあった。
キッチンをみたら、お鍋に残ってたクリームシチューの鍋の周りが汚れてた。
もう、またこんないたずらをして・・・と拭いて片付けた。

これもいつものことなので、子供たちに着替えを済ませて
鞄を片付けて、ご飯を食べる準備をするようにせかしてた。

そしたら、下の子が、上の階から、ぎんが廊下でウンチをしてると。

ぎんはそんなところではウンチをしたりしない。

ぎんが、トイレにいけないようにどこかに閉じ込められていたのかとおもい、
何々?!と思いないがら階段を上がった。

そのときだって何もいつもと違わなかった。

廊下に丸くて小さな鹿の糞みたいなウンチが二つぐらい落ちてた。
もう!!と思いながら拾い上げてトイレに流した。

そしてぎんを探そうと、目の前の部屋を見たら、ぎんが横たわってた。
目を大きく見開いて、口を大きく開けて・・・・・

そんな姿でじっとしてるわけはないので、一目で死んでるのがわかった。

「ぎんが死んでる!」と叫んで、ぎんを抱き上げた。

後ろからついてきた下の子が泣き叫んだ。
下にいたお姉ちゃんもいつの間にかそこにいて、泣き叫び始めた。

ぎんは、きれいなグリーンの目を思いっきり見開いていた。
口が大きく開いていて、中に手を入れると冷たかった。
でも、体はまだそんなに冷たくなくて、少しだけ硬くなりはじめてたけどかちかちではない。
確かに死んでいるけど、まだ死んでからほとんど時間がたってないのがわかった。

何で?何で?何があったの?

お姉ちゃんは、「こんなのいやだ!受け入れられない!明日学校にいけない!」と泣き叫び、
下の子も同じようなことを言ってただただ泣き叫んでた。

でも、私は、死んだぎんを抱きながら、ただただ呆然としてた。
あまりのことに涙も出ない。
まだ半分夢の中にいるような感じ。
すごく、硬くて乾いたかんじの中、この先の苦痛を想像してただただ固まっていた。

ぎんを抱いて、寒くて暗い部屋から階段を降りて暖かくて明るいリビングにおりてきた。

ぎんをこのままにしておくわけにはいかない。

近所に住んでいて、ぎんと出会ったころから今までずっと一緒にいる友達に電話した。

彼女は、数年前に、ぎんと同じペットショップで出会って飼っていた猫を見送ってる。

この後ぎんをどうしたらいいのか聞かなくては・・・・

「もしもし、どうしたん?」

「ぎんが死んでん。」

「えっ?!何で?!」

「わからへん。でも、子供たちを迎えに行って帰ってきたら死んでた。シチューを吐いた跡があったから、のどに詰めたのかな?」

「とにかく、いま近所でご飯食べてるから、すぐに行くから待っとき」

そして彼女は来てくれた。

ぎんを抱きかかえたまま、呆然と座ってる私のところに来て、目と口を大きく見開いたままのぎんを見て、
早く目と口を閉じてあげないと、閉じられなくなるよといって閉じてくれた。

私も、目を閉じてあげなきゃとは遠くでおもってたけど、閉じてしまったらもうこのきれいな目を二度とみられないなんて、
変なことを考えて閉じられないでいた。

「こんな顔で固まったらかわいそうやで」と彼女が言った。その通りだった。

目は完全には閉じなかったけど、口は閉じた。
本当に死んでからあまり時間がたってないんだな。

どうしてもっと早く帰ってこなかったんだろう。

子供たちのおけいこが終わって、すぐに帰っていたら、こんなことにはなってなかったのか?!

シチューを片付けていたらこんなことにはなってなかったのか?!

でも、シチューを吐き戻してたのはリビングなのに、ぎんが死んでたのは階段を上った先の部屋の中。

窒息したなら、どうやって階段を上ったの?

シチューの中の玉ねぎで中毒を起こしたのか?

どんなに考えてもわからない。

こんなに長い間一緒にいたのに、こんなに何の前触れもなく、わずかな留守の間にこんなにあっけなく逝ってしまうなんて。

苦しんで、階段を上ったのか?

私を探しに上ったのか?

寒い暗い部屋で独りぼっちで逝ってしまうなんて。

それを思うと胸が締め付けられて息ができなくなる。
体が痛い。

人間のように、葬儀屋さんが来てくれるわけでもないので、ドライアイスで遺体を保つわけにもいかない。

早く手配をしないと、ぎんの姿はぎん自身が見られたくなくて、私たちも見るのが辛い姿になるそうだ。

友達が、数年前に見送った猫を弔った動物霊園を調べてくれた。
24時間受け付けらしい。

すぐに電話をかけた。

消え入りそうな声で、葬儀の申し込みをした。
葬儀の後、個別に火葬するのがいいか、合同で火葬するのがいいか聞かれた。
個別なら葬儀のあと火葬場まで行って、点火ボタンを押すのに立ち会うらしい。
合同なら葬儀をしたらそこでお別れだそうだ。

決められなかった。
どちらが気持ちが楽だろうと考えた。でも今はわからない。
そのときまでに決めていいですか?と聞いたらそれでいいというのでそのようにお願いした。

葬儀の日時は翌日の11:00に決めた。

固まった頭の中で、翌日のスケジュールを必死に考えたら、
9時過ぎに下の子を幼稚園に送っていったら、14:30には迎えに行って、15:00にはバレエの教えの仕事のためにスタジオにはいらなきゃ。
体験レッスンの申し込みが一組入ってるから、ぜったいギリギリには行けない。

友達が、体調が良ければ、葬儀に立ち会ってくれると言ってくれた。
彼女は今、抗がん剤による治療中で、体調がすぐれない。
でも、あの葬儀を私が一人で耐えきれるとは思えないからついていってあげると。

彼女の体調のことを思うと、今こうして深夜まで付き合わせてる上に、明日も朝から連れ出すのは気が引けたけど、

彼女が言う通り、一人では耐えられそうにないから、彼女の気持ちに甘えた。

ぎんと出会ったころから一緒に生きてきて、ぎんと出会ったときも一緒で、ぎんをペットショップから連れて帰るように背中を押したのも彼女だった。

その頃の私は、独りぼっちだと思い込んでいて、精神的にもぎりぎりの状態だった。
会社の同僚だった彼女の住んでいたマンションに転がり込み、彼女が住む階の別の階で一人暮らしを始めたばかりだった。
彼女と一緒に深夜会社から自転車で帰宅する途中に毎日通りかかるペットショップにぎんはいた。

私は、小さいころから何匹も猫を飼ってきたけれど、捨て猫専門で、ペットショップで猫を買ったことはなかった。

はじめは、猫が好きだから、何気なく見てた。

ぎんは、ちいさなゲージの中で、不機嫌そうな顔でふてくされているようにみえた。
私たちがそこを通りかかるのはいつも深夜だったから、当然ペットショップは閉店されていて、真っ暗だったけど、
外から見えるようになっていた。

値札が貼り付けられていて、値段と、スコティッシュホールドという種類であることと、メスであることと、その年の9月生まれであることが書かれてた。

毎日毎日みるうちに、だんだんその上にpricedownの札が貼られて、12月になると、元の値段の半額に値下げされていた。

そして日に日にぎんはふてくされて拗ねていくように見えた。

「このまま売れ残ったら、あの猫どうなるんやろなあ?」と友達と話していた。
処分されたりするんだろうか?と心配になり、とても同情心がわいてきていた。
でも、ほんとうに拗ねて荒んで、目の上の毛が剥げてるように見えて、子猫のくせにお客さんの気を引くようなかわいらしさが全くない。
媚びる様子もまったくなかった。

そしていよいよ12月も終盤に差し掛かった土曜日。
仕事が休みだったので、ペットショップが開いている時間に、友達が飼ってる猫の餌を買いにその店に立ち寄った。

ぎんはまだそこにいた。

相変わらず、ふてくされてた。

友達に促されて、お店の人にぎんを抱いてみたいと申し出た。

ゲージから出されて、私に手渡されたぎんは、目の上が剥げた拗ねたような目をして、私の手をひっかきまくりけりをいれまくった。
「これじゃあ、誰にもかってもらわれへんやん」

そういうわたしに、友達は
「じゃあ、あんたが連れて帰ったり。」と言った。

私は、自分の面倒もみていけるかどうか不安なときだったので一瞬躊躇したけど、腕の中でけりを入れまくってる猫を、ふたたびゲージに戻して帰る気にはなれなかった。

結局、その場でお買い上げして連れて帰った。

ワンルームマンションに連れ帰ってきたぎんは、ベッドと壁の間のわずかな隙間に隠れてずっと出てこなかった。

でも、だんだん、慣れて甘えるようになった思ったら、今度は、私のオーバーオールの足にのぼってきてよくぶらさがったままになってた。
夜寝るときは一緒に寝るようになった。

私が会社を辞めて、友達に彼氏ができて、別々のマンションに住むようになって、本当に本当にわたしは独りぼっちになった。
今思えば、わざわざ自分で選んでそうしたのだけど、とてもとてもぎりぎりの精神状態で2年間ぐらいを過ごした。

その間も、ぎんはずっと一緒にいてくれた。

私が携帯電話で長話を始めると、電話を持つ手にかみついたりひっかいたりして邪魔をする。
だけど、わたしが辛くて辛くて布団の中で一人泣いていた時は、そっとベッドの足元のほうに乗ってじっとしていた。
もっともっと辛そうにしていると、いつの間にか胸元にあがってきて、丸くなったまま私の上に乗っかってじっとそばにいてくれた。

その頃のぎんは怖がりで、雷が大の苦手だった。
雷が鳴ると、ありえないほど狭い隙間に隠れて一日中出て来なかった。

知らない人が部屋を訪ねてきても、ずっと隠れて出てこなかった。

やがて私が結婚して、パパと一緒に暮らし始めた。

パパは猫の毛アレルギーが強いので、猫と一緒に暮らすのは無理だと言っていた。
だからはじめはしばらく実家にぎんを預けていた。
でも、やっぱり私はぎんと離れて暮らすのは無理だった。
「私を嫁にもらうと、ぎんがもれなくついてくる。」と言って、半ば強引に同居し始めた。

パパは、猫は無理だと言ってたくせに、めちゃくちゃぎんを甘やかす。

あっという間に、怖がりだったぎんの性格はすっかり変わり、安心してでかい態度で暮らすようになった。

犬のように人懐っこく、構ってほしがりの甘えたさん。

間もなく私たちに赤ちゃんが生まれて、赤ちゃんとぎんの同居は大丈夫か?と少し心配したけれど、
ほとんどベビーベッドは使わず私たちの間で川の字になって寝る赤ちゃんと、
ぎんは、うまく自分の場所を見つけながら問題なく過ごしてくれた。

赤ちゃんが幼稚園に行きはじめ、下の子が生まれて家族が4人と1匹に。

ぎんは最初の1年に子猫から大人になってから、ほとんど変わらず、太りもせず、若々しい敏捷な猫だった。

お姉ちゃんが小学校に入学して、下の子が幼稚園に入っても、見た目のぎんの姿はほとんど変わらない。

でも、年を数えると、そろそろ高齢猫になりつつある。

何歳まで生きてくれるかな?下の子が小学校を卒業するときには21歳。かなりの高齢だ。
でも、ぎんの元気な様子をみてるとそれも可能なような気がしていた。

今から4年ほど前、一度ぎんは死にかけたことがある。

いつものように家にいたぎんの様子が、わずかに、何かおかしい気がした。
いつものように一緒に寝に来たり、膝の上に近づいてきたりしない。それどころか、なんだか人を避けている。
そして心なしか毛づやが悪くなってる気がした。

病院に連れて行って、血液検査をしてもらったら、びっくりするほど容体が悪いそうだ。
どういうわけかわからないけど、肝臓がとても悪くなっていて、すい臓も悪くなっているそうだ。
数値を見る限り、いつ死んでもおかしくないような状態だといわれ、即入院になった。
点滴をして、悪くなってる数値を改善するように対症療法をするけれど、助かるかどうかはわからないといわれた。

家に帰って、人間の医者であるパパに検査結果の紙を見せたら、獣医さんと同じことを言った。

何が原因なのか、突然すぎて思い当たらない。
でも、数値を見る限りは、何か毒物を口にしてしまったか、膵炎を起こしているかといわれた。
人を避けていたのは、すい臓が痛くて触られたくないからだそうだ。

祈るような思いで、ぎんが入院している病院に毎日面会に行った。

入院翌日は、ゲージの奥のほうにうずくまって、触られたくない様子で本当にしんどそうだった。

でも、だんだん薬が効いたのか、元気になって、面会にいくといつものぎんの様子になっていった。

そして、すっかり元気になって家に帰ってきてくれた。
本当にうれしかった。ホッとした。あのまま死んでしまっていたらと思ったらぞっとした。
だけど、ぎんも年をとってきていることを思い知らされた。

その少し前ぐらいから、ぎんはよく吐くようになっていた。
どの猫も毛玉は吐くけれど、食べた餌をそのまま吐いたりすることがよくあるようになっていた。

病院で、何回も検査をしたり、餌を変えたりしてみたけれど、ほとんど効果がなかった。
これ以上原因を検査するには全身麻酔で開腹しなければならないといわれた。

吐き続けるのは体に良くないから、治さなければといわれたけど、今までの経験上
メスを入れたことをきっかけに体調を崩した猫がたくさんいた。
だから開腹には踏み切れなかった。

発情期になると、吐く頻度が増えるような気もしたので、出産しないなら避妊手術をすることも提案されたけれど、
それもメスをいれたくないのでしなかった。

せつない声でなく発情期のぎんをみていると、子供をつくらせてあげたいなと思ったこともあったけど、
猫は難産なので、出産を機に体調を崩すこともあるし、生まれた子猫を一緒に飼ってあげられないこともかわいそうで
結局こどもをつくることはなかった。

ぎんは、ずっと完全室内飼いだったので、正真正銘のバージンだ。

よく吐くという問題は一向に解決しなかったけれど、それで毛づやが悪くなることもなく、相変わらず元気で若々しいぎんだった。

これはパパと一緒に暮らすようになってからだろうか。
ぎんは、自分の餌のところに入れてある水を飲もうとはせず、誰かがトイレに行くたびについてきて、洗面台の蛇口をひねってくれるようにせがみ、
蛇口から直接水を飲んでいた。

ごく最近、いつも洗面台には1回で上っていたのに、ちょっとずり落ちて失敗して上りなおすようなことがでてきた。
でも、2回目には必ず上がれていたし、それ以外は相変わらずだった。

今年も無事に一緒にお正月を迎えることができて、本当に幸せだと思った。
あと何年一緒に過ごせるだろうか?25歳まで生きてほしいな・・・なんて思ってた。

なのに、なのに、こんなに突然。

12月の末に1泊2日で旅行に出かけた。
その時は、長時間家を空けるので、いつにも増して危険物のチェックをして、ドライフードもたんまり入れて、
お水もお椀に並々と、洗面器に一杯入れて、いつも上る洗面台の蛇口の水も少しずつ出しっぱなしにした。
帰ってきたら、いつも通り、元気に呑気にぎんは待っていてくれた。

去年の夏に3泊4日で韓国旅行のお留守番をしてもらったときも全然大丈夫だった。

なのに、なのに、どうしてほんの4時間ほど家を空けたときに、逝ってしまうなんて。

ほんの4時間だから、いつもほどチェックをしなかったような気がする。

餌を入れるお皿をみたら、ほとんどドライフードが入ってなかった。

お腹がすいて鍋に手を出したのかな?

クリームシチューの牛乳の匂いにひかれたのかな?
ぎんは乳製品が大好きだから。

でも、ほとんど鍋の中身は減ってないので、ほんの少ししか口にしてない。
それもほとんど吐き戻してる。

白菜が入ってたから、吐き戻した時に気管をふさいだのか?

でも吐いていたのはリビングなのに、階段を上った部屋で死んでいたのはなぜ?

何が起こったのか知りたい。
知ったらもっと辛くなるのかもしれないけど。

苦しみながら一人で階段を上ったのか?

いつかはお別れのときがくるのはわかってたけど、温かい腕の中でちゃんと抱きしめて、
ちゃんとお別れを言って別れたかった。

後悔と、それを打ち消すどうしようもなかったんんだという思いと、そんなの言い訳か?という思いと。
グルグルグルグル渦巻いて、堂々巡り。

悲しみのうねりが津波のように襲ってくる。

声をあげて泣けるとそのあとは少し楽になれるけど、また次の津波がやってくる。

夜になるまでにはぎんがいない一日に慣れて、少し穏やかになれるんだけれど、
朝がやってくると、また一からぎんがいない一日に慣れることをやりなおさないといけない。
これがたまらない。

ぎんは、夜、わたしがベッドに入ると必ずどこからともなくやってきて、寝室のドアを開けて私の顔のそばで眠る。
だけど、必ずしばらくしたら出て行って、階下で寝る。そして、私が起きなきゃいけない時間の1時間ぐらい前に
一度テレビをつける時間になるとまたやってきて、私の顔の前で丸くなる。
だから、ベッドに入る前には、寝室のドアをきっちり閉めないで、隙間を空けてぎんが入ってこれるようにしていた。
入ってくるときにあまりに全開にされると寒くて落ち着かないので、また少しだけ隙間を空けて眠りにつくと、
出ていくときに全開にされていて、朝目が覚めたら、いつもドアが開いてて寒いな~もう!と思ってた。

でも、ぎんが逝ってしまって初めての朝、ドアは微動だにしていなかった。

それがあまりにせつなくて、次の日は、用もないのに少し隙間を空けておいた。
朝見てみたら、隙間がちっとも変わらず、全開になったりしていないので、やっぱり辛かった。

朝起きるとき、顔の前で丸くなってるぎんと、もっと一緒に寝てたいなあと思いながら、
起きなきゃ!と決意して、いつもぎんを促して一緒に下に降りていた。
ぎんが、私の少し前を、独特のポスッ、ポスッという音をさせて降りていく。
その背中の肩甲骨の間がくぼんで、パッチワークのような模様を眺めながら降りていた。
ぎんがいるときは、意識したこともなかった毎日の出来事。
でも、いなくなってはじめて、その足音が聞けなくて、その背中が見られないことがたまらない。

下の子を幼稚園に送っていくために、化粧をしようと道具を持って、リビングにきたら、
いつもぎんがすごい勢いでやってくる。
コンタクトを漬けている涙と同じ成分の水を飲みたいからだ。
目の前をウロウロされると化粧ができないので、コンタクトを取り出して、
そのケースを少し離れた後ろに置く。
案の定ぎんは、そっちに吸い寄せられるから、やっと化粧ができる。

もう、それもない。
コンタクトのケースは並々液をたたえたまま、私の横にふたつ並んだまま。
たまらなくて、さっさとゴミ箱に捨てた。

ぎんが逝った日にはほとんど泣けなかった。
とても空腹で身体が疲れて睡眠を必要としているのはわかったけれど、
何も食べられず、眠れなかった。

駆けつけてくれた友達が、段ボール製のぎんの棺を作ってくれて、バスタオルをひいてぎんを横たえた。
ぎんの大好きな鰹節のパックをいっぱい入れた。
子供たちが手紙を書いたのでそれも入れた。
鰹のパックを入れすぎて、箱の中が鰹だらけになった。
いつまでも抱いていたら、いろんな穴から液体が漏れ出てくるらしい。
できるだけ温度の低いところに安置しておくようにアドバイスをしてくれて、友達は帰った。

しばらくして、パパが帰ってきた。
子供たちを慰めながら一緒に寝てくれた。
そのあと一人になった私は、頭も体も固まったままだったけど、
いてもたってもいられず、タブレットからフェイスブックにぎんが死んだことを投稿した。

ほんの2日前に、写真入りでぎんの話を投稿したばかりだった。
フローリングに寝そべってタブレットを操作し始めたら、いつもぎんが手の上に座り込んでくるので、
それが面白くてかわいらしくて、写真に撮って投稿した。

このままにしていたら、ぎんが死んだことなんて当然知らないみんなからコメントが入る。

ぎんが死んだことを報告しなければ。

でもそれだけではなくて、一人が耐えられなくて誰かと話したかったのかもしれない。

しばらくすると、驚きつつも、一緒に悲しんでくれるたくさんの友達からのコメントが入り始めた。

ぎんは、フェイスブックの友達の中で、結構有名だったのだ。
私のプロフィール写真もぎんの写真だ。
それを見たみんなから、ぎんはわたしにとてもよく似ているといわれ、不思議な気がすると同時にうれしかった。

みんなのコメントを読みながら、それに返信を返していると、少し気持ちが持ちこたえられた。

何もできないと思ったけど、忙しい明日のために、ちゃんとお風呂に入れた。

友達のアドバイス通り、床暖房を切ってある寒いダイニングにぎんの棺を安置した。
寒いところが嫌いで、いつも温かいところにやってきたぎんを寒いところに置いておくのはたまらなかった。
だけど、段ボールの中のぎんを撫でると、ふわふわの毛はそのままだけど、確実に硬く冷たくなっていた。
もうぎんは命あるぎんではなく、冷たいところに置いておかないと腐ってしまう死体なのがわかった。
ものすごい痛みがおそってきたきたけど、ぎんに話しかけた。
ぎんが大好きだから、ぎんが残してくれたたくさんの大切なものに感謝して、頑張って生きていくと。

とりあえずベッドに入って2時間ほどウトウトできた。

朝になって、パパと上の子を送り出し、下の子を起こした。
下の子は、また泣き出した。
ぎんとお別れするのは嫌だと泣いた。
彼女は幼稚園に入ってからもうすぐ卒園の今日まで、皆勤を続けている。
卒園式で皆勤賞をもらうのを楽しみにしている。
だから、言って聞かせた。
ぎんは、あなたががんばって皆勤賞を目指しているのを知ってるよ。自分のせいでそれを投げ出したら悲しむと思うよ。
だからちゃんとママがぎんのお葬式をするから、幼稚園に行こうと。
彼女は、ぎんの棺を車に乗せて一緒に幼稚園に行ってお別れすることを条件に、幼稚園に行くくことを決めてくれた。

彼女の幼稚園の用意と、私の仕事の用意と荷物がたくさんだったので、まずそれを車に積み込んで、
ぎんの棺を車に積むことにした。
大好きだったきれいなかっこいいヒゲと、ふわふわの毛をどうしても残しておきたくて、
ひげを1本と、お尻の近くの毛を、不細工にならない程度に切った。爪も1本だけ切った。
遺体の温度が上がらないようにと何もかけていなかったけど、そのままではあまりにも忍びなく、
ピンクのバスタオルをぎんの上にかけた。

ぎんを寝かせている棺代わりの箱を抱えて、家じゅうのぎんのお気に入りの場所を回った。

蛇口の水を飲もうと追いかけてきたトイレ、
夏にはひんやりが気持ちいいのか水を飲んだ後そのまま丸まっていた洗面所のボール、
湯船で温もっている私の周りを歩き回って浴槽のへりから足を滑らせてあわててたお風呂、
何千日も一緒に寝た私のベッド、
日向ぼっこをしていたダイニング、
家族が帰ってくるのを待って、ガレージを見下ろしながら外を眺めていたリビングの窓。

全部回って、なんとか決心して、

出かけようとして車に乗り込もうとしたら、
幼稚園のママ友で、近所に住んでて、今や大親友になった友達が車でやってきてくれた。
子供を送って幼稚園に行って、フェイスブックでぎんのことを知った他のママ友からぎんのことをきいて、
心配して駆けつけてくれたのだ。
子供をわたしの代わりに幼稚園に送って行ってあげようかと言ってくれたけど、
ぎんと一緒に幼稚園まで送っていくと子供に約束したので、そのようにした。
友達は、私たちと一緒に幼稚園までついてきてくれて、葬儀に立ち会ってくれることになった。

幼稚園の近くのショッピングセンターの駐車場に車を停めて、子供にぎんと最後のお別れをさせた。

彼女は泣きながら、私の手を握り締めて、一緒に幼稚園に行った。
寒い中、友達も付いてきてくれた。

前日、家に駆けつけてくれた友達の家に、友達を迎えに行って、ぎんの大好きなヨーグルトとお花を買いにお店に立ち寄った。
友達と一緒に、花を選んだ。ピンクの花と黄色いチューリップ。ぎんのイメージは黄色だったよね・・・・・とか言いながら。

そしてヨーグルトを選んでレジに並んだ。
もう涙がとめどなくあふれ出てきて止められなかった。
泣きながらレジでお金を出すと、レジのお姉さんが困った顔でこっちを見た。
泣いてるからよね?と思いつつ、自分が差し出したお金を見たら、10円玉1枚だけだった。
そりゃあ困るよね、と苦笑しつつやっと勘定を済ませた。

そのまま動物霊園に向かった。

生駒山から大阪方面をみおろせるとても景色のいいところだ。
ほんの少しだけ、気持ちがほっとした。

控室に案内された。
個別に火葬するのか、合同火葬にするのかさらに詳しい説明があった。
個別火葬にしたら、お骨上げもできて、遺骨を家に連れて帰ることもできるらしい。
火葬のボタンを押すのに立ち会うのは辛すぎて無理かと思って昨晩は保留にしていたけれど、
葬儀を最後にそれっきりのほうがもっと耐えられないと思った。
たとえ骨になっても連れて帰りたかった。
正確にいうと、その気持ち自体も自分でははっきりつかめなくて、何も決められない状態だったけど、
友達が、私のことを察して、そのようにしたほうがいいのではと言ってくれて、そのようにした。
子供たちもろくに落ち着いてお別れができていないから、遺骨を連れ帰って改めてお別れをさせてやりたいとも思った。

葬儀のときは、こんなに泣けるのかというぐらい泣き叫んだ。

ぎんは、家からもってきた段ボールの代わりに、葬儀場で用意してくれた段ボール製の棺の中に移し替えられて祭壇の前にいた。
葬儀場で用意してくれた小さな小さなお数珠をぎんの左手にかけてあげるように言われた。
左手は下側になってた。その下側の冷たくなった手にお数珠をかけた。
あんなにピンクでぷにゅぷにゅしてた肉球が、白くなって冷たく硬くなっていた。
このことは一生忘れないだろう。

テープで般若心境が流れて、お焼香をした。

ぎんの棺にお花と、ヨーグルトを入れた。鰹節と、子供たちの手紙と、ヨーグルト2個と、
黄色いチューリップや、ピンクや白のお花でぎんの棺を埋め尽くした。
陶器製のぎんの餌のお皿も入れてやりたかったけど、燃えないから駄目だと言われた。

入りきらなかった鰹節と、ヨーグルトと、掛布団にしたバスタオルと、陶器製のお皿をどうするか聞かれた。

私は、ただただ苦痛の少ない方向を探ったけど、結局何も決められなくて、友達が処分してくださいと言ってくれた。
持って帰ってきたら、辛かっただろうからそれが正解だったと思う。
陶器製のお皿だけは、持って帰ることにしたけれど。

最後のお別れだった。
コットンに水を含ませて口元をすすいであげるように言われた。
末期の水というものだろうか?
よくわけもわからず言われたとおりにした。
もうもう泣いて泣いて、最初はありがとう、ありがとうしかでてこなかったけど、
最後にはぎん、ぎんと呼び続けて叫ぶしかなかった。
身体を撫でまくった。
大好きだったぎんの感触を最後にもう一度味わいたかった。
肩甲骨の間のくぼみも、鼻のつるつるも、手も足も。
最後の最後にぎんの口元にいっぱいキスをした。
何回でもしたかった。100000回でもしたかった。
でもきりがないから、心を決めた。

もう、温かくなくて、柔らかくなくて、動かないから決められたんだと思う。

後に時間を動かすことのできない予定が入っていたから決められたのだとも思う。

火葬場に移動して、がらがらと中に入っていく棺を見送った。
ふたが閉められて、ボタンが押された。
最後まで泣き叫んだ。

お骨上げができるようになるまで、1時間ぐらいかかるらしい。
その間、一緒にきてくれた友達2人と隣の控室で待った。
はじめは泣き叫んでたけど、そのうち、ぎんの思い出話を幾分穏やかにできるようになった。

控室の正面には、合同慰霊塔があって、その前段には何段かにわたって、いろんなペットの名前が刻まれた小さな石碑が
いくつかあって、お水やお供え物があった。
その石碑の間をウロウロする猫がいた。
ものすごいたくましい典型的な野良ちゃん。
ずんぐりとした体に太くて短いしっぽ。
ぎんとは対照的な風貌の猫。
石碑に供えられてるお水を飲んで回ってるようだ。
そののんびりとした光景に、なぜかとても心が癒された。

霊園内にあるドッグランに行く大型犬が、飼い主さんを引っ張って走りすぎていった。

とても穏やかな日常風景だった。

その頃に、お骨上げをするように呼ばれた。

友達2人は、お骨上げは無理だというので、葬儀場の係員の人と2人でお骨上げをした。

ぎんの骨はきれいだった。
長患いをしなかったし、薬漬けにもなってなかったから、本当にきれいな骨がしっかり残ってた。

係りの人の説明に従って、尻尾に近いほうの骨から箸で壺に入れた。
きれいで長かった尻尾の骨は細かったけどちゃんと残ってた。
後ろ足の骨は立派だった。
ちゃんと足先のほうの細い骨も残ってた。
背骨のきれいな関節も全部残ってた。
大好きな肩甲骨も2枚ともしっかりあった。
前足の骨は、とてもとても細かった。
顔の骨も頭の骨もきれいだった。
首の骨がついてたところが、きれいに丸く開いていた。
どんな小さな骨も残らず全部拾ってあげたかった。
最後にのど仏と呼ばれる骨を入れた。
その作業は、不思議に想像したほどつらくなかった。

骨壺を入れる袋を何色にするか聞かれて、オレンジ色の袋にした。
その袋にぎんの名前が書かれて、手渡された。
これで葬儀はおしまい。

すっかりお昼を過ぎていた。

依然として食欲はなかったけど、昨日のお昼ご飯を食べて以来何も食べていなかったから、
後の仕事を考えると何か食べないと倒れるかもしれない。
ひとりで食べるのは自信がなかったから、友達に一緒に食べてくれるように頼んだ。
帰り道に通りかかったうどん屋でおうどんを食べた。
まったく味がしなかった。つわりのときみたい。
でも、ツルツルしてるから最後まで食べられた。

ずっと友達と話し続けられて本当に助かった。
長い間話してるうちに、少しだけぎんとは関係ない話もできた。

友達を家に送り届けて、幼稚園に子供を迎えに行った。

幼稚園の先生に聞いたら、なんとか元気に過ごせていたそうだ。

子供と一緒に仕事場に向かった。

一人でなくって本当に助かった。

仕事も何とか、いつも通りにできた。
声を出して、音楽をかけて、動き回る仕事でよかった。

黙って頭だけ使う仕事だったら無理だったかもしれない。

心は張り裂けそうだったけど、レッスンを楽しみにして来てくれて、一生懸命頑張ってくれる小さな生徒さんに救われた。

2クラス目が終わるまでには、上の子も学校からスタジオにやってきて、
3人で帰った。

心の中で、ぎんに言った。
「わたし、今日がんばったでしょ。」って。

子供たちがお腹がすいたというので、帰り道のファミレスでご飯を食べさせた。
2人ともよく食べた。
心は悲しみでいっぱいでも、子供は強い。

家に帰ったら、玄関先に大切な友達がお花を届けてくれていた。
とてもかわいらしいレースチューリップ。

日当たりが良くて、家族が一日中行き来する吹き抜けの廊下の白い棚の上を、ぎんの祭壇にすることにした。
骨壺を置いて、いただいたお花を飾った。


その日は身体がとてもとても疲れていたから、泥のように眠った。






もうすぐ12月!!momi2*
ジングルベルに焦りつつも、
年末の片付けどころか、洗濯物古墳で埋蔵品を発掘する毎日…怒

子ども達の幼稚園や学校も、もうすぐ学期末スケジュールだし、ガクリ

下の子の部屋だって物置状態から脱出させないと勉強机おけないし、354354

粗大ごみ捨てに行かないといけないし、354354

バレエの後援会クリスマス会の準備はしないといけないし、354354

来年から始めるバレエ教室の開設準備はしないといけないし、354354え゛!

…ちーっとも片付かない諸事にオエーッとなりながら、ムンクの叫びムンクの叫びムンクの叫び

タブレットいじってるとちゅーにフローリングに突っ伏して、死体のようになって寝てしまう毎日ムンクの叫びムンクの叫びムンクの叫びムンクの叫びムンクの叫びムンクの叫びムンクの叫び

そこにさらに降ってわいたハナシ波平

なんと12月15日に急遽、舞台に立つことにサザエさんカツオフネ

パドカトルを踊るはずだった方がおかあさまが体調を崩されてしまい出演不能に…㊦㊦( ̄^ ̄

家庭の主婦をしながら、時間をやりくりしてる大人バレエの方には付き物のアクシデント汗2

今まで練習してこられたご本人も、
さぞかし残念かと…汗2汗2

そこで、年頃や背格好に違和感のない私が代役をすることになりました。髑髏

フローリングの死体からムックリ起き上がり、髑髏髑髏
深夜にDVDをピッピッピッピッしながら必死で振りを覚えましたドキンちゃんドキンちゃん

わたしね~
前から見て振りを覚えるの超ニガテ苦笑

だって、左右反対になるから苦笑

しかもパドカトルって、場所があっちこっち移動するので
必死でみてたら乗り物酔いみたいになってきた投げKISS投げKISS

まだまだ振り付け怪しいし、マスオ

けっこう踊りしんどいし、マスオ

あと2週間ぐらいしかないしマスオ

昨日初めてバリエーションやったら
今日は筋肉痛ワカメワカメワカメワカメワカメ髑髏


あー、
なんかテトリスが画面の上の方まで埋まってきて、
ビュンビュン落ちてくるテトリスを必死でさばいてるカンジ・・・・・・・・

その割に、常に眠いんですけどねたらこ

それは老眼のせいか…波平波平波平波平フネフネフネ

ゲームオーバーにならないように頑張りますあんぱんまんあんぱんまんSKULL




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昨日、娘を幼稚園に送り届けてから、ついにRADの試験を受けてきました。叫び叫び

東生駒で先生と待ち合わせをして、電車に乗って大阪まで小一時間。

到着したら聞きなれた音楽が…。

どうやら、インターミディエット・ファンデーションの試験中のようです。

入口で、免許証を提示して本人確認をしていただいてから、更衣室へ。

入ったら既に先客あり。

なんとお年は15歳。
わたしの年の約3分の1やんダウンドクロ叫び

あー、15歳と一緒に並んで、
スカートもなにもないキャミレオタードにピンクタイツ。ダウンダウンダウン
オーバーパンツも黒タイツもなし崩し!!ダウンダウンダウン

きっついなあ…叫び叫び叫び叫び叫び

多分見るほうもそうでしょうねショック!


あと、18歳ぐらいの子と20代前半ぽい子とで、どうやら4人で試験のご様子

20代の子も、小柄だけど、細くて足が長い。ラブラブ

着替え終わったら試験の部屋の前に出て、先生にゼッケンをつけてもらいます。

「ちょっとでも、胴が短く見える位置にお願いします」
なんて、ゴムタイな注文をする私…にひひ

みんな準備が出来たら、いよいよ試験の説明がはじまります。

ゼッケン番号の順に並びます。
私は2番目。
バーは前から2番目。
センターのときは台形の後列。

やったあ、一番じゃない合格ニコニコ

鈴が鳴ったらスタジオに入って、まず一列に横に並んで、GOOD morning Mr.●●(←忘れた)と言ってください。
その後、スタジオの角に水とポワントを置いてからバーについてください」

と説明あり。

そうこうしてるうちに、
前の試験が終わったらしく、
試験を受けた子達が出てきました。

いいなあ、もう終わってニコニコ

そしてその後に、試験官が出てきた

小柄で穏やかそうなおじいちゃん。
なかなかにお上品な英国紳士です(^o^)v

GOOD morning!!
と挨拶すると、にこやかに返してくださったラブラブ

なんだかやさしそうでまずはホッドキドキ

おじいちゃんはそのままトイレに行った後、再びスタジオに入っていかれました。

すかさず、会場の人がお茶とお菓子をトレイにのせてスタジオへ。

どうやら今から少しお茶の時間のようです

ちょっとホッとしたような、とっとと始まって欲しいような複雑な気分かお

なんにしろもう緊張MAX叫び

一番テンポの速いアレグロの振りをおさらいしてみたり、
英語の指示がちゃんと聞き取れるか心配してみたり…

でも、こんなときに今さら考えすぎるとワケわからなくなるのでやめようとか、色々葛藤してたら

ようやく鈴の音が!!!!

教えてもらったとおり一列に並んで入室します
腰をあげて踵をあげてバレエの小走り…

横一列に並んで、GOOD morningと挨拶しようと思ったら
「オハヨウゴザイマスみなさん!!」
となんと日本語で向こうからあいさつしてくださるニコニコ

なんや~日本語やんラブラブ!ラブラブ!

そして指示されたように角に物をおいてバーへ

バーについたとたん、
おじいちゃんが
「プリエ」といいました

なんだなんだ、もう始まるのかい!?

足を第1ポジションに

いつもやり慣れた木の床と違って
リノリウムで、
少しすべってポジションがとりにくい

あー、アンデオールできてないのばれるやんドクロドクロ

そして、プリエが終わったら、
すぐにタンジュ

すべりやすいから足に余計な力が入ってるのに、息つくひまもなくはキツい叫び叫び

ふつうは、振り写しがはいるけど、
試験はみんなあらかじめ決められた振りを覚えてきてるので、
振り映しはナシ。
なのでホントのノンストップドクロ

このままずっとか!?
と思ったていると、
何やら書き留める間は少し休憩べーっだ!

演奏は生ピアノなんだけど、
いつも練習してきたCDよりテンポが遅い。
しかもときどき弾き間違えがダウン

この試験は今回10年ぶりぐらいに
曲も内容もリニューアルされたらしいからかな?

しかも…

私の前でやってる18歳ぐらいの子は
若いのにめちゃめちゃ音をねばっこくとるショック!
私はパキパキと頭取りするほうなので、
同じ曲で同じ振りをやってるのに
ものすごくタイミングがずれるショック!

少しは合わせなきゃ!?
と一瞬おもったけど、慣れないことをやると足がつるので
そのままやっちゃったべーっだ!べーっだ!

そして私の後ろでやってる15歳は、
あんまりきちんと振りを覚えてないご様子にひひ

この試験は、振りはさることながら、アームスの付け方から、首の方向、音のカウントも、すみずみまて教科書で指定されていて、
そのとおりにやらないと減点叫び

後ろでやってるけど、左やるときは前になるのでつられないようにしなきゃ…かお

そして、次々と怒濤のようにバーは進行し、
いよいよセンター

初めはポール・ド・ブラから。

「ふたりずつ」と、フランス語みたいな日本語で指示アップ

「まりとみきこから」

私は番号が2番目なので、
第一グループみたいだガーン

つぎに、タンジュとグランバットマン、ピルエットがくみあわされたアンシェヌマン

あー、やっちゃった!!叫び叫び叫びドクロドクロドクロ

左のピルエットに入る前の
アラスゴンドのバットマン一個とばしちゃいましたドンッ

でもお陰で左ピルエットが余裕ができてちゃんとダブルまわれたべーっだ!べーっだ!

とばした瞬間はみられたかな~?

そしてアダージオ。
ちょっと音の取り方が難しい曲。
おまけに鏡がないので、
バランスがとりにくい。
でもなんとか無事に終了

第二グループが始まって、
ナント!!
15歳、カウントを思いっきり間違えてる!!
めちゃめちゃ早くとっちゃったので、
途中でだだ余り!!叫び叫び

間違えて覚えてきたのか、
緊張のあまりまいあがったのか!?

左側で繰り返しのときに修正するかな?と思ったけど、
そのままだったかお

一緒にやった20代の子は、
つられることもなく、
黙々とお上品におどっています
足の甲と顔の付け方が美しく、
なかなかお上手…ラブラブ

そして、フリーアンシェヌマン。

これだけは、その場で振りが出されます。

でも、おじいちゃんは座ったまま、
口頭のみの指示

ライトフットデリエールから
グリッサードアッサンブレ
アントルシャ、シャンジュマン、
グリッサードアッサンブレ
ルルベ・イン・フィフス

これだけを右左2回ずつ繰り返し

めちゃめちゃシンプルですが、
それだけにアラが出るダウンダウンダウン

何回かマークして、
はいどうぞのときは、
息がハアハアダウンダウンダウンダウンダウン

スミマセン、おばちゃんで得意げ得意げ得意げ得意げ

一生懸命ロイヤルスタイルのグリッサードアッサンブレ心掛けたけど、
やっぱりアッサンブレで足を集めるのが遅かったな~ショック!

つくづく、
緊張する状況では、
ホントにからだに染み付いてることしかできないものですショック!ショック!ショック!

その後、ひとりずつのアレグロもなんとか無事終了にひひ

いよいよ一番配点の大きいダンスアップ

ちょっとしたバリエーションをおどります

素敵な振り付けで大好きなんだけど、
しっとりした曲なのに、
どうも私はワイルドになるから
お上品に穏やかに…
…できたかな?べーっだ!べーっだ!

そしてポワントをはいていくつかアンシェヌマンをこなし

やっと最後のルベランス。

音がすごくゆっくりめで、会場も狭いので、すごく手持ち無沙汰で、
しょうがないので、
おじいちゃんに思いっきり微笑みながらルベランスにひひにひひにひひ

はー、無事に終了かおニコニコ

何ヵ所か間違ったし、
思うように出来なかったところ多々ありだけど

終わってしまえば楽しかった!!べーっだ!べーっだ!

もうイヤだけどね。ドクロにひひ

結果は、1月以上かかるらしいので、
忘れた頃にやってくるドクロにひひ

その日は、安心して、スイートポテトを2個も食べちゃったので、
太らないように、夜のレッスンに子連れで参上しましたとさにひひにひひにひひ

めでたし、めでたしパーチョキパー










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晩ご飯を食べながらの宇宙人の会話。まるちゃん風まるちゃん風薔薇薔薇薔薇


「あんなあ、○○ちゃんはサンタさん信じてないねんて。だってな、枕元の靴下にママがプレゼントいれてるの見たからやって。」

すると、幼稚園児の妹が、

「じゃあお姉ちゃんも信じてないの?うちもサンタ来ないの?」
と少し心配そうに聞きました。かおかお

そしたら、宇宙人たら自信満々に、
「お姉ちゃんは信じてるで!!
だってな、考えてみ。

うちのクリスマス会終わるの、毎年スゴイ夜遅いやろ。

あんな時間には、もうどこもお店開いてないから、パパもママも何にも買いに行かれへんやろ。

だからうちは絶対サンタさんが来てくれてるんやで。

あれは絶対パパやママなんかにはムリっちゅーもんや。

なっ!!わかったか!?」


…と、幼稚園児相手に、それはそれは得意満面、理路整然…キャッ☆キャッ☆キャッ☆


宇宙人は12月22日が誕生日なので、

うちでは毎年クリスマスイブあたりにパパの方のお婆ちゃん、従兄弟たち一家を招待して、お誕生日会&クリスマスパーティーをするのです。Wハートハート

それはいつも夕方に始まるから、
みんなが帰るのは、日付が変わる時刻あたりになることもしばしばなんですが…

それにしても、ナント突っ込みどころ満載の理路整然だこと苦笑苦笑苦笑

皆様もお気づきのことと思いますが、

別にそのパーティーが終わってから買いに行かなくてもいいわけで…苦笑

でも、その自分の理論の綻びには全く気づく気配もなく、苦笑苦笑苦笑


姉に比べたら随分とノーマルな妹も、
まだ幼稚園児だからかその点を突っ込むこともありませんでした。にへにへ

きっと、あと数年もしたら、
妹にガッツリ指摘されるんでしょうね。まるちゃん風まるちゃん風

というより、
宇宙人のことだから、

きっと○○ちゃんにも同じことを同じ調子で言ってるかも…ぼーぼー

宇宙人をよく知る周りのお友達は、

あえて突っ込まないでソッとしておいてくれてるのかもしれませんね。苦笑キラキラ
Wハート

単に、相手にするのもめんどくさいのかもしれませんがスポンジ・ボブスポンジ・ボブスポンジ・ボブ


ホントに相変わらず宇宙人は宇宙人で、


心のなかでプププ…と吹き出しながら、キャッ☆


「気の早い話ばっかりしてんと、
さっさとピーマン食べなサンタさんけーへんで!! 」おこるおこるおこる

とドスを効かしたママなのでしたスポンジ・ボブスポンジ・ボブスポンジ・ボブまっくろくろすけまっくろくろすけまっくろくろすけ音符音符音符






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今、私の頭のなかで、
中島みゆきの歌のサビがリフレインしてる。

ここじゃないどこかへ~
ここじゃないどこかへ~
ここじゃないどこかへ~
アアア…

ずっとずっとそういう心の有り様で、

いつも、私の居るべき場所はここじゃない!!

自分は誰にも理解されず、孤独だ。

仮面を被ってる私に気付かない周りの人達は、なんてバカでマヌケなの!

みたいなことを言い続けるヒトがいる。

人生の時間は限られているのに、もったいない…と思う。


自分の居場所は、自分が作らない限り、勝手に他人が用意してくれるものじゃないのににゃ

でも、そういうタイプのヒトは決まって言うぼー

色んなヒトに一生懸命気を遣って、
顔色を伺って、
空気も読んで、
頑張ったのに、
みんなが応えてくれない!!おこるおこる

ちょっと考えてみてかお

誰のために、
何のために、
あなたはそんなに気を遣ったの!?

自分が思ってほしい自分に見てもらうように気を遣っただけなのでは!?ムムム

気が利いて
頭が良くて
育児に手を抜かないできる母親で
優しくて
その他エトセトラエトセトラ…

それは気遣いじゃない

そこに自分以外の他人は存在しない

拡大膨張するエゴを満たすために

自分以外の他人を利用してるだけえ゛!

居場所を作るのに、そんなことは必要ないぼーぼー

自分らしくそこにいて、

心を開いてヒトと話す。まるちゃん風

心を開いてヒトの話を聞く。まるちゃん風

自分と他人は、感じ方も考え方も違ってあたりまえ苦笑

自分が自分であることを認める

だから、他人が他人であることも認める苦笑

そして、率直で、正直でいれば、

周りの人達はたいてい親切だWハートキラキラWハートキラキラ





…でも、もっと若かったときは、なかなかそれができなくて、
独りで空回りしてしんどいときもあったなまっくろくろすけガクリ

ただただ今いる場所から消えたくて、
死んでしまえば逃げ出せるのか!?
とか思い続けたことも…まっくろくろすけまっくろくろすけまっくろくろすけガクリガクリガクリ


色んな経験をして、

散々痛い目にもあって、

年取ってきて段々めんどくさくなってきたのもあって(笑)スポンジ・ボブスポンジ・ボブ

いいじゃ~ん、いいじゃ~んマリオマリオ

ってなったら、わかってきた。なっ・・・なんと!

自分が思うほど、他人は私の出来映えなんて気にしちゃいないスポンジ・ボブスポンジ・ボブ

例え気にしたとしても、
それはほんの一瞬のことで、

その人にとっては諸々あるなかのひとつに過ぎない他人事苦笑ガーン苦笑

それに、他人の価値判断はあやふやで変わりやすい苦笑苦笑

なんたって、自分と一番長く付き合ってるのは自分だし、

自分を幸せにする責任は、
自分以外の誰も負ってくれないえ゛!

そんな自分と頑張って付き合ってるヒトどうしが、

自分がそうであるように
他人もそうであることに思いを馳せて

お互いを思い遣り、助け合い、励ましあい、共にそこにいて、Wハート

二度とはこな音符い人生の時間を共有する
アゲアゲアゲアゲ

少しずつそう思えるようになって

いい友達がたくさんできたキラキラWハートキラキラ

私の良いところも悪いところもわかって、
一緒に居てくれる。かお苦笑かお

ヌケヌケでハチャメチャなわたしを色々と助けてくれる音符音符

ホントに私は友達に恵まれてるキラキラアゲアゲキラキラWハートWハート



だから今の私は、

ここじゃないどこかへ行きたいとは思わないにへ

二度とはこない今日という日を
私と共有してくれる友達が
心からありがたいと思うにゃにゃハート

毎日色んなことがあるけれど、

今私はとてもシアワセですハートハートハートハートハート







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