老障介護の終わりは、私の介護生活の始まり 〜 義姉まーちゃんは脳性マヒ 〜

老障介護の終わりは、私の介護生活の始まり 〜 義姉まーちゃんは脳性マヒ 〜

2023.12.25 義母が倒れ、翌2024.1.20 他界。
残されたのは、重度の障害を持つ義姉。
まもなく64歳の義姉が、障害者施設に入れる期限は65歳の誕生日‼️ 果たして入所はできるのか⁉️
介護生活のあれこれや、私の心の声を綴ってみます❣️
診療放射線技師・占い師

⭐️まだの方はこちらから👇🏻


まーちゃんは、立てない。


上肢、下肢ともに自由にならず、床をお尻で這って動く。



基本的に食事は椅子に座ってテーブルで食べるが、


それ以外は床にいるので、



合間に飲んだり食べたりできるよう、


常に、お茶や果物、お菓子などが、


低い台に置いてある。




まーちゃんは、そのとき自分に必要のないものはなんでも 



『片付ける』



使って汚れたエプロン、


空になったお皿、コップ、


誰かが、ふと置いた書類・紙類、…




初めてまーちゃんのお世話をした時、


うどんの汁の入った丼が、


シンクの下の引き出しに入れてあって驚いた。




まーちゃんは、自分が触れるところにあるものは何でも、


どこかの引き出しにいれて、


見えないようにするのだ。




それがわかっていたから、


『出したまま、そのままにしておいてほしい』ことをまーちゃんにわかるよう、


丁寧に説明したつもりだった。




だから、


昨日の片付けが無かったかのようになっていたことに、


頭が真っ白になってしまった。




そして、驚きと、怒りと、虚脱感と、さまざまな感情が湧いてきて、


まーちゃんに話しかけることができない。




まーちゃんは、悪いことをした気は全くないそぶりで、


変わらずご飯を食べている。




私は自分の感情の整理ができないまま話すこともできず、


まーちゃんの食事が終わるのを待ち、食器を洗いながら、


なんとか心を落ち着かせながら考えた。




1つわかったことは、まーちゃんは、


片付けなどしたくなかったということ。


なぜなら、まーちゃんは、


片付けをしなくても全く困らないから。



例えば私がまーちゃんに、


「新しいティッシュ、どこにある?」


と聞くと、まーちゃんは


「探しとくわ」


という。


そして、次の食事のとき降りて行くと、


「あった」


と言って出すのだ。




まーちゃんは、『どこにあるか』はわからなくても、


『どこかにはある』とわかっているし、



まーちゃんに、やらなくてはいけないことはなく、


探す時間は十分にあるのだ。





整理整頓をして、

何がどこにあるかをわかるようにしたかったのは私で、


ナフタリンの臭いに耐えられないのも私で、




そして、ここはまーちゃんの家…。




だから、まーちゃんにとって一番良いのは、


このままにしておくことだったのだ。





しかし、ここはまーちゃんの家であるけれども、


まーちゃんは、自分だけで自分のものの管理はできないし、


お義母さんは亡くなり、その代わりを夫と私でやらなければならなくなった。



だから、今まで通りにはいかないのだ。





仕事から帰ってきた夫は、


『綺麗になった』和室を見て怒った。


「あんたのためにやっとるんだよ。自分で(片付け)できんでしょ。施設入ってから、あれが欲しいとか言われても、持ってけんからね!」



まーちゃんは、嫌なことや聞きたくないときは聞こえないふりをする。


そしてまた、聞こえないふりをした。




夫は、子供の頃から、よく『物がなくなって』ケンカになったらしく、


この時も、「こういうことばっかりだと、早く施設に行ってくれっていう気持ちになる」


と言いながらも…、やはり姉弟。



次の日には、まーちゃんの好きな甘いお菓子を買ってきて、


「これ食べやー」


とやっている。





それに対して、私は怒りがおさまらない。



まーちゃんに対して、腹立ちを抑えられないのだ。




どうしてこんなに腹が立つんだろう?





私はこの3ヶ月、まーちゃんが言うことやることで、本当はすごく嫌なことがあった。



何でそんな言い方されなくちゃいけないんだろうと思うこともあった。



でも、そのたびに、


『まーちゃんは障害者だからしょうがない』


と我慢してきた。



それが今回のことで、プチッと弾けたのだと思った。



そして自分でも、こんなに我慢していたんだ、傷ついていたんだと驚いた。





まーちゃんにとって、


これまでお母さんにやってもらっていた


『当たり前のこと』、



お母さんとの生活では


『当たり前だったこと』。




同じようにやろうなんて思ってもいなかったが、


できるだけ寂しくならないように、


少しでも困らないようにしてきたつもりだった。




けれど、私にも、


『できないこと』 『受け入れられないこと』


がある。



『できないこと』の方はまだいい。


たとえ嫌味を言われても、諦めてもらうしかないのだから。




問題は、『受け入れられないこと』


生理的に、感覚的に、感情的に、受け入れられないことが起こる。



けれどそれは、「やめてほしい」と言っても、


何も変わらない。


なぜなら、60年以上、まーちゃんはずっとそうしてきたからだ。



だから、


『わたしが受け入れ、諦めるしかない』


と思って我慢する。




でも、やっぱりそれは違う。


まーちゃんに、


『嫌でも、変わってもらわなくてはいけないこともある』


と伝えなくてはいけない。




たとえ、障害を持つ義姉の介護であっても、


所詮は人と人…


最後は、ただの人間関係の問題なんだ。







1週間経ち、そう考えられるようになったとき、


なんだか夫婦、嫁姑の問題に似てるなあ…と思えて、


急に楽になった。




この1週間、怒りがおさまらない自分がホトホト嫌になったし、


本当は嫌で、我慢していたことが頭の中をぐるぐる回り続けるし、



常にあるイライラ・モヤモヤは、


なんとなく “うまくいかない状況” を引き寄せ、


ケアレスミスをいくつも作り出していたのだった。







そして…


まーちゃんの入所まで、あと1週間を切った。




これまで毎週、顔を合わせていたお風呂の介助のヘルパーさんが、帰り際に言った。


「まる子さん、これまでありがとうございました。お元気で」


まーちゃん「⚪︎ × ⚪︎ × ⚪︎」


ヘルパーさん「?」


まーちゃん「⚪︎ × ⚪︎ × ⚪︎」


ヘルパーさん「?」


私「さようなら、ですって」


ヘルパーさん「あー、そうですね! さようなら」




なぜか、この時、


まーちゃんの「さようなら」を、私の口から言うことになったとき、


「さようなら」が私の中で大きく響いた。





移動介助入浴のスタッフさん、


デイサービスの送迎の方…



そして、この後も、


「ありがとうございました」


「お元気で」


の挨拶が繰り返されるだろう。





季節は、春。


ちょうど、遅れ気味の桜が咲きだした。



🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸